山里の職場の庭に純白の芙蓉の花がたくさん咲いていた。 あいにくの曇り空だったけれど空に向かって微笑んでいるよう。
芙蓉は確か一日で萎れてしまう花ではなかったか。 そう思うとなんだかよけいに愛しさが込み上げてくる。
けれどもたくさんの蕾。明日もきっと咲いてくれるだろう。
帰宅すると久しぶりに息子が顔を見せてくれた。 いつもの愚痴もなく明るい表情にほっとする。 三人でわいわい言いながら夕食を食べた。 例のごとく食べ終るとすぐに帰ってしまうのだけれど。 「しんちゃん、またいつでも来たや」と慌てて声をかける。
嵐のような子だねと夫と顔を見合わせて微笑みあった。 そうそう、いつも風のように去って行くのだものね。
あんずの晩ご飯。今日は好物の竹輪にしてみた。 ドックフードは見向きもしないのでしばらくは好物ばかり。 思ったとおり飛びつくように食べてくれたのだけれど、 急いで食べたのがいけなかったのか喉に詰まらせてしまった。 しばし苦しんだあげく結局吐き出してしまったのだった。 いくら好物でも竹輪はもう駄目かな。柔らかいものにしないといけない。
少しずつ元気になっているようでもまだ本調子ではないようだ。 けれども昨日よりも少し多く歩けるようになってほっとしている。
彼女も辛いだろうと思う。好きな物を食べられなくなったり。 大好きな散歩道を思いっきりぐんぐんと歩けなくなってしまったり。
出来ていた事が出来なくなるという事はほんとうに辛いことなのだ。
彼女の老いを自分に重ねる。出来ないことは仕方ないこと。
それにこだわってはいけない。まだ出来ることはきっとたくさんある。
| 2012年07月12日(木) |
明日のことはまたあした |
今朝もどしゃ降りの雨。 大雨洪水注意報も出ていてはらはらと怖くなった。
そんな雨の中、あんずを動物病院へ連れて行く。 もうしばらく様子を見てからと思っていたけれど、 今朝もあまりにもぐったりとしていて一気に不安になってしまった。
立ち上がることが出来ないので抱いたまま連れて行った。 その重み。そのぬくもりこそが彼女の生きているあかしでもある。
足や腰には異常がなく、血液検査も正常値であった。 少し微熱が出ているのも老犬には珍しくないとの事。 元気と食欲が出る注射を二本打ってもらって帰って来た。 やはり単なる疲れだったのだろう。病気でなくてほんとうに良かった。
帰宅するなり驚いたのはクルマからおりるなり自分で歩こうとしたこと。
そうしていつもおしっこをしている土手まで行きたがった。
よろよろとした足取りだったけれど、ほんの少しだけ歩くことが出来る。 これには夫とふたり手を叩きたいほど嬉しくてたまらなかった。
もしかしたら食欲もあるかもしれない。大好きな食パンを食べさせてみた。 これも一枚ペロっと食べてくれる。良かった、ほんとうに良かった。
夕方の散歩はまだ無理かなと思ったけれど声をかけてみたら犬小屋から出て来る。 そうして「ちょっとだけなら行っても良いよ」みたいな顔をして見せた。
ほんとにちょっとだけ。お大師堂までは歩けなかったけれど。 途中の道端に繋いでも嫌がらずおとなしく待っていてくれる。
「はい、ごほうびのお菓子」お大師さんにお願いしてお供えしてあるお菓子を貰って来た。
そうしたら嬉しそうにピョンピョンと跳びはねてくれたではないか。
お菓子なんて久しぶりだもんね。お大師さんのお菓子は美味しいね。
明日のことはまたあした。きっと今日よりも元気になっているからね。
やはり梅雨空がもどってきてどしゃ降りの雨になる。 地面を叩きつけるような雨。空が暴れているようだった。
そんな雨も午後には小康状態になりほっとする。 帰宅した頃には雨もやんでいていつもの散歩の時間になる。
けれどもあんずは今日もまだ元気がなくて。 犬小屋に閉じこもってぐったりと寝ていた。 薄っすらと目を開けて私の顔を見ているけれど。 それ以上の反応がない。起き上がろうとしないのだ。
