春雨と言うには少し肌寒い雨が一日中降り続いていた。
とうとう桜も散ってしまったけれど、葉桜もまたうつくしいもの。 花を見送ったあとにぽつねんと佇んでいる残されたひとのようでもある。
パソコン不調のため、ここ数日のあいだ日記を書けない日が続いていた。 ぽっかりと空いてしまった夜のひと時を悶々としながら過ごすばかり。
なんでもないような日常だけれど、それがどんなに愛しいものか。 「書けない」という現実にぶつかって改めてそのことに気づく。
うまく言葉に出来ないけれど、書きながら「消化」していたのかもしれない。 日々いろんなことを詰め込んだこころをすっきりと軽くしていたような。
そうして自分を癒していく。穏やかな気持ちになりほっとしていたのだと思う。
ここはほんとうにありがたい場所。きっと最期の日までここにいるだろう。
明日は孫の綾菜の入園式。「一緒に行こうよ」と娘が誘ってくれた。 川仕事もまだ大変だけれど、今回だけは綾菜を優先させたいと思う。
わくわくと楽しみでならない。きっと笑顔の一日になることだろう。
花曇のぼんやりとした空模様だったけれど 気温は高くなりぽかぽかと暖かな一日になった。
散り始めていた桜もしばし留まっている。 風まかせなのよと微笑みながらつぶやいているよう。
本日も多忙なり。早朝から夕方までまったく時間のゆとりがなかった。 気がつけばなんだか苛々としていてこれではいけないなと反省する。 夫もきっと同じだろうと思う。こんな時こそ労わり合わなければいけない。
毎日の日課だった散歩も行けない日が多くなってしまって。 今日も時間切れでクルマに飛び乗りお大師堂に向かおうとしていた。
あんずは寝ているとばかり思っていた。諦めていると思い込んでいた。 それなのにクルマに乗るとバックミラーに彼女の姿が映っているではないか。
「おかあさん・・今日も駄目なの」その顔はとても寂しそうな顔に見えた。
大急ぎでクルマをバックさせ引き返したのは言うまでもない。
「あんちゃん、今日は大急ぎだけど大丈夫?」
駆け足のあんずを見たのはほんとうに久しぶりだった。 ぐんぐんとリードを引っ張って私より先を歩こうと一生懸命がんばる。
つくしの坊やはいつのまにかスギナになっていたんだね。
白つめ草の花。野あざみの花。野ばらの花も咲いていたね。
あんずのおかげでまたたくさんの春に出会うことが出来たよ。
花冷えをそのままに少し冷たい雨の一日となる。
それはやはり花散らしの雨になってしまって お大師堂の石段にも桜の花びらがたくさん落ちていた。
顔なじみのお遍路さんと語り合いながら はらはらと散っていく桜の木を二人で見上げる。
「俺はさあ、もういつ死んでもいいんだ」
そのお遍路さんは会うたびにいつもそう言う。 その言葉を聞くたびになんともいえないせつなさが込み上げてくる。
「私はね。もっともっと生きたいの」そう言うとにっこりと微笑んでくれる。
出会った頃はとても無口で無愛想な人だと思っていた。 けれども何度が会っているうちに少しずつ語り合えるようになった。 何よりも嬉しいのは笑顔を見せてくれるようになったことだ。
名前も知らない。どこの出身なのかも知らない。 もちろんどうして職業遍路の道を選んだのかも聞くことは出来なかった。
「お地蔵さんのお遍路さん」とこころの中でそう呼んでいる。 そのお遍路さんは道端のどんな小さなお地蔵さんにもお経を唱えていると聞いていた。
どんなにかこころの優しいひとなのだと思う。ほっこりとあたたかくて。 けれどもいつも厳しい顔をしているのは、背負っているものが重過ぎる。
その重さを少しでも分かち合えたらと思うけれど何も出来ず ただ一瞬でも笑顔になってくれたら良いなといつも願っている。
「桜も終わりだな」って言ったけれど始まることがきっとある。
それぞれの生き方があるようにそれぞれの春がそこにあった。
追記:花風邪は峠を越えて今日はずいぶんと楽になった。
「花冷え」のおかげで桜はながく咲いてくれるのだそうだ。 満開の桜をそのままに冬の名残の北風が冷たかった。
先日からの花風邪が少し長引いている。 微熱のせいか足がだるくてしょうがなかった。 気力に体力がついていかなくてなんだか情けない。
無理をし過ぎないように川仕事を頑張っているのだけれど 弱音を吐けば夫に心配をかけてしまうのでそれは禁物。 「なんのこれしき」と思って出来る限りのことをしている。
朝を迎えるたびに夫が「大丈夫か?熱はないか?」と 気遣ってくれるのがとても嬉しかった。
