とうとう梅雨入り。雨を匂わす風が使者のように吹き抜ける。 午後少しだけ雨が降った。いかにも始まりの雨のように。 しばらくはおひさまも遠慮がちに微笑む日々が続くことだろう。
どんな日もあってよし。雨ならば雨を受けとめ心穏やかに過ごしていきたい。
今日は伯母の三回忌の法要があった。 老人ホームに入居している伯父は帰宅することなく 集まった顔ぶれはみないとこ達ばかりの法要になる。 それもなんだか寂しいけれど仕方ないことであった。
それぞれの親の話になればなんともせつない。 我が家の姑の事も含めてみんな年老いた親を抱えて苦労している。
苦労・・いやそう言ってよいのか。いまふっと後ろめたさを感じた。 そういう「さだめ」のようなもの。そのさだめに従っているだけかもしれない。
高知ならではの皿鉢料理をたくさんご馳走になって帰って来た。 みんなでわいわいとおしゃべりをしながら楽しいひと時を過ごす。 そうして亡き人を偲ぶ。伯母もきっと喜んでくれたことだろう。
帰宅して今にも雨になりそうな空を仰ぎながらお大師堂に向う。 帰り道はあんのじょう雨が降り始めて大急ぎで帰って来た。
もう走れないあんず。それも仕方ないことだなと思った。
あっという間にふたりずぶ濡れ。それも良いじゃないかと思った。
はじまりの雨に濡れては梅雨を知る。おかげで一句できた。
| 2013年05月25日(土) |
くちなしの花が咲いたよ |
ここ数日の暑さもひとやすみ。 今日はうす曇で爽やかな風が心地よく吹き抜けていた。
ご近所の紫陽花がずいぶんと色づく。 昨日よりも今日とそれは毎日の楽しみでもあった。
そんな紫陽花に心を和ませながらの散歩道。 ふっとどこからか芳香が漂ってきて足をとめた。
見つけた。それはクチナシの花。 民家のブロック塀から覗き込むようにしてその花に顔を寄せる。 なんだか懐かしいような香り。ずっと忘れていたようなにおい。
週末は一時帰宅をしている姑を迎えに行く車中で 夫と自分達の老後のことをなんとなく話し始めていた。 こうして毎週姑を迎えに行く事は少しも苦にならないのだけれど 自分達は子供たちにそんな世話をかけたくないなと話した。 介護ももちろん。そうなったら老人ホームに入ろうななどと。
けれどもそれは今だから言えることなのかもしれない。 20年後の自分達の姿を思い浮かべる。 まだまだ先の事と思っていても、あっという間にその時がくるかもしれなかった。
こどもは親に育てられ親はこどもの世話になるのか。 それが当たり前のこととはどうしても思えなかった。
親はこどもに育てられてこそ親になることが出来る。 そうして幾つになってもこどもはこどものままでいるのだと思う。
親はこどもを守り続ける。こども達の平穏無事を祈り続ける。
助け合うこと支えあうこと。それが家族の姿なのだろうと思いながら
「お父さんも、お母さんも大丈夫よ」っていつまでも言える親でありたい。
爽やかな初夏の風に誘われたように ホトトギスの鳴き声が空に響きわたる。
「テッペンカケタカ」って鳴いているのだそうだ。 子供の頃に今は亡き祖母からその物語を聞いた記憶があるけれど どんな話だったのかよく思い出せないのが少しもどかしく感じる。
今日はあんず16歳の誕生日。 特別なことは何もしてあげられなかったけれど 生後6ヶ月で我が家の一員になりもう16年間と感慨に浸る。 やんちゃで甘えん坊でちょっと神経質なところもあるけれど そのまんま年を重ねてすっかりおばあちゃんになってしまった。
お大師堂で出会ったお遍路さんが「犬が好きなんですよ」と言って 私がお参りをしているあいだあんずと一緒に遊んでくれて嬉しかった。
自転車遍路さん。静岡から自転車を持参で新幹線に乗って来たそうだ。 明るくて朗らかでとても話しやすい好印象のお遍路さんだった。
またきっと会いましょうと約束をして別れる。 その時にはあんずも健在で一緒に再会出来ると良いなあって思う。
こんな出会いがあった日はこころがとても清々しくなる。
「いい日だったね」ってあんずに語りかけながら家路についた。
連日の夏日。そろそろ半袖の服を着たほうが良さそうだ。 風もほとんどなくなんとも蒸し暑い一日だった。
ちょっと昔はとても苦手だった夏。 それがある年の夏から好きだなって思えるようになった。 私にとっては最高の「夏の思い出」 もう二度とあんなに心がときめく事はないだろうと思う。
冥土のみやげと言うのかもしれない。 春夏秋冬の夏のおみやげ。決して失くさないよう大切に持っていきたい。
今日も夕暮れ散歩。土手のチガヤの穂が綿のようにふわふわになった。 姫女苑の花もあちらこちらにたくさん咲いてこころを和ませてくれる。
ああここにいるんだな。ちゃんと生きているんだなってすごく感じる。 自然と触れ合う時の人間の心理って「いのち」と直結しているようだ。
日中の暑さが堪えたのかあんずは少し元気がなかった。 坂道を歩くのが辛そうで「がんばれ、がんばれ」と声をかけて励ます。 やっとの思いでお大師堂に着いたけれど、帰り道はふらふらになっていた。
