ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2013年02月19日(火) 受けとめること

昨日とはうって変わって今日は冷たい雨になる。
まさに三寒四温の季節なのだろう。
寒さを受けとめながら心は春に向っている。

「受けとめる」ことが昔はとても苦手だったように思う。
どうして?どうして?と問い詰めながらぐるぐるともがくばかり。
その頃を思うと自分も少しだけ成長したのかもしれない。

思い起こせばいろんなことを受けとめてきた。
悲しいこと、辛いこと、どうしようもできないこと。
受けとめることが出来ればずいぶんと心が安らぐことを知った。

けれどもまだまだあっけらかんと生きていくのはむつかしい。
あとどれほどの人生なのかわからないけれど日々が成長と思いたいものだ。



お大師堂に今日は水を持って行く。
水道が無いためペットボトルに水を入れて備え付けてあるのだった。
以前は何本もあったペットボトルも今では殆どが空っぽ。
いつも水を運んでくれていたおばあちゃんが一昨年亡くなってしまったのだ。
誰かが代わりをしなくてはいけないのなら自分がしよう。
そんなだいそれたことではないけれどほんとうにささやかなことだった。

先日から逗留しているお遍路さんと、今日はもう一人若い青年が来ていた。
開口一番に「おばちゃん」と呼ばれて一瞬ドキッとしたけれど。
息子と同じくらいの年だから確かにおばちゃんだなと納得して微笑む。
人懐っこい感じの好青年でもっとたくさん話したいなって思った。

明日は晴れの天気予報。二人のお遍路さんはまた歩き出すそうだ。

いつもいつも旅の無事を祈っている。それが私の役目のように。







2013年02月18日(月) かりんとう

二十四節気の「雨水」
北国ではまだ雪深い日々が続いているけれど
そんな雪が少しずつ雨に変わってくれたら良いなと願う。
「立春」「雨水」「啓蟄」と続く節気にただただ春を待つばかり。

全国的な寒さをよそに四万十は暖かな雨の一日となった。
これも恵まれていること。優しい雨に感謝しなければいけない。

早朝、夜明けを待ちかねるように川仕事に出かけた。
雨合羽のふたりだったけれど少しも苦を感じずに済んだ。
海苔の生育も随分と良くなりそれがいちばんの励みに思う。

朝が早い分、午後はのんびりと過ごすことが出来る。
買物に行ったり、後は炬燵でうたた寝をして過ごす。

散歩の時間になると雨もやんでいた。
お大師さんにお供えするお菓子を持って出掛ける。
「かりんとう」はお大師さんの大好物だった。

お大師堂には一昨日から逗留しているお遍路さんがいてくれて。
物静かな人だけれど今日も笑顔で迎え入れてくれた。

歩き始めてもう三年が経つという。
私もご縁をいただきすっかり顔なじみになっていたけれど。
どうして「職業遍路」の道を選んだのか訊くことは出来なかった。

いつか話してくれる日もくるのかもしれないけれど。
笑顔でそっとあたたかく接するのが自分の役目のようにも思う。

「かりんとう食べてくださいね」そう言うとにっこりと笑顔がかえってくる。



2013年02月17日(日) またふたりきり

晴れのちくもり。明日はまた雨になりそうだ。
一雨ごとに春らしくなるだろうと信じて雨を待っている。

娘の熱がやっと下がり、昨夕孫の綾菜を送り届けてきた。
預かっていたあいだの四日間どんなにか母親が恋しかったろうに
幼心に何かを感じていたのだろうかとても健気でいじらしい程だった。

母親に抱かれるなり顔をうずめるように甘えている姿は微笑ましく
同時に私たちの役目は終ったのだなと少し寂しさをおぼえた。
大忙しで大変な四日間だったけれどなんと嬉しい日々だったことか。

