週末のお楽しみ。孫の綾菜と過ごす一日。 一人遊びが出来るようになってからお守りもずいぶんと楽になる。
ぐるぐると回るメリーゴーランドのような玩具がお気に入りで。 つぶらな瞳でじっと見つめているかと思えば手を出して触れようとする。 これからいろんな物に興味を示すようになるだろう。楽しみなことだ。
綾菜の成長はもちろんのこと娘がとても母親らしくなってはっとする時がある。 特に我が子に話しかけている様子はとても微笑ましくてならなかった。 母親の愛情がいっぱい。そのすべてが綾菜に注がれているように思う。
娘が赤ちゃんだった頃、私もこんなふうに話しかけていたかしら。 思い出そうとするのだけれど、何ひとつ思い出すことが出来なかった。 母乳を飲ませた記憶さえない。いったいどうやって育てていたのだろう。
気がつけば歩き始めていた。そうしてお兄ちゃんの後を追い掛けていた。
愛情不足だったかもしれない。私は育児に疲れていたのかもしれない。 それなのに素直で明るいまるでひまわりのような娘に育ってくれた。
もう30年も昔のこと。私はひまわりの種など蒔く余裕さえなかった。
それはきっと娘がこの世に生まれた時に握り締めていたのだろう。
今日もにわか雨。夏空はしばらくおあずけのようだ。 かくれんぼばかりのおひさまも「もういいよ」って言っているみたい。
蒸し暑い一日だったけれど、夕方土手にあがると思いがけない涼風だった。 そんな風に吹かれながらあんずと一緒に心地よく散歩をする。
あんずは日に日に元気になっていて今日は駆け足。 すごいね。えらいねって声をかけながらあんずを追いかけるように歩く。
お大師堂に浜木綿の花が咲き始めた。 大きな蝋燭のようなつぼみが開くとまるで白装束のお遍路さんのようだ。 ふっとSさんのことを思い出す。修行僧のお遍路さんだった。 最後に会ったのは去年の夏。また会いましょうと言って別れたきりだった。 あの時も浜木綿の花が咲いていたっけ。Sさんの面影をその花に重ねた。
縁と言うものは儚いものなのかもしれないけれど。 決して粗末には出来なかった。忘れない大切な思い出になり心に残る。 そうして出会ってくれたこと。それはほんとうにありがたいことだった。
Sさん元気にしていますか。お大師さんがきっと伝えてくれるだろう。
梅雨明けはしたものの不安定なお天気が続いている。 台風の影響なのかもしれない。今日もにわか雨が降ったりやんだり。
山里にいると雨が降りやんだ時にヒグラシの鳴き声が聴こえてくる。 他の蝉の声とは違ってなんとも物悲しくせつない鳴き声だった。
悲しいことはなにもないけれど、ふっと胸が締めつけられるようになる。 もうとっくの昔に忘れてしまっていた事を思い出してしまいそうになる。
過去と言うものはめんどうなものだ。もうこんなに遠くまで歩いてきたのに。
ヒグラシを日暮しとしてみるとなんだか納得して頷いている自分がいる。 日暮しで良いのかもしれない。たくさんの日々を重ねて生きてきたのだもの。
今日もありがとうございました。お大師さんに手を合わす。
私はすくっと前を向いている。もっともっと生きたいとつよくおもう。
ご近所の庭に今年も百日紅の花が咲いた。 そのお宅の老夫婦が亡くなって何度目の夏なのだろう。 年に何度かは県外に住む息子さんが帰って来ているけれど、 いつもは雨戸も閉じられひっそりとした空家であった。
その庭を毎年彩る百日紅。見ているとなんだか胸が熱くなる。 住む人も愛でる人もいないというのにその木はしっかりと生きている。
散歩の帰り道、あんずと一緒にその木を見上げた。 今年も咲いてくれたのね。こんなに綺麗に咲いてくれたのね。
夏を彩る花はとてもたくましい。力強くて生き生きとしている。 夏の太陽がどんなに照りつけても命の炎のように咲いてくれるだろう。
あんず。今日は夕涼みが出来たせいか昨日よりもずっと元気だった。 やはり暑さが堪えているのだろう。日中の散歩は控えたほうが良さそうだ。 一時はどうなることやらと心配していたけれど、きっと大丈夫だと思う。
明日も夕涼みしようね。母さんと一緒に夕風の中を歩こうね。
そうして百日紅の花をまた一緒に見上げようね。ゆびきりげんまんだよ。
空は晴れているのに時おりパラパラと雨が降ったりしていた。 かなりの蒸し暑さだったけれどそよ吹く風にずいぶんと助けられる。
