綾菜、今日で生後5ヶ月となる。 朝から娘の家に行きほぼ一日中一緒に過ごす。
綾菜を抱っこして30分ほど朝の散歩。 娘の家のすぐそばにも四万十川が流れていて 土手にあがるとなんとも素晴らしい景色だった。
彼岸花やコスモスが咲き爽やかな風が吹き渡る。 近くにはキャンプ場もあり緑がとても鮮やかだった。
「ほうら見えるかな」「あそこにワンワンもいるね」
いっぱい話しかけながら綾菜の笑顔を待っていた。
帰宅するなりぐずりもせずに眠ってしまったけれど 娘が買物に行くと言うので一緒に連れて行くことにした。 電器屋さんに行ったりベビー用品のお店に行ったり 綾菜は眠そうだったけれどお買い物は好きそうな感じ。
お昼にミルクを飲むとまたぐっすりと眠ってしまった。 けれども午後からは予防注射に連れて行かなくてはいけなくて また起こされてしまった綾菜。なんだかちょっと可哀想だった。
病院では大きな声で泣いた。お注射はやっぱり痛いよね。 母親の胸にしがみつくようにしてひっくひっくと泣きじゃくる。
「よしよしえらかったね」「さあお家に帰ろうね」
また眠くなるのかなと思ったけれど今度はご機嫌になって遊び出す。 バーバも一緒に遊びたかったけれどもう帰る時間になってしまった。
後ろ髪を引かれるような思いで家路に着く。 またすぐに会えるのだとわかっていてもすごく寂しい気持ちになる。
今日はいっぱい一緒にいられてほんとに嬉しかったよ。
ありがとうね綾菜。バーバまたすぐに会いにいくよ。
見上げる空にはうろこ雲。ああ秋なんだなと思う。 その雲がそのまま夕焼けになって思わず歓声をあげた。 まるで大きな金魚が空を泳いでいるみたいだった。
ときどき空のことを忘れそうになる時もあるけれど。 いつだって空に抱かれて生きていることを忘れてはいけない。
いろんな顔をして見せてくれる空。 泣いたり笑ったり時には怒ったりもするけれど。 好きだよって伝えたいなといつも私は思っている。
心地よい秋風も空のともだち。 散歩道ではいっぱい深呼吸をした。 こころに秋風が吹くとなんだかせつないものだけれど。 ずっと昔に感じていたそれとは少し違うなって思った。
歳を重ねるということはきっとそういうことだろう。
いのちをありがとう。空のおかげで生きているような気がする。
山里の職場に着くなり金木犀の香りがほのかに漂ってきた。 もうそんな季節。なんだかそれはとても懐かしい匂いに感じる。
ご近所に大きな金木犀の木があったので毎年楽しみにしていた。 きっとその木だと思い込んでいたのだけれど、後から見てびっくり。 いつの間に切ってしまったのだろう。跡形もなく消えてしまっていた。
けれども確かに匂ってくる。風そのものがその花であるかのように。
やっと気がついたのは午後になってからだった。 それは職場の庭のかたすみにあった。母が植えていた金木犀の木。 去年はまだ小さくて花もわずかだったというのに 今年はずいぶんと大きくなってたくさんの花を咲かせていた。
とても思いがけないこと。こんなに近くに咲いていてくれたのだ。
気づいてあげなければいけないことがまだ他にもあるような気がして なにか大切なことを見失ってはいないかとふと考え込む時がよくある。
なんだか「青い鳥」の童話のようなこと。
遠くばかりを見て必死になってさがそうとするしあわせ。
金木犀の香りはほのかにひそやかにそっとよりそうささやかなしあわせ。
心配していた台風は土佐沖を通過したようで たいした被害もなく午後には爽やかな青空が広がった。 難を逃れたとはいえやはり進路が気になってならず どうかどこにも大きな被害がないようにと祈るばかり。
台風が残していった風が吹き荒れる中、いつもの散歩に出かける。 土手の草花たちが緑の波のように大きく揺れていた。 「いのち」が揺れているとふと思う。とても力強く逞しいいのち。
お大師堂には誰かがお参りに来ていて窓から蝋燭の炎が見えた。 しばらく外で待っていたけれどずいぶんと熱心にお経を唱えている様子。 急かすのも気の毒に思えてそっと外からお参りをすることにした。
帰ろうと思ったその時、扉が開いてそのひとに会うことが出来た。 私とさほど歳の変わらないくらいの女性が出て来て挨拶を交わす。 見かけない人だったので地区の人ではなさそうだった。 何か願かけをしているのかもしれず、立ち入った話しは出来ない。 また偶然に会える日もあるだろう。後姿にそっと手を合わした。
夕暮れてあたりが薄っすらと暗くなってきた頃。 今日が「十五夜」であることを思い出しまた土手に上がってみる。 そうしたらちょうど綺麗なお月様が顔を出したところだった。
まんまるお月さま。ほんわかとわたしのこころもまるくなる。