もう無理なのかなって今まで何度も思ったのだけれど 最後の限界まで歩かせてあげたいと思うのは私の身勝手だろうか。 「行こうか?」って声をかけると「行くよ」って犬小屋から飛び出して来る。 あんず自身も歩きながら戸惑っているのかもしれないなと思う。 大丈夫って思っていてもうまくいかないことがたくさんある世の中だから。
でもやってみないとわからない。歩いてみないとわからない人生(犬生)である。
| 2013年05月20日(月) |
今日のことは今日のこと |
日中の気温が30℃近くなりすっかり夏を思わす。
山里を流れる川に錦鯉がたくさん泳いでいるのを見た。 どこかで飼われていたのを誰かが放したのだろうか。 清らかな流れの中でそれはとても気持ち良さそうに泳いでいた。
なんだかふっと童心にかえる。どうしてだろう不思議なきもち。
仕事は忙しくざわざわと落ち着かない。 少しでも母を助けてあげたい気持ちなのだけれど なんだか押し潰されそうな気持ちになってしまっていけなかった。 それがストレスになってしまうのか胃がしくしくと痛んだ。
そんな時はいつも思う。「今日のことは今日のこと」 明日になれば風向きも変わるだろうと信じて明日のことを考える。 けれども明日になればそれが「今日」になってしまうのだから。 う〜む。結局毎日が「今日」なのだなって受けとめなければいけない。
帰宅すると親愛なる友人からポストカードが届いていた。 「私に少し苦言を・・」と前置きされていてそれを愉快に思う。 私が苦言に対してほとんど抵抗力がないことを知っているのだ。 「おっし、来たな!」どうやって交わそうかと考えるのも楽しい。 確かに抵抗力はないけれど、立ち向かう勇気はありそうな気がする。 けれども決して強気になってはいけない。そこらへんがむつかしい。 相手の意見を尊重しながら自分の意思を貫くというか。 まあるくおさめてお互いがにっこりと微笑むようなやりとりがしたいのだ。
その微笑に手を伸ばすように返事を書きたいと思う。
「おお、こう来たか」「それならこれならどうだ」
またすぐに便りが届くことだろう。そういうのがたのしくてたまらない。
| 2013年05月18日(土) |
紫陽花の季節もちかくなりにけり |
雨が近いのか少し蒸し暑い一日だった。 ご近所の紫陽花がほんの少し色づき始める。 それは毎日通る散歩道の途中にあって ながめていると「あした」がとても楽しみになる。
土曜日は姑を病院へ迎えに行く日。 一週間がとても早く感じるのだけれど 姑にとってはまだかまだかと待ちわびる毎日なことだろう。
ベットから車椅子に移る時、車椅子からクルマに乗る時。 リハビリの成果が目に見えて感じられるようになった。 退院まであと二週間、もう少しの辛抱だった。
一時帰宅している間は義妹がずっと世話をしている。 やはり娘がいちばん良いのだろう。 ちょっとわがままを言ってみたりして困らせているようだ。
夫が「あいつが嫁にいかずにいてくれて良かったよな」って言う。 うなずく私も義妹のおかげでどんなに助かっていることだろうか。
お大師堂で毎日お参りに来ている伯母と一緒になった。 姑にとっては兄嫁に当たる人で、姑の様子を気遣ってくれる。 一時帰宅している事を伝えると、その足で会いに行ってくれると言う。 お大師さんのお菓子を持って行ってあげるからと言ってくれて嬉しかった。
伯母は確か89歳ではなかったか。杖をつきながらも元気な足取り。 その後姿を見送りながら「おばちゃん、ありがとう」と手を合わせた。
外で待ちかねていたあんずが「きゅいんきゅいん」と私を呼ぶ。
気がつけばみんなみんな老いてしまった。
けれどもこうして生かされていることを感謝せずにはいられない。
連日の夏日もひとやすみ。 今日は思わず「涼しいね」と口にするほど過ごしやすかった。
山里の職場の庭にはいつのまにか「雪のした」の花が咲き。 大きなヤマモモの木の下でゆらゆらと風に揺られている。 まるでちいさな天使のようなその花が私はとても好きだった。
私が職場に復帰したことを母がとても喜んでくれている。 ふと自分がこれほど必要とされていたのかと思いがけなくて。 「助けてあげたい」その気持ちがどんどんふくらんでいく。
母いわく。私が居るだけで気が楽になるのだそうだ。 そう言ってもらえると私も嬉しくてならない。
以前はよく喧嘩をすることもあったけれど なんだかものすごく遠い昔のことのように思えるのだった。
母の仕事を手伝うようになってもう25年目の春が過ぎた。 苦労ばかりの歳月だったけれど、その苦労を分かち合うことが出来たのか。 少しでも助けてあげられたのかと自分ではそれがよくわからなかった。
あと10年かな。いや5年かもしれないと母は言う。 75歳になった母のことを思うと、出来るものなら引退させてあげたい。
そうして苦労のない穏やかな余生を送らせてあげたいとつくづく思う。
「また月曜日にね」「うん、ぜったいに来てね」
母の笑顔に見送られながら帰路に着くといつもいつも胸が熱くなるのだった。
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