日曜日を家で過ごすのはほんとに久しぶりのこと。 汗を流しながら掃除をしたり、ゆっくりと買物にも行けた。
午後、娘が綾菜を連れて遊びに来てくれた。 おばあちゃんはしょっちゅう会っているけれど、 おじいちゃんもたまにはねと娘のはからいであった。
夫の嬉しそうな顔。どんなにか会いたかったことだろう。 抱っこして話しかけている姿を見るとなんとも微笑ましかった。
ひいおばあちゃんにも会いに行って抱っこしてもらう。 手が少し不自由な姑も愛しそうに抱きしめてくれた。
みんなの笑顔と綾菜の笑顔。今日はひまわりのような一日だった。
そうして眠ってしまった綾菜は夕方になっても目を覚まさなくて。 とうとう仕方なく娘が抱き上げて無理やり起こしてしまった。
私はまた明日会えるけれど、夫はとても名残惜しそうだった。
「バイバイまたね」って綾菜の手を娘が振って帰って行ってしまった。
私が娘の家に通うのも良いけれど、たまにはこんな日もあれば良いなと思った。
我が家にひまわりが咲く。たくさんの笑顔が咲くのはほんとに嬉しい。
おとなりの九州では大変なことになっているというのに。 四国はなんと恵まれていることだろうとつくづくと思う。
あいかわらずの梅雨空が続いているけれど幸いなことに豪雨にはならず。 今日は薄っすらと陽も射してくれて穏やかな一日となった。
娘の家で過ごす土曜日。 楽しみにしているせいか、週末が来るのがとても早く感じる。 喜び勇んで駆けつけては綾菜と過ごせる時間がとても嬉しくてならない。
会うたびに豊かになる表情。綾菜が笑ってくれると顔がほころぶ。 綾菜の目にはどんなふうに映っているのだろう。しわくちゃ顔の私。
一日が過ぎるのもとても早く感じる。あっという間に夕方が近くなる。 大急ぎで帰宅しては犬小屋で寝ているあんずの様子を伺っていた。
リードを見せて「行けるかな?」と声をかけると「行こうかな」と出てくる。 今日は昨日よりも少し元気そうだったので、お大師堂まで連れて行った。 「えらかったね」とほめてあげてお大師さんからまたお菓子をいただく。
帰り道はちょっと大変だった。途中から歩くペースがすっかり落ちる。 休み休みやっと家に帰り着いたけれど、無理をさせてしまったかもしれない。 散歩は短めにするようにと夫からも言われた。お大師堂は遠過ぎたようだ。 けれどもお大師さんのお菓子を食べているあんずはとても嬉しそうだった。
歩かずにいるとどんどん歩けなくなってしまうのではないか。 それは人間だって同じだと思う。もう無理のきかない身体だとしても。 毎日少しずつ歩いていればきっとまたたくさん歩けるようになる気がする。
あきらめないでいようね。がんばろうねあんず。
山里の職場の庭に純白の芙蓉の花がたくさん咲いていた。 あいにくの曇り空だったけれど空に向かって微笑んでいるよう。
芙蓉は確か一日で萎れてしまう花ではなかったか。 そう思うとなんだかよけいに愛しさが込み上げてくる。
けれどもたくさんの蕾。明日もきっと咲いてくれるだろう。
帰宅すると久しぶりに息子が顔を見せてくれた。 いつもの愚痴もなく明るい表情にほっとする。 三人でわいわい言いながら夕食を食べた。 例のごとく食べ終るとすぐに帰ってしまうのだけれど。 「しんちゃん、またいつでも来たや」と慌てて声をかける。
嵐のような子だねと夫と顔を見合わせて微笑みあった。 そうそう、いつも風のように去って行くのだものね。
あんずの晩ご飯。今日は好物の竹輪にしてみた。 ドックフードは見向きもしないのでしばらくは好物ばかり。 思ったとおり飛びつくように食べてくれたのだけれど、 急いで食べたのがいけなかったのか喉に詰まらせてしまった。 しばし苦しんだあげく結局吐き出してしまったのだった。 いくら好物でも竹輪はもう駄目かな。柔らかいものにしないといけない。
少しずつ元気になっているようでもまだ本調子ではないようだ。 けれども昨日よりも少し多く歩けるようになってほっとしている。
彼女も辛いだろうと思う。好きな物を食べられなくなったり。 大好きな散歩道を思いっきりぐんぐんと歩けなくなってしまったり。
出来ていた事が出来なくなるという事はほんとうに辛いことなのだ。
彼女の老いを自分に重ねる。出来ないことは仕方ないこと。
それにこだわってはいけない。まだ出来ることはきっとたくさんある。
|