その時自分はいったい何処にいて何をしているのだろうと思いながら、 避難場所の高台に向って歩いた。走っている人は誰一人いない。 これが本当のことならみんなパニックになって大変なことだろう。
地震で怪我をして歩けなくなってしまっている人もいるかもしれない。 叫び声や助けを求める人の声。想像を絶する惨劇が目に浮かんできた。
避難場所の真下まで来てとても愕然としてしまった。 高台に上がる坂道が雨で滑って登れないのだと言う。 無理をして登った人が数名いたけれど、 私達は危険なので登らないようにと指示を受ける。
一気に不安が押し寄せる。何のための避難場所なのか。 雨の日が駄目ならもちろん雪の日も辿り着けないだろう。 そんな場所を避難場所だと安心してなどいられないではないか。
地区長さんから説明があり、早急に坂道を補修するとのこと。 避難タワーの建設も予定されていると聞いたが直ぐにではなかった。
もしかしたら今夜かもしれない。明日かもしれない地震に怯える。 そんな日々がこれからも続くのかと思うと生きた心地がしなかった。
なんとしても生き延びなければ、つよくつよく思った一日だった。
ことんと何かが落ちる音。 あれはいったい何の音だったのだろうと考えていた。 もう一度聞いてみればわかるかもしれない。 身構えるように耳を澄ましてみるけれどもう二度と聞こえない音。
あきらめるように扉を閉めた。そんなふうに私の夏が終っていく。
ちょうど一週間前の事、笑顔で会いに来てくれたひとがいた。 今日はそのひとが荼毘にふされる。骨になり灰になって消えていく。
どうして?どうしてなのかとそればかりを思っていたここ数日。 そうして何のチカラにもなってあげられなかった自分を責めていた。
あまりにもあっけない死をどうやって受けとめれば良いのか。 生きてこその人生。その人生を自ら終らせることも人生なのか。
その答えが今日は見つかったような気がした。
なんとやすらかな顔。ほっとしたように微笑んでいる顔。 それがすべてを語っているように思えて心が救われたように思った。
さようならとどうして言えるだろう。 出会ってくれたこと、かけがえのない縁をいただいたのだと思う。
その縁を私は一生忘れることはないだろう。
出会ってくれてほんとにありがとう。またきっと巡り会いましょう。
今日もおひさまはかくれんぼ。 まるで梅雨時のようなお天気がずっと続いている。 夏空をほとんど見られないまま八月も残り少なくなった。
お楽しみの水曜日。喜び勇んで娘の家に行く。 綾菜は朝寝坊をするようになって今朝は無理やり起こしたそうだ。 まだ寝たりないのか少しご機嫌ななめだったけれど。 お乳とミルクを飲むとにこにこと笑ってくれて嬉しかった。
娘が買物に出かけているあいだメリーゴーランドで遊んでいた。 指しゃぶりとタオルしゃぶりを繰り返しそのまますやすやと眠る。 先週のように大泣きしたらどうしようと思っていたからほっと一安心。
寝顔のなんと安らかなこと。見ているとこころがふんわりとあたたかくなる。
娘が帰宅するなり目を覚まし、あーうーと声を出しておしゃべりする。 どんぐりころころの歌にあわせてうつ伏せにするとまるで亀さんみたい。 首がもうすわり始めていてよっこらしょと持ち上げては左右に首を振る。 その姿があまりにも一生懸命なので、娘とふたりで頑張れと声をかけた。
楽しいひと時はあっという間。とても名残惜しいけれどバーバは退散。 また一週間後の約束をして後ろ髪をひかれるように家路に着いた。
もうすぐ生後四ヶ月。ほんとうに早いものだ。 綾菜のおかげでみんなが笑顔でいられる。それはとてもありがたいこと。
またバーバとどんぐりころころしようね。
朝からどしゃ降りの雨。はらはらと怖ろしくなるほど。 雨雲の上のおひさまもどんなにか微笑みたいだろうに。
数日前の夜のこと、ふと古いアルバムを開いてみた。 それは遥か昔の私のアルバム。赤い表紙の小さなアルバム。
写真を撮るのが好きだった父がたくさん撮って残してくれていた。 生まれたばかりの私。母に抱かれて命そのもののように安らいでいる。 そんな写真の数々に母が記したのだろう添え書きがしてあった。
「寝返りが出来るようになりました」「お座りが出来るようになりました」 「少し眠くなったようです」「よく太りましたね」
胸がいっぱいになって涙がぽろぽろとこぼれた。 その頃のことはもちろん憶えていないけれど、なんて懐かしいのだろう。 そうして自分が両親の愛情をいっぱいに受けて育ってきたことを改めて知った。