昨夜は布団に入るなりほろほろと涙があふれて止まらなかった。
すやすやと寝息をたてていた綾菜がもう隣にいないのだもの。



そうしてまたふたりきりのいつもの日常がかえってくる。
楽になったねと夫と話しながらなんとなく物足りなさを感じていた。

けれどもそうして平穏な日々がまた始まるのだと思う。

どうかみんなが元気でいてくれますように。

手を合わせ祈り続ける日々が続くのだった。





2013年02月15日(金) てんやわんや

娘のサチコ。元気になったかなと思っていたら今度はインフルエンザ。

それは大変と孫を預かっているけれど大忙しの日々が続いています。

落ち着いたらまた日記を再開したいと思っています。

いつも足を運んでくださる皆さま。ありがとうございます。

バーバもジージも昔々を思い出して子育てに奮闘しています。



2013年02月12日(火) 豆大福を食べた

曇りのち雨。なんとも肌寒く冷たい雨だった。

雨にならないうちに川仕事を終えられほっとする。
作業場で昼食をとることになりおにぎりを買いに行く。
すぐお隣がコンビニなのでとても便利で助かっている。

レジでお金を払おうとしたら美味しそうな豆大福が。
買ってくださいよと言わんばかりに微笑んでいるではないか。
ごくんとつばを飲み込んだ途端ぱっと手を伸ばしていた。

久しぶりに食べた豆大福の美味しかったこと。
アゴが落ちるという表現がぴったりだと思う。
そうしてすごく幸せな気分になっていた。


作業が終るのを待っていたかのように雨が降り始めた。
あんずがぐっすりと寝ているのを良いことにして
今日のお散歩はお休み。また明日があるさって思った。

お大師堂のお参りも休めば良いさと夫が言ってくれたけれど
どうにもそわそわと落ち着かなくてクルマに飛び乗って行った。

蝋燭の灯りが見える。お遍路さんかなと思ったけれど
そっと窓から覗いてみると親戚のおばちゃんが一心にお経を唱えていた。
邪魔をしてはいけないとその後姿に重ねて私も一緒にお参りをする。

そうしてお経を唱え終えたおばちゃんに声をかけてみた。
遠くに住むひ孫さんが病気なのだそうだ。
「わたしゃあおがむことしかできんけん」その気持ちがすごくよくわかる。

「きっときっと治るけんね」「大丈夫よおばちゃん」

88歳のおばちゃんはほっとしたように微笑んでくれた。
そうして二人でお大師さんからお菓子をいただいて一緒に食べた。

私の願いごとなどほんの些細なこと。それでも祈らずにはいられない毎日。

夕方、娘の元気な声をきいた。守ってくれてほんとにありがとう。




2013年02月11日(月) どこかで春が

風は冷たいけれど陽射しは春のにおいがする。
「どこかで春が生まれてる」そんな歌を思い出した。

忙しさについ心のゆとりをなくしてしまっているのかもしれない。
散歩道を急ぎ足で歩きながら、なんだか苛立っているなと感じた。
寄り道をしたがるあんずを叱ったりしていけない母さんだったね。

ゆったりとしたきもち。大らかなきもちがたいせつ。
立ち止まって深呼吸をしてみるのも良いのかもしれない。



夕方、娘から電話があり熱が出てしまったとのこと。
綾菜の世話もままならない様子ですぐに駆けつけて行った。
しんどそうに臥せっている娘のそばでおりこうさんの綾菜。
その笑顔にどんなに救われたことか。抱き上げて頬ずりをする。
夕食を食べさせてしばらく遊んでから帰って来たけれど。
娘の熱が早く下がりますように、なんとも心配でならなかった。

先日の綾菜の熱と言い、このところ家族の健康がとても気になる。
毎日、毎日手を合わせていてもいつ何が起きるのやらわからなかった。

けれども、どんな時もあるもの。そう受けとめていかなければいけない。

春になれば。ばくぜんとそう思う。

春になれば嬉しいことがきっと待っている気がする。

みんなが元気になっていつも笑顔でいられるのにちがいない。

春よこい。はやくこい。どこかで春がきっと生まれているよ。







2013年02月09日(土) それは些細なこと

午後六時。茜色に染まる空をぼんやりと眺めていた。
カラスはお山に帰ったかしらなんてふと思ってみたり。
ずいぶんと日が長くなったねと夫に語りかけてみたり。

とんとんとんと順調に平穏無事だった一日が暮れていく。
おひさまは微笑みながら「また明日ね」とゆびきりげんまん。

幸せだなってしみじみと思う。生きているんだなってすごく感じる。



今朝は川仕事をしながらすごくちっぽけなことにこだわっていた。
なんでもないことなのにどうしてこんなに気になるのだろう。
考えないでいようと思ってもどんどんとそれが押し寄せてくる。
嫌だなってすごく思った。気にしない、気にしない呪文のように唱える。

きっと私はすごく欲張りなんだなって思った。
特にひととかかわる時、必要以上に「縁」を深めたがる悪い癖がある。
もしかしたら不愉快な思いをさせてしまったのではないか。
そのひとは距離を置きたがっているのではないか。
そうだとしたらこれ以上近づいてはいけない気がする。
たちまち臆病になってしまって声もかけられなくなってしまった。

「去るものは追わず」と言うけれど、それは簡単なことではない。
10年来の友人だと信じていた。それは自分の思いあがりだったのだろうか。

込み上げてくる寂しさを受けとめながら、自分を戒めている。
そうして「もうじゅうぶんではないか」と言い聞かしたりしている。

日常のほんの些細なこと。そうそれはほんとうにちっぽけなこと。

それよりもたくさんの縁に恵まれていることに感謝したいと思う。

「足るを知るは最上の富」と言うではないか。



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