この炎が見えますか? どうか無事に帰って来て下さいね。 語りかけるように手を合わす夕暮れ時だった。
そうして今度は仏壇に手を合わす。 その時だった。精霊棚の笹が微かに音を立てているのに気づく。 じんじんと鳴り響くような音。 それは笹が風に揺れている音では決してなかった。
「おばあさ〜ん、おじいさんが帰って来たよ」
おもてに居た姑を急いで呼びに行く。 義父が亡くなってもう三十年が経つけれどこんな事は初めてだった。 「おやまあ、今年はどうしたことかね」と姑もびっくりしていた。
ちゃんと帰って来たよと義父がみんなに知らせてくれているのに違いない。 そう思うと感動で胸がいっぱいになった。とても嬉しくてならない。
おじいさんお帰りなさい。みんなで待っていたよ。
息子や娘にも知らせなくては。孫達にどんなにか会いたいことだろう。 そうして綾菜も。初めてのひ孫だからすごく喜んでくれると思う。
おじいさん帰ってきてくれてありがとう。嬉しい夜になりました。
曇り日。風もなく蒸し暑い一日だった。 朝の涼しいうちにと娘の家に綾菜を連れに行く。 一日中のお守りは大変だぞと夫は心配していたけれど。 私はウキウキとした気分でとても楽しみでならなかった。
機嫌よく玩具を手に持ってひとり遊びをしてくれたり、 眠くなってぐずっても抱っこしてあげたらすぐに寝てくれる。 思ったよりずっと楽チンだなって喜んでいたのだけれど、 お腹が空くとやはり最初に母乳を欲しがってちょっと大変だった。 ミルクを作って冷ましている間、あまりにも泣くのでジージが抱っこ。 「ほら、やっぱり大変じゃないか」と言いながらもちょっと嬉しそう。
午後は二時間ほどぐっすりと眠ってくれて私も添い寝をする。 なんとも平和なひと時。綾菜の寝息が耳に心地よく伝わってくる。
そうこうしているうちに娘が早目に迎えにやって来る。 預けっぱなしはやはり心配だそうで落ち着かなかったようだ。
母乳を飲んでいる綾菜の顔はとても満足そうだった。 お母さんのお乳がいちばんなのだなとつくづくと思う。
またこんな一日があれば良いな。おそるおそる娘に訊いてみる。 たまには良いけれどやはり娘の家に私が行くほうが良いようだった。
今度は水曜日。午前中だけのお守りを頼まれる。 それでじゅうぶんと思えないバーバのなんと欲張りなことだろう。
娘と綾菜が帰ってしまうと、なんだか火が消えたように静かな我が家だった。
朝から激しい雷雨になる。 燃えようとしている夏のことを咎めるかのように雨が降る。 ふっと哀しげな夏の後姿を見たような気がした。 けれどもきっとすぐに笑顔で振り向いてくれることだろう。
じゃあまたね。ゆびきりげんまんをして別れたい夏だった。
午後、伯母のお葬式。たくさんの人に見送られて伯母が旅立って行く。 花に埋もれるように微笑んでいる伯母の顔はとても幸せそうだった。 思い残すことは何もないのかもしれない。伯母は天寿を全うしたのだ。
さようならはやはり言えなかった。ただただありがとうと手を合わす。
帰宅してからの散歩道。一輪の野菊が咲いていてはっと足を止めた。 夏草に抱かれてはほっと息をしているようなちいさな秋だった。
夏は追いやられるのではなく、秋を招き入れるのだと思う。
散る花もあれば咲く花もあるのがこの世のならい。
一輪の野菊に思いをよせてそっと指先でふれてみる。
つくつくぼうしが鳴き始めて夏の盛りを過ぎたことを知る。 夏らしい青空もつかの間、今日は突然の雷雨にみまわれる。
早朝に夫のケイタイがけたたましく鳴った。 はっと目に浮かんだのは入院している伯母の顔だった。 やはりそうだった。午前一時頃息を引き取ったという報せだった。
もう長くはないだろうと聞いていただけに覚悟はしていたけれど。 訃報はなんとも寂しいものである。そうか・・夫と二人大きな溜息をつく。