台風17号が不気味に接近していて、明日あたりから影響が出そうだ。 どんなにあがいても自然には逆らえないものだけれど、 どうか大きな被害が出ませんようにとただただ祈るばかりである。
今日はありがたいことに晴天に恵まれていた。 いつもの散歩に出掛けようとしていたところ、 またまた先日のロケ隊が今度は土手で撮影を始めていた。 土手に上がる道はどこもかも通行止めになっていて、 お大師堂のすぐ近くまで行ったものの先に進めなくなった。
ADさんらしき若い青年がいて私はちょっとオバタリアン化。 とにかくすぐそこなので行かせて欲しいと頼んだのだけれど、 土手を横切られては困るからとひたすら頭を下げられる。 「どうして?犬を連れた人が歩いていたら駄目なの?」 それはとても自然な光景に思えた。映ったって良いではないか。 どんなにおばさんだってちらっとテレビに映る権利はありそう。
言い寄る私に青年はとても困った顔をするばかり。 さすがの私もそれ以上は言えなくて仕方なくきびすを返した。
テレビドラマっていつも何気なく見ているけれど、 地方ロケなどをする時はほんとうに大変なのだなと思った。
私のように言いがかりをつける人も少なからずいるだろう。 私も今日は言い過ぎたのかもしれないとちょっと反省をした。
家に帰り二階の自室の窓から撮影の様子をしばらく見ていた。 今日は桐谷君ではなく誰だかわからない女優さんが来ていた。 ドラマが始まったらこれがあの時のシーンだとわかることだろう。 楽しみだなと思う。私の散歩道がドラマの風景になるなんて最高だ。
夕食後、もう薄暗くなっていたのでお大師堂に行くのを諦める。 「行けない日があっても良いじゃないか」夫の言葉にうなずいていた。
何にもこだわっていないと思い込んでいたけれど、
今日の私はすごくこだわっていたのだなとあらためて感じた。
どんな日もあってよし。そう思うことはとても大切なことだ。
| 2012年09月27日(木) |
そしてバーバは途方に暮れる |
いかにも秋らしい爽やかな晴天。 日中の気温は少し高めだったけれど、 湿度が低いせいか暑さを感じることはなかった。
予定通りに川仕事を無事に終える。 まだまだ次の作業が待っているけれどしばらくはお休み。 「こつこつ」という言葉がよく似合うなと思う。 準備にしろ収穫にしろ辛抱強く少しずつ頑張るしかない。 やったらやっただけのことはある。達成感はとても心地よいものだ。
午後は例のごとくごろごろとしていたのだけれど、 思いがけず娘がやって来て少しのあいだ綾菜を預かることになった。 上機嫌の綾菜。あーうーと声を発しながら玩具で遊び続ける。 夫とかわるがわる声をかける。ジージの顔もほころんでいた。
ミルクを飲んでお腹がいっぱいになると少し眠くなったようだ。 ぐずり始めてから母親のいない事に気づくのがいつものパターン。 バーバの抱っこでは気に入らなくてまたまた大泣きになってしまった。
例の子守唄も今日はあまり効き目がない。 途方に暮れるバーバ。なんとかして寝かしつけようと奮闘する。 そのうち腕の力もなくなりへたり込んでしまった。
もう限界と思ったその時、タイミング良く娘が帰って来てくれる。 そうして綾菜を抱っこしたとたんぴたっと泣き止むのだった。
その満足げな顔。お母さん大好きって胸に顔をうずめている。 眠いよう眠いようと甘えているのが一目でわかる瞬間だった。
またおばあちゃんと遊んでくれるかしら。 どんなに泣かれても綾菜と過ごす時間がいちばん嬉しいなあって思う。
お隣の庭に色とりどりのコスモスが咲き始めた。 背高のっぽのコスモスは我が家のブロック塀越に顔をのぞかせ。 家のなかにいても窓から見えるのでとても嬉しくなるのだった。
私のいちばん好きな花。特に白いコスモスが好きでならない。 今年も咲いてくれてありがとう。風と一緒に私もささやいてる。
今日は早朝より川仕事だった。 先々週から始めていた作業だったけれど潮の満ち引きに左右されて、 途中から中断していたのをまた再開したのだった。 二人ですごく頑張ったかいがあり明日でなんとか終りそうである。 心地よい疲れに酔うように午後からはまったりと過ごしていた。
午後四時、散歩の時間。陽射しが思いのほかきつくて汗ばんだ。 けれども土手に上がれば爽やかな風が吹き抜けていて気持ちよい。 きらきらと眩しいほどに光る川面。空を映して真っ青な水の流れ。
こんな道を歩けることが幸せでなくてなんだろうと思った。
自分は恵まれているんだなとつくづくと感じる。
ささやかなことだけれどいつだって感謝の気持ちを忘れないでいたい。
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