だから満面の笑顔で「だいじょうぶよ」って応える。 そうしたら夫もほっとしたような笑顔になってくれるのがまた嬉しい。
やまない雨がないように治らない風邪もないのだと思う。 今はちょっと辛いけれどなんとしても乗り越えようと思っている。
昨日は行けなかったお大師堂。今日も満開の桜が迎えてくれる。 誰かがひと口羊羹をお供えしてくれていて、思わず手が出てしまった。 甘い物を食べるとほんとうに幸せな気持ちでいっぱいになる。 「ごちそうさまでした」お大師さんもにっこりと微笑んでいるよう。
明日は雨の天気予報。花散らしの雨にならなければ良いのだけれど。
桜の季節に風邪をひくのを「花風邪」というらしい。 なんて誰もそんなことは言わないのだけれど 自分で勝手に名づけてみては体調の悪さを受けとめている。
昨夜一晩中下がらなかった熱が今朝になりやっと下がる。 川仕事が大忙しだというのに休んでなんかいられない。 「大丈夫、行くから」と夫を安心させようとしていた。
けれども夫はちっとも安心なんかしてくれなかった。 「頼むから寝ていてくれ」そう言って私を安心させようとする。
それが夫の優しさなのだなとつくづく感じた朝だった。
年を重ねるごとに「いたわる」という気持ちが大きくなる。 それが夫婦と言うものだろうか。なんとありがたいことだろう。
おかげでゆっくりと身体を休めることが出来た。 夕方にはリハビリと称して散歩にも出かけてみる。
お大師堂の満開の桜がとても綺麗で心を和ませてくれた。 そんな桜を見上げながら「桜貝」という名のお菓子をひとつ頂く。
若い頃のように無理のきかなくなったこのからだ。
のんびりと元気でいよう。そう自分に言い聞かせて明日に向いたい。
「春に三日の日和なし」と言うけれど 今朝の青空はつかの間で午後からぽつぽつと小雨が降り始める。
雨はすぐにやんだけれど、なんだか身体が重くて散歩を諦めた。 あんずの呼ぶ声も聞こえず、彼女もたまには休みたっかのかもしれない。
明日がある。あしたがあるさと歌うように思った。
どんな日もあってよし。気の向くままに流れていくのがいちばんだ。
夕方、郵便配達のおにいちゃんが来てくれて書留が一通。 それからお手紙もありますよと手渡してくれた。
まだ春遠い岩手盛岡から季節のたよりが届く。 「気持ちは春へむかっています」
この冬の厳しい寒さから希望の春が垣間見れた。 ふと昔テレビで見た「一本桜」の木が目に浮かんできた。 あの場所に立ってみたい。そうして岩手山を仰いでみたいものだ。
まだ一度も会った事のない盛岡の友。 儚ささえ感じるネット空間で今もこうして繋がっていられる奇蹟。
縁と言うものはほんとうにありがたいものだとつくづく思う。
私も春のたよりを届けたいなと思う。
そうして私と同じようにそのひとがほっと微笑んでくれたらいいな。
朝の肌寒さは「花冷え」だろうか。 桜が咲くと必ずと言っていいほど寒の戻りがあるものだ。
春彼岸も中日を過ぎ、向こう岸に冬が渡ろうとしている。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだと思う。
桜の花もすぐに満開を迎えそうだった。 儚い花だけれど心を尽くすように愛でてあげたいと思う。
庭の隅にずっとほったからしにしてあった紫陽花の木に いつの間にか若い緑の新芽が出てふっくらとしていた。 もうそんな頃なのかとびっくりと嬉しく思う。
確かなことは今まさに季節が移ろっているということ。 前へ前へと。ずっと留まることがなく明日へと向っているのだった。
一緒に歩んでいかなければ。命あることをありがたく受けとめながら。
孫の綾菜。昨夜も熱は出ず無事に朝を迎えることが出来た。 もう大丈夫。胸を撫で下ろしながら愛しさが込み上げてくる。 三日間の熱との闘い。ほんとうによく頑張ったと思う。 「えらかったね、あやちゃん」今日も会いたくてたまらなかった。
夕方、あんずと一緒にお大師堂まで散歩。 元気いっぱいの日もあればそうでない日もあるけれど 無理をさせないようになるべく少しでも歩かせてあげたいと思う。
帰り道の土手でお散歩仲間のワンちゃんに会って 飼い主さんが「がんばれ、がんばれ」と声をかけてくれた。
その声がとても嬉しかった。あんずも尻尾を振って嬉しそうな顔。
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