| 2012年04月23日(月) |
吹き抜ける風のように |
昨日の雨がうそのように素晴らしくよく晴れる。 雨上がりの清々しい朝の空気。心地よく吹き抜ける風。
冬のあいだ閉めきっていた北側の窓も開けて風を呼び入れる。 娘の部屋も窓を全開にして押入れにしまい込んであったお布団を干す。
洗濯物もいっぱい。靴下を干すのがなんだか好き。楽しいなあって思う。
ふと見上げたツバメの巣。どうしたことかここ数日姿が見えない。 例年ならもう卵を抱いている頃なのに、いったい何処に行ったのだろう。 悪い方に考えれば不吉な予感がしてしまう。こんな年は初めてだった。
けれども楽観的に考えれば、二羽が仲たがいをして別れてしまったのかも。 そうしてまた新しいお嫁さんをさがして飛び回っているのかもしれない。
「大丈夫、また帰って来るさ」彼は少しも気にならない様子で笑っている。 私もそう信じようと思う。帰って来てねって祈るように空を見上げている。
些細な事なのかもしれないけれど。いつもと違うというだけで不安になるもの。 気になり始めるととことん気になるのが私の悪い癖だった。
そんなちいさな心配事をのぞけば今日も平穏無事でありがたいこと。 いったい何が足りないと言うのだろう。欲張りだなって自分を戒める。
お大師堂でまた顔見知りのお遍路さんと再会した。 このひとは笑顔を見せないひと。いつも気難しそうな顔をしている。 最初のうちはちょっと苦手だなって思ったけれど、今日は嬉しかった。 人と会うのが好きではないのですよと言いながらいっぱい話してくれる。 なんだかすごく固い殻をかぶっているようでも私には心を開いてくれている。 そう思えるのは、辛かったこと嫌だったことばかり話してくれるからだった。
元気でね。また会いましょうねって言ってもその人は決して微笑まない。
「ああ、うん」という感じですごくそっけないところが魅力かもしれない。
人それぞれ。いろんなお遍路さんがいるものだ。
その人もいつかきっと微笑んでくれるような気がしてまた会える日を待っていたい。
雨風ともに強くまたもや嵐のようないちにち。 海が荒れているのだろう海鳴りが響き渡っていた。
少女の頃、海辺の町に住んでいたことがあった。 ごうごうと海が鳴ると胸がどきどきして眠れなかったり。 荒波が渦のようになって心をかき乱しているように感じた。
多感だった少女時代。今となっては遠い遠い昔話だけれど。
今日も川仕事はお休み。ゆっくりと骨休みをする。 雨音を聴きながらまったりと過ごすのもまた良いものだ。
夕方には雨も小降りになりぴちぴちちゃぷちゃぷと散歩に出掛ける。 雨に濡れた緑がいっそうと濃くなり、雨粒が真珠のように光っていた。
川は濁流。清流も雨には勝てない。それがありのままの姿だった。 けれども少しも嘆いてはいないように海を目指してひたすら流れる。
「ありのまま」とはきっとそういうことだろう。
いつも綺麗にいつも穏やかにとは誰も押し付けることなど出来ない。
お大師堂から帰り、今度は犬小屋にこもっているあんずを誘う。 晴れている日はすぐに飛び出して来るのに今日はなかなか出て来ない。 やっと顔を出した彼女はいかにもめんどくさそうにのそのそと出て来た。 おしっこは?うんちは?と訊いているのに「どうでも良いわ」の顔だった。
傘をさし掛けてあげて濡れた道をとぼととぼと歩く。 いきなりぴょんと飛び越えたと思ったら、そこには白つめ草の花。 踏んづけては可哀想と彼女も思ったのだろうか。 偶然だったかもしれないけれどそれがとても嬉しく思えてならなかった。
雨が降ったりやんだり。南風が強く吹いていた。
川仕事はお休みにして今日は休養日。 特に何の予定もなくぽっかりと空いたような一日。
娘がいつ泊まりに来ても良いように部屋の掃除をする。 もう2年半にもなるのか。娘の部屋はあの時のままだ。 残していった小物類。壁に貼られた昔の写真など懐かしい。
そうしてあの時のなんともいえない寂しさを思い出した。 娘がいなくなってしまった部屋でぼんやりと座りこんでいたこと。 落ちていたヘアピンさえも愛しく涙がぽろぽろとこぼれたことなど。