もしかしたら狂犬病の注射が原因かもしれない。 動物病院に電話してみたら、そんな前例はないとのこと。 2、3日様子をみて変わらなかったら連れて来るように言われた。
やはり単なる疲れだろうか。それならばきっと元気になってくれるはずだ。 あんなに元気だったあんずが突然弱ってしまうなんてなんとも心配なこと。
晩ご飯も丸二日何も食べていなかった。お腹が空いているだろうに。 もしかしたら夜中に食べてくれるかもしれないとそっとそばに置いておく。
このまま見守るしかないぞ。夫の言葉にうなずいていた。 せめてご飯を食べてくれたら少しは元気になってくれるだろうに。
15年前の秋のこと。彼女は遠いところから我が家にやって来た。 その朝まで母犬に甘えていただろうに突然クルマに乗せられてしまって。 「姉ちゃん頼むよ」弟一家はあんずを置き去りにして帰って行ったのだった。
その夜からながいことあんずはずっと泣いていたっけ。 お母さんが恋しかったことだろう。おまけに室内ではなく庭に繋がれてしまった。
その時の彼女の寂しさ。戸惑いを思い出すと胸がいっぱいになる。
そうして我が家の一員になり末娘としての暮らしが始まったのだった。
年を重ねるということ。老いると言うことは犬にだってせつないことだと思う。
辛い、苦しい、しんどい、何ひとつ言葉を発せられない彼女。
そうか、そうか疲れたんだね。大丈夫だよきっと元気になるから。 そうやって頭を撫でてあげることしか出来ない母さんだった。
ここしばらく晴天が続いていたけれど。 また明日から梅雨空に戻ってしまうのだそうだ。 どうやら梅雨明けはもう少し先になってしまいそうだった。
朝の涼しいうちにとあんずを動物病院へ連れて行く。 クルマに乗るのをとても嫌がるのはいつものことで。 軽トラックの荷台になんとか乗せてやっと連れて行く。
病院でも尻込みをして怖がって暴れてばかり。 クルマに乗せられたら病院だとすっかり覚えているようだ。
看護師さんに無理やり押さえつけられて狂犬病の注射。 フィラリアの血液検査も異常なしで予防薬をもらってきた。
帰る時にはケロッとしていてげんきんなもの。 けれどもあんずの病院嫌いにはほんとに参ってしまう。
夕方の散歩の時間。今日はいつもの甘えた声が聞こえなかった。 寝ているのかな?犬小屋をのぞいてみてびっくりしてしまった。 目は開けているけれどすごくしんどそうに横たわっている。 何度声をかけても立ち上がろうとはしなかった。 こんなに弱っているあんずを見たのは初めてのこと。 心配でならずしばらく様子を見ていたけれど何も変わりない。
ほぼ一年ぶりの動物病院、クルマに乗せられた疲れだろうと夫が言う。 それだけ年をとったと言う事だろうか。なんだかすごくせつなくなった。
晩ご飯を持って行っても寝たきりで見向きもしなかった。 手のひらにドックフードをのせて食べさせようとしたけれどそれも駄目。
大丈夫さ。明日になったら元気になっているからと夫が言うので。 「おやすみね」と声をかけてそっと犬小屋を離れる。
いつも元気溌剌のあんず。私よりも歩くのが早いあんず。
明日はいつものようにきゅいんと呼んでね。
そうして母さんと一緒にまたいつもの散歩道を歩こうね。
夕暮れ間近、何気なく窓の外を見ていたら。 重そうな荷物を背負った若いお遍路さんが土手を歩いていた。 どうやらお大師堂に向っているようでほっと嬉しく思う。
ほんとうは追いかけて行って声をかけたかったけれど。 それも間に合わず後姿に「お疲れさま」と手を合わせた。
水道のないお大師堂。顔を洗いたいだろう、足も洗いたいだろうと。 なんとも申し訳ない気持ちになりながらも歓迎する気持ちが大きい。
夕方行った時に少し掃除をしておいた。良かったなってすごく思う。 なんだかまるで自分の家の一部のように思ってしまうのだった。
