ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2013年03月20日(水) 桜雨

絹のようにやわらかな雨になる。
しっとりと潤う桜花も風情があって良いものだ。


心配でならかなった綾菜。今朝も40度を越す高熱があった。
娘が出勤前に座薬を挿し、後は様子をみることにする。
昨夜も殆ど寝ていないということでぐずって泣いてばかり。

けれども座薬がすぐに効き始めて抱っこしているうちに眠り始める。
よほど眠かったのだろう。一時間ほどぐっすりと眠ってくれた。

汗をたくさんかいたのが良かったのか、熱が一気に下がっていた。
この三日間、平熱に戻ることがなかったのでとてもほっとする。

食欲もありお昼ごはんもたくさん食べる。デザートに大好きなみかん。
食後のミルクも飲み干し、さあ遊ぼうと玩具を引っ張り出して遊び出す。

ひとり遊びがとても上手になった。あうあうと声を出してよく遊ぶ。
何度か熱を測ってみたが、平熱が続いていてもう大丈夫かもしれない。

気がつけばお昼寝の時間をとっくに過ぎていて
綾菜の顔をのぞくと目はとろんとしたまま玩具を放さなかった。
「あやちゃん、ねんねは?」抱っこするなりすぐに眠り始めた。

眠いのも忘れるほど遊びに夢中になっていたようだ。
それだけ元気になった証拠だろうか、安堵しながら微笑んでいた。

午後四時、帰宅した娘もとてもほっとした様子。
もう一度熱を測ってみたけれど変わらず平熱のままだった。
今夜熱が出なければもうぜったいに大丈夫だと思う。
もしまた高熱が出たら明日ほかの病院へ連れて行くことに決める。


いつのまにか雨がやんでいた。
お大師堂にお参りに行き、雨に濡れた桜の花を見上げる。
泣いているのではないよ。微笑んでいるのだよとそれがつぶやく。

「ありがとうございました」手を合わせてちょっぴり涙ぐんだ。

ほっとした涙とうれしい涙はいくらでも流したいと思う。



2013年03月19日(火) 桜は咲いてくれたけれど

昨日の春の嵐がうそのように穏やかな晴天に恵まれる。
おかげで桜の花が一気に咲き始めてくれた。

お大師堂の桜も咲き始め川辺を彩ってくれている。
ゆったりと流れる大河とそれはなんとも絵になる光景だった。

昨日の早朝、薄っすらと夜が明け始めた頃だった。
ネットを通じて知り合ったお遍路さんが四万十に来てくれる。
お大師堂にも立ち寄ってくれて大急ぎで駆けつけて行った。
まだ寝巻き姿のまま顔もすっぴんだったけれど気にしない。
とにかく一目会わなくてはの一心で駆け出して行ったのだった。

初対面だと言うのに不思議な懐かしさを感じる。
「縁ある人」とはきっとそんな感じなのだろうと思った。
ほんとうにつかの間の事だったけれど感動で胸がいっぱいになった。

またいつかきっと再会出来ることだろう。
そう信じてこれからも四万十のほとりで待っていようと思う。


そんな嬉しい朝だったというのに、家に帰り着くなり娘から電話。
孫の綾菜がまた熱を出してしまったようでなんとも心配なこと。
お守りに駆けつけた時には食欲もあり元気そうに見えたけれど
午後から高熱になりひどくぐったりと弱ってしまったのだった。
娘の帰宅を待ち小児科へ行く。インフルでもRSウィルスでもなかった。
ただの風邪でこんなに高熱が出るものだろうか。不安でいっぱいになる。
二、三日様子を見るように言われたけれど気が気ではなかった。

今日はなんとか娘が仕事を休めたけれど、明日はまたお守りに行く予定。
明日もまだ高熱が続くようなら明後日には他の病院へ連れて行こうと思う。
どうか熱がさがりますように。そればかりを祈って一日が暮れていった。

嬉しいこともあれば不安なこともあるもの。
そんな日々を受けとめるように少しでも穏やかな気持ちでいたいなと思う。



2013年03月17日(日) ともに白髪のはえるまで

お天気は下り坂。明日は春の嵐か、大荒れのお天気になりそうだ。

彼岸の入りだというのにお墓参りも行けずにいる。
忙しさのせいにしてついつい疎かにしてしまうのだった。
それなのに亡くなった義父はずっと私たち家族を見守ってくれている。
川仕事をしている時も「がんばれ、がんばれ」と声がきこえてくるのだ。

夫が家業を継いでもう31年目。
30歳だった夫も今日で61歳の誕生日を迎えた。
義父が亡くなってからたくさん苦労したけれど
そんな苦労のおかげで今の暮らしがあるのだと思う。

