| 2012年09月18日(火) |
ねんねんころりよおころりよ |
雨も風もやっとおさまり久しぶりの青空になった。 晴れたら晴れたでまだ残暑が厳しく感じられたけれど、 あちらこちらに彼岸花も咲き始めてやはり秋だなと思う。
お昼前に娘がやって来て午後から綾菜のお守りを頼まれる。 友達とテレビドラマのロケを見に行くのだとはしゃいでいた。 たまには息抜きも必要、夕方までの約束をして綾菜を預かる。
寝かしつけてからいそいそと出掛けて行ったのだけれど、 10分もしないうちに目を覚まし大声で泣き出してしまった。 母親がそばにいない事を知っていているからよけいに泣くようだ。
抱っこしてあやすこと一時間、さすがのバーバも泣きそうだった。 そうだ子守唄を歌ってみよう。ねんねんころりよおころりよ。 あやちゃんのおかあさんはどこ行った。あの山越えて里行った。
10回くらい繰り返しただろうか、やっと綾菜が眠り始める。 子守唄というからには耳に心地よく響くのかもしれない。 バーバもやるもんだなとちょっと悦に入ったりしていた。
よほど眠かったのだろう。ちいさな身体が大きく波打っていた。 そうして時々寝言のような声を出す。その声がなんとも微笑ましい。
ぐっすりと眠ったからと言って目を離すわけにもいかず、 添い寝をしながら昨日の続きの本を読んでいた。
娘が帰宅した時もまだぐっすりと眠っていたけれど、 そのまま連れて帰ると言って今度はチャイルドシートに寝かせた。
見送る時はいつもはらはらとする。わずか10分の距離でも心配になる。 そうしてその後はどっと寂しさがおそってくるのだった。
「また明日ね」と娘。そうだった、明日は先日の検診の再検診に行く日。 今度もバーバは付き添いを許されて朝から娘の家に行く約束をしている。
またすぐに会えるのに寂しいなんて欲張りなバーバだね。
台風の影響で悪天候となる。時折り地面を叩きつけるような雨。 昨夜の強風でお隣のノウゼンカズラの木が無残にも折れてしまっていた。 まだ夏の名残の花を咲かせていてとても好きだった木だけに残念でならない。
川仕事はお休み。敬老の日の祝日をのんびりと過ごす事が出来た。 母はどうしているかしらと電話してみたらパチンコに夢中の様子。 いつも忙しくしている母の唯一の楽しみでもあった。 老人などと言ったら怒られてしまうけれど趣味に没頭できて良かったなと思う。
私はと言えばほんとに久しぶりに文庫本を開いてみた。 この一年ほど眼の疲れがひどく読書から遠ざかっていたけれど。 買ってから読んでいない本がたくさんたまっていたのだった。
案の定、読み始めて5分もしないうちに眼の奥が痛み始める。 けれども読み始めた本のなんと面白いこと。先が気になってしょうがない。 目薬を差しながらとうとう一日中読み続けてしまった。
もともとの読書好き。多少の眼の疲れなどにへこたれるわけにはいかない。 これからも少しずつ好きな本を読み続けようと心に誓ったのだった。
歳とともに出来ていたことが出来なくなるのがほんとに悔しい。 そうしてだんだんといろんなことを諦めていく自分がそこにいた。
出来ない事はしょうがない。けれども出来るかもしれない事がきっとある。
10年後、20年後、老眼鏡のお世話になりながら本を読む私が見えた。
台風の影響だろうか湿った南風が吹き荒れる。 雨はそれ程でもないけれど早く遠ざかって欲しいものだ。
午前中になんとか川仕事を終え、午後からはのんびりと過ごす。 いつもは茶の間のソファーでうたた寝をするのだけれど、 今日は和室の畳の上で大の字になって寝転んでいた。 畳って良いものだなと思う。さらりっとした感触が心地よい。
散歩の時間にはちょうど雨が降り出してしまって。 ついつい怠け心がおきてしまってクルマでお大師堂へ行く。 今日はお参りのおばあちゃん達も来れなかったのだろうか。 鈴カステラがそのままあってちょっと寂しい気分になった。 けれども日めくりの暦はちゃんと16日の日曜日になっていた。 私と同じように毎日必ずお参りに来ている人がいる証拠だった。 顔は見えないけれどお仲間さんがいるのはとても嬉しいことである。
帰宅すると雨も小降りになっていたので、犬小屋のあんずを誘ってみる。 雨の嫌いなあんずだけれど今日はどうやら行きたい気分のようだった。 気まぐれなところは飼い主によく似ている。よういどんをして走り出した。
あんずが元気だと私も元気になる。いっぱい長生きをしようねと誓い合う。
川仕事を済ませて帰って来るなりどしゃ降りの雨になる。 雨音を聴きながら茶の間でまったりとするのも良いものだ。