けれども死に顔のなんと安らかなこと。 もう痛みに苦しむ事もない。やっと楽になれたのだと思った。 お盆も近くなり、先に逝った伯父が迎えに来てくれたのかもしれない。
波乱万丈だったと聞く伯母の88年の人生が静かに幕を閉じた。 たくさんの苦労をしたけれど伯母はきっと幸せだったのだと信じたい。
夫は子供の頃からとても可愛がってもらったのだそうだ。 そういえば数年前のお正月に伯母からお年玉を貰ったことがあった。 夫はとても照れていたけれど、伯母にとってはいつまでも子供だったのだろう。
そのお年玉を何かのカタチにして返そうと思っていたけれど、 いつのまにか夫のお小遣いになってしまってそのままになってしまっていた。
それも今となっては微笑ましい思い出である。
「緑」という名の伯母の事を私達は「みどおばちゃん」と呼んでいた。
みどおばちゃんどうもありがとう。どうか天国でこれからも微笑んでいてね。
朝から蝉の大合唱。残暑の厳しい一日となる。 どんなに暑くても青空が子供のように嬉しかった。
今は亡き祖父母の家で過ごした夏をふと思い出す。 川遊びの楽しかったこと。スイカが美味しかったこと。 何よりも優しかった祖父母の面影が懐かしくてならない。
お盆も近くなった。祖父母に会えたらどんなに良いだろうか。
平日だったけれど午前中は孫の綾菜と過ごしていた。 娘からお守りを頼まれるとほんとうに嬉しくてならない。 笑顔と寝顔。見ていると愛しさがあふれんばかりに込み上げてくる。
長生きをしたい。祈るように思っていた。 この子の成長を見届けたい。せめて二十歳になるまでは。 そう思えばひ孫の顔も見たくなるのは欲と言うものだろうか。
あと二十年。長いようであっという間に歳月が流れてしまうかもしれない。 私はいったいどんなおばあちゃんになっていることだろう。
なんとしても生きていたいものだ。いや生きていなくてはいけないと思った。
命のろうそくが消えないようにそっと手をかざす。
そんな日々がこれからも続くことだろう。
早いもので暦の上では今日からもう秋。 なんとつかの間の夏だったのだろうと少しさびしい。
今朝の青空も午後にはすっかり曇ってしまって。 山里ではヒグラシがとてももの哀しく声を響かせていた。
そうして庭の紫式部の花もいつのまにかたわわな実になり、 ひっそりと紫色に色づくのを待っているようだった。
確実に季節は移ろっていく。夏も「残暑」の衣を羽織ったのだ。
職場は昨日の緊張感が薄れてほっとするような一日となる。 何事もなんとかなる。そう思う気持ちが大切なのだとつくづく思った。 荒波に揉まれてばかりではない。穏やかな日もちゃんとあるのが嬉しい。
帰宅してからの散歩道。深呼吸をしたくなるほど心地よい風に吹かれる。
やがてその風も秋風に変わることだろう。
急ぐことなくゆっくりとゆっくりと歩いていきたい。
ここ数日ぐずついたお天気が続いていたけれど、 今日は夕方近くにやっとおひさまが顔を出してくれた。
山里ではそろそろ稲刈りが始まりそうだった。 農家の人達も晴天を待ちわびていることだろう。
職場でちょっとしたアクシデントあり。 にっちもさっちもいかない事で皆で頭を悩ます。 いつもはあっけらかんとしている母も。 今日ばかりは深刻な表情をしていた。
すると一匹の蟹が事務所にひょこひょこと入ってきた。 沢蟹のようだったけれどいったいどこから歩いて来たのだろう。 真っ先に見つけた母が座り込んで蟹と話しを始めた。
その様子がなんとも微笑ましくて皆の顔が一気に明るくなる。 「ここにいたらあんた死んでしまうよ」母は蟹を手のひらで包み込んだ。 そうして近くの側溝のあたりまで連れて行き無事に放してあげたのだった。
そんなちょっとした出来事が今日はとても嬉しく感じた。
蟹さんこちら手のなるほうへ。どうかまた遊びに来てね。
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