お父ちゃんありがとう。お母ちゃんありがとう。 それ以外にどんな言葉も見つからなかった。
今日はそのアルバムを母に見せたくなって山里へ持って行く。 母も目頭を押さえながらとても懐かしそうに見入っていた。
どんなに赤い服を着せても男の子と間違われたんだよ。 ほらほらこの服はお母さんが縫った服だよ。
そこにはよちよち歩きを始めたばかりの幼い私がいた。
そんな私にカメラを向けていた父の笑顔が目に浮かぶ。 母は私の名を呼びながらすぐそばにいてくれたのだろう。
私は決してひとりでおとなになったのではないのだとつくづく思った。
今があるのは両親のおかげ。たくさんの感謝をこめてそっとアルバムを閉じた。
くもり時々雨。台風の影響だろうか強い南風が吹き荒れる。 職場の庭には今朝もたくさんの芙蓉の花が咲いてくれて。 風に負けまいと必死に木にしがみついているように見えた。 一日限りの花だけにとても憐れだけれどなんて健気なことだろう。
がんばれ。がんばれ。花を励ませば自分も不思議と元気が出てくる。
帰宅しての散歩道は今にも雨が降りそうな空模様だった。 ついつい急ぎ足になってしまいあんずの道草も今日はおあずけ。 早く帰ろうねとあんずに声をかけてからふっと気がついた。 土手の夏草の中から背伸びをするように若いススキの穂が見える。
まるで少年のようなススキだった。 風に吹かれながら澄ました顔で口笛を吹いているよう。 ボクはここにいるんだ。そっとしておいてよって言っているみたい。
夏の後姿を見送るようにちいさな秋が生まれてくる。
少年もやがておとなになるだろう。季節ごとの命を育みながら。
晴れのちくもり。夕方にはまたにわか雨が降った。 夜風がとても涼しくて窓辺でまったりとこれを記している。
今夜は我が町の花火大会がある。 毎年八月の最後の土曜日にあって夏を締めくくっている。 自分のなかの「夏」はいつもそうして終っていくように思う。 土手にあがり少し遠い空の花火を見るのが楽しみであった。
いく夏を惜しみつつそっとそれを閉じる。 もう開いてはいけないと誰かがささやいている声が聴こえる。
夕立のあと。ひとりのお遍路さんが我が家を訪ねて来てくれた。 初めて会ったのは三年前の真冬。あの日のことは一生忘れられない。 三年間家に帰るなと言われて頭を丸め、辛い修行の旅に出たのだった。 所持金はわずか。托鉢をしながら生き延びていくしか術がなかった。 「俺は乞食か・・」とある公園のトイレで一晩中泣いていたと言う。
一年で挫折。その間に最愛のお母様まで亡くされてしまった。 待っていてくれるはずだった内縁の奥様も去っていってしまったのだ。
高野山に戻りまたお寺での修行が始まったけれど、 自分の考えていた「僧」とはあまりにもかけはなれていたと言う。
何も見えない。いったい自分は何を見つけようとしているのか。
彼はまたお遍路を再開した。三年前とは決して同じではない「こころ」で。
私が忘れずにいたのと同じように彼も忘れずにいてくれて嬉しかった。
今度こそ何かが見つかる。そんな旅であってほしいと心から祈っている。
やっと青空が見えて子供のように嬉しかった。 職場のすぐ裏の田んぼでは今日が稲刈り。 すっかり実った稲があらあらという間に刈られていく。 農家の人達も日和を待ちかねていたことだろう。
稲刈り機がまるでロボットみたいに行ったり来たり。 そんな光景を見ているのがなんだか楽しく思えた。
そうしてあたりを心地よい風が吹き抜けていく。 秋風だねって母がつぶやく。それは確かに秋の匂いがした。
平穏なままに仕事を終え帰宅する。 そんな一日ばかりではないからとてもありがたいこと。 みんなが笑顔でいられることがいちばん嬉しいことだった。
今日はめずらしいことにあんずが犬小屋から出て待っていた。 おしっこ漏れちゃうよの顔。あらあら大変と大急ぎで散歩に出かける。 そうしたら突然雨が降り始めてしまってふたりずぶ濡れになってしまった。
土手のアスファルトがしゅわっと匂う道をふたりで駆け抜ける。 火照っていた身体に雨が心地よい。まるで天然のシャワーのようだった。
はあはあぜえぜえ。たまにはこんな散歩も楽しいなあって思った。
そんな雨もすぐにやみあたりが薄暗くなってくると空にぽっかりお月さま。 真っ二つに割れているのはレモンかな?お月さま久しぶりねって声をかけた。
そうして秋の虫たちが一斉に夜の演奏会を始める。
コウロギさん鈴虫さんこんばんは。私も一緒に歌って良いですか?
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