そんな雨も夕方にはやみいつものように散歩に行くことが出来た。 お大師堂にまたお菓子をお供えする。今日は「鈴カステラ」にした。 たぶんこれもお大師さんの好物だと思う。嬉しいような愉快なような。 先日の「かりん糖」もすぐに無くなっていて、あらまあって思ったっけ。
お大師さんの顔をしたおばあちゃん達の顔が目に浮かぶけれど。 喜んで食べてもらえるのがいちばん嬉しいことだった。 「鈴カステラ」の次は「栗しぼり」にしようかなと考えるのも楽しい。
そう言う私もこのところすっかり食欲の秋だった。 夫の買って来てくれたバウムクーヘン、チョコレートケーキ。 甘い物の苦手な夫の代わりに全部ひとりで平らげてしまった。 それから頂き物の梨。毎日一個と決めてむしゃむしゃ食べている。 好きな物を食べたいだけ食べられるというのはほんとに幸せだことだ。
体重計は見て見ぬふりをしているけれど、このままではいけない現実。 まあなんとかなるだろうと食欲にすっかり負けているこの頃であった。
何を食べても美味しくて次から次へと食べたい物だらけ。
むかし「美味しい顔はどんな顔」ってCMがあったけれど。
わたしの顔はまさにそのまんま。美味しい顔は笑顔でいっぱいだ。
なんだか久しぶりに夕焼けを見たような気がする。 茜色に染まる西の空。土手のススキが影絵のように映る。
ああ平和なんだなってつくづく思った。 平穏無事が何よりの幸せ。こんなにありがたいことはない。
早朝より川仕事。海苔の漁場に杭を打つ作業だった。 撤去作業をしてからわずか三ヶ月。 もう来期の準備を始めなければいけなくなった。
とても重労働だけれども心地よく汗を流す。 夫婦二人三脚の作業が私は好きだなと思う。
お疲れさまと互いを労わる気持ちこそが大切だった。
おとうさん、おかあさんと互いを呼び合うのも微笑ましいこと。
わたしは風になれたかしら。空の一部になれたかしら。
夕焼け空に訊いてみる。こたえはほんわかと胸のなか。
曇りのち晴れ。陽射しがほんの少しやわらかく感じる。 散歩道の土手を歩きながら秋風に吹かれていると。 ふっと自分がなんて自由なのだろうとあらためて思った。
きっと好きなように流れているのだろう。 この道を行かなければいけないという決められた道もない。 道草をしたり寄り道をしたりしながら目の前にある道を歩んでいるだけ。 その道は自分に与えられている道。それはとてもありがたいことだった。
行き当たりばったりかもしれない。それもよし。 そうしていろんなことを見つけられたらそれだけで幸せだと思う。
かつてはあったかもしれないプライドのようなもの。 そのためにもがいたり苦しんでいたのが今は嘘のようだった。
なにもない。あったとしてもそれはほんとうに些細なこと。
そんな些細なことにこだわらない生き方をしたいとつよく思っている。
好きなように歩いていく。好きなように流れていく。
あしたは風になるかもしれない。きっときっと心地よい風。
昨日の夕方のこと。娘が熱を出してしまってちょっと大変なことになる。 育児疲れもあったのだろう。どうやら風邪をひいてしまったようだった。
綾菜の世話もままならないため急遽ふたりで里帰りをすることになる。 なるべく娘に負担をかけないようにとバーバなりに頑張ってみたけれど。 お風呂はなんとか済ませたものの、寝かしつけるのが一苦労だった。 顔を真っ赤にして涙をいっぱい流しながら泣き続ける綾菜。 夜も遅くなりもう限界だと寝ていた娘がとうとう起きて抱っこしてくれる。
母親に抱かれて安心したのだろう。胸に埋もれるようにして眠り始めた。 赤ん坊にとってどんなに母親が大切なものなのか改めて感じたことだった。
結局昨夜は娘が連れて寝ることになり、バーバはお役御免となる。 真夜中に起き出して泣きやしないか心配しながら床に着いた。
今朝のこと、そっとふたりをのぞいてみると寝ている娘のかたわらで。 すっかり目を覚ました綾菜があうあう言いながら独り遊びをしていた。 その顔を見てどんなに安心したことか。なんとも微笑ましい朝の光景。
幸いなことに娘の熱もさがっていてほっとする。 もう一日安静にしていれば良いのに今日の夕方には帰って行ってしまった。
バーバは肩の荷がおりたのと同時になんだか気が抜けてしまった。
みんながどうか元気でいてくれますように今日もお大師堂で手を合わす。
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