もう61歳。なんだか信じられないような気持ちになるけれど
「ともに白髪のはえるまで」自分たちもそんな夫婦になった。

夫の大好きな大相撲を観戦しながら、ささやかにお祝いをする。
ステーキとワイン。「やっぱ肉だよな」と大喜びの夫だった。

いつも応援している豊ノ島が横綱日馬富士を破った。
ふたりで盛大に拍手、家中に歓声がとどろいた瞬間だった。

もしかしたらなんでもないことなのかもしれない。

けれどもそんなささいなことがすごくすごく幸せに思える。

ふたりで笑ってふたりで喜ぶ。そうして元気に生きている。

「おとうさん、これからもいっぱい長生きしようね」



2013年03月16日(土) からすのえんどう

作業場の庭に「からすのえんどう」がいっぱい。
青々とした緑にれんげ色した小さな花がとても可愛かった。

海苔を干しながら、踏まないように踏まないようにと歩く。
それでもどうしても踏んでしまった時は「ごめんなさい」と頭をさげる。

どんな雑草にもちゃんと名前がある。そのことがとても嬉しかった。
そして何よりもその生命力の凄さ。命をいっぱいに花を咲かせている。

私もそんな雑草みたいに生きてみたいなとふと思う。

時には踏まれてみるのもいい。無残に引き抜かれてみるのもいい。

どんなに辛い目にあってもしっかりとしっかりと生きていきたい。


からすのえんどうは、花が終るとカラス色の実がなる。

その実のなかにはきっとたくさんの種がつまっているのだろう。

花が赤ちゃんを産むみたいにその種が土の中で育っていく。

どんなに固い土だってその種をしっかりと抱いてくれるのだ。

うん、いいな。それってやっぱりいいな。

明日の朝めざめたら「からすのえんどう」になっているといいな。



2013年03月15日(金) 縁ふたたび

彼岸の入りも近くなり「寒の別れ」と言うのだろうか。
冬と春がせめぎあって冬がとうとう旅支度を始めたようだ。

けれども潔くは行けない冬は名残惜しそうに何度も振り向く。
なんだか引き裂かれているようでふっとせつなさを感じた。

冬はどこにいくのだろう。冬だって春が愛しいのではないだろうか。


昨夜のこと、パソコンの「お気に入り」を整理していて
とあるページを何年ぶりかに開いてみてとても嬉しいことがあった。

「もう更新はしない、さようなら」あっけなく去っていったひと。
けれどもそのページを消すことはどうしても出来なかった。

私は親身になり過ぎていたのかもしれない。
すごくお節介をやき過ぎて不愉快な思いをさせていたかもしれない。

ある日突然の「拒絶」にずいぶんと心を痛めたことを憶えている。


そのひとの日記が更新されていた。つい先日の誕生日の日からだった。
元気でいてくれたことがわかってとてもとても嬉しかった。

「もう誰もここを見ているひとはいないだろう」そう綴られていたけれど。

「見ているよ」と大声で叫びたい気持ちになった。

けれども、もうそのことを伝えてはいけないのだと思う。
話したいことがどんなにあっても、何も語ってはいけないのだと思う。

せめて見守ることだけはゆるしてほしいと願っている。

縁あって出会えることの出来たひとだもの。

どんなにささやかな縁だとしても私にとっては大切な縁に他ならない。

帰って来てくれてありがとう。その日記に手を合わせて涙ぐんだ夜だった。





2013年03月14日(木) こころと時間のゆとり

昨夜のうちに雨があがり爽やかな晴天に恵まれる。
ひんやりと冬の名残を感じる朝だったけれど
日中は降り注ぐ陽射しに春が微笑んでいるようだった。


このところ海苔の成育がすさまじく良くなり嬉しい悲鳴をあげている。
二人で力を合わせて一生懸命頑張っているのだけれど手が回らない。
しばらくは多忙な日々が続きそうだった。毎日が「勝負」になりそうだ。

自然は時には厳しいけれど、こうしてたくさんの恵みを授けてくれる。
ほんとうにありがたい事だと思う。その恩に報えるような仕事がしたい。


午後の作業を終えてやっと一息つく。
今日はお昼寝の時間もなくそのまま散歩の時間になってしまった。

独りでお大師堂に行こうと庭先に出ると、あんずが珍しく犬小屋から出ていた。
そうして「行くよ」って顔をして私の目を澄んだ瞳で見つめているではないか。

「大丈夫?ほんとに行くの?」とても心配だったけれど連れて行くことにした。
途中で歩けなくなったら引き返して来れば良いではないかと思った。
抱っこすることだって出来る。あんずの意志に任せてみようと思う。

それはとてもゆっくりとのんびりとした散歩になった。

「母さんはね、最近いつも急いでいるから駄目なんだ」

あんずがそうつぶやいているように感じた。母さんハンセイの巻である。

毎日は無理かもしれない。でもあんずが行きたがっている時はそうしよう。

こころと時間のゆとりって大切なことなんだね。

あんずにその大切さをおしえてもらった今日の散歩道だった。





2013年03月13日(水) 雨音と春眠

何日ぶりの雨だろうか。久しぶりに聞く雨音。
南風が強く春の嵐を思わすような雨であった。

芽吹き始めた木々が喜んでいるように雨に打たれている。
田畑も潤いきっと恵みの雨になったことだろう。


川仕事を終え、作業場で昼食をとる。
今日はコンビニで買った「爆弾おにぎり」だった。
空きっ腹に滲みるとはこのこと。むさぼるようにかぶりつく。
ゆっくりと味わっている暇はないけれど、こんな昼食が幸せであった。
くいしん坊の私はもう明日の昼食の事を考えている。
たこ焼きもいいなとか。お稲荷さんもいいなとか楽しみでならない。


作業を終え帰宅するなりばたんきゅうと横になる。
自覚はあまりないけれど疲れがたまっているのだろうか。
うたた寝のつもりが爆睡になってしまってすっかり夢のなか。

最近、寝ても寝ても眠いのだ。これが春眠と言うものだろうか。
暇さえあれば寝ている。今日の雨音は子守唄のようだった。


寝起きの気だるさと雨のせいにしてクルマでお大師堂に行く。

桜の蕾も雨を喜んでいるようだった。
毎日見上げて声をかけようと思う。待っているよって囁くように。

ただただ平穏な一日に感謝するばかり。

目を閉じて手を合わすと家族の顔が灯りのように目に浮かんでくる。


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