はるか昔。夫がまだ少年だった頃の話だけれど。 我が家は善根宿のようなことをしていたのだそうだ。 その頃の家はもう新築されて面影もないのだけれど。 「こんまい部屋」という四畳半ぐらいの離れがあった事を覚えている。 こんまいとは方言で「小さい」という意味だった。 その小さな部屋がお遍路さんの泊まる部屋だったらしい。
お遍路さんのお世話はもっぱら祖父母がしていたとのこと。 食事は質素な物だったらしいが、お風呂だけはしっかりと入ってもらえたそうだ。
その話を夫から聞いたのはつい最近のこと。 私は胸がいっぱいになって涙が出そうなほど感動したのだった。
今の我が家にはもちろんもう「こんまい部屋」はないけれど。 祖父母の意志を継ぐことは出来ないのだろうかとふと考える。
「無理だよ」と夫の一言。馬鹿な事を考えるなよとも言われた。
けれども私はすっかり諦めてしまったわけではない。 もしかしたら・・・と今もそう思っている。
せめてお風呂だけでも。その気持ちはずっと変わらないと思う。
梅雨明けを思わすような爽やかな青空がひろがる。 気温もさほど高くならず過ごしやすい一日だった。
洗濯物を干してから娘の家に行き。 またそこでも洗濯物を干す家政婦であった。 そんなちょっとした忙しさが今は嬉しくてならない。 何もしなくても良いと言われたら涙が出てしまいそうだ。
綾菜をあやしながら過ごす時間。 にっこりと笑ってくれるとほんとに嬉しい。 泣きながら生まれた子が笑うことをおぼえる。 当たり前のことなのかもしれないけれど。 そんな成長に感動せずにはいられなかった。
帰宅すればあんずがきゅいんと泣いて散歩をせがむ。 彼女は年を重ねるごとに子犬のように甘えるようになった。 去年の今頃は足の手術をして大変だったことを思い出す。 このまま弱ってしまうのではないかしらと心配していたけれど。 それまで以上に元気になって今では老犬である事も忘れてしまうほど。
今日もグイグイとリードを引っ張って私よりも先に歩いて行く。 苦手なはずのお大師堂だというのに目指すように進んで行くのが不思議。 そうしてそこで繋がれているあいだまるで山羊のように泣くのが日課だった。
それが嫌で連れてこない日が続いていたけれど、最近は気にならなくなった。 泣きたいだけ泣けばいいと思ってみたり、仕方ないと諦めてみたり。
土手を吹き抜ける心地よい南風に吹かれながら家路につく。
明日はどんな風が吹くのかしら。風にまかせてみるのもよいかなと思う。
茜色に染まる空を久しぶりに見たような気がする。 夕風が心地よい。窓からは土手を散歩する人が見えている。
昨夜は真夜中から激しい雷雨になり今朝まで続いた。 稲妻とどしゃ降りの雨にはらはらしながら過ごしていたけれど。 雷雲が通り過ぎた後は嘘のように静かになりお昼前には青空が見えた。
例のごとく娘の家で過ごす一日。 あやすと綾菜が笑うようになりとても嬉しかった。 いないいないばあはまだ少し早そうだけれど。 名前を呼んでいろんな仕草をして見せるとにっこりと笑ってくれる。 まるで天使の微笑み。愛しさがこみ上げてきて目頭が熱くなるほど。
どうかこの子がこれからも健やかに育ってくれますように。 七夕にひとつだけ願いごとをというなら他には考えられなかった。
その反面、昨年の七夕に被災地の子供が書いた短冊のことを思い出す。
「お母さんがはやく見つかりますように」
今年はその後の報道が全くと言っていいほどなかった。 それで良いのか。そんなふうに忘れてしまっていいのかと心を痛める。
その子供は今年も同じことを願ったのかもしれない。
私たちはいちばん身近なことにばかり気をかけてしまう。 それはどうしようもなくて、それが決していけないことではないのだけれど。
「願う」という気持ち。もっともっと手をあわさなければいけない。
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