そんな娘がこの部屋に帰って来る。綺麗にしてあげなくちゃ。 掃除機をかけて拭き掃除もし、いつでも帰ってこられるようにした。
赤ちゃんが生まれたらひと月は一緒に暮らしてくれるのだそうだ。 おばあちゃんは大忙しになりそうだけれどそれも楽しみでならない。
気がつけば娘のことばかり考えていた一日だった。 長い陣痛の末やっと生まれてくれたこと。 大きな病気こそしなかったけれどよく怪我をしたこと。 おてんばさんだったのだなあと子供の頃のことを思い出した。
そんな娘がもうすぐ母親になる。 なんだか信じられないような不思議な気持ちになった。
あっという間に流れてしまったような歳月。
その歳月がとても愛しくてならない母であった。
やはり「たけのこ梅雨」なのか。 灰色の重たい空から霧のような雨が時おり降ってくる。
少しぐらい濡れても気にならない雨はありがたく。 いつも通りに散歩に行く。土手の野アザミがたくさん咲いて嬉しい。
帰宅すると娘夫婦が待っていてくれた。 たくさんの荷物。赤ちゃんのお布団、お風呂セット。 哺乳瓶やお尻拭きシートまで揃えて準備は万端である。
それからチャイルドシート。取り付けがちょっと難しくて。 お婿さんとおじいちゃんが二人がかりでやっと取り付けが完了。
出産予定日まであと三週間となった。 赤ちゃんはもう2700グラムになっているらしくいつ生まれても大丈夫。 お婿さんの仕事が深夜ドライバーなので夜は里帰りになりそうだった。 夜中に産気づいたらと心配でならす、そのほうがずっと安心だなと思う。
娘達が帰ってから赤ちゃんのお布団を広げてみた。 ちっちゃな枕。ふわふわしていてやわらかくてなんともいえない。
そこにまだ見ぬ孫を寝かせてみてお布団を撫でてみるおばあちゃん。
あと少し、もう少し。どうか元気な産声を聞かせて欲しいとひたすら願っている。
午後から雨になる。しっとりとやわらかな雨。
そろそろ菜種梅雨かしらと思っていたら。 テレビで「タケノコ梅雨」だと言っているのを聞いてなるほどとうなずく。 日本人ならではの言葉はなかなかおもしろいものだなと思った。
そのうちケロっとした顔で帰って来るさ。 父と母が噂していたら今日がその日になったようだ。 先日から風邪をこじらせていた息子が「晩飯!」と言って帰って来る。 まだ少し咳をしていたけれど元気になったようでとてもほっとした。
怒って母を追い返した事などすっかり忘れているようす。 「おぼっちゃまおかえりなさいませ」とおどけてみせる母であった。
三人で夕食。笑顔が何よりのごちそうになる。 「おかわり」と言って差し出されるお茶碗が嬉しくてならない。
友達から転職の話を持ち出されたけれど断ったのだそうだ。 辛い辞めたいとずっと言っていたのに、今のままを選んだ息子。
今の職場で学んだこと。そうしていろんなことを受けとめてきたのだと思う。
そんな息子にこれからもエールを送り続けたい父と母であった。
いつだって見守っているよ。口には出さないけれどそれが精一杯の愛。
お天気はまた下り坂のよう。 ひたひたひたと忍び足で雨が近づいている。
春はふかまりあたりじゅうの緑が匂ってくる。 特に好きなのは柿の葉の透き通るような緑だった。 なんともいえない淡い緑が目にも心にも沁みてくる。
ふと思ったのはいのちの色。 もしもいのちに色があるのだとしたらきっとそうにちがいない。 そう思うとよけいに愛しくて胸のあたりをぎゅっと抱きしめたくなる。
わたしのいのちは枯れ葉ではないのだと思うと元気が出てくる。 どんなに年を重ねても春になるたびに若葉になれるいのちだもの。
そう思ってみませんか?生きている限り何度だってめぐってくる春に。
胸をはって歩く散歩道でわたしは生まれ変わったような気持ちになった。
霧の朝。ぼんやりとくすんだ空に朝陽が差し始める。 そうして霧が晴れると雲ひとつない青空が広がっていた。
例のごとく早朝から川仕事。午前7時には川の中にいた。 今日は終ってもくつろいでなどいられない。そう思うと。 なんだか気忙しくていつも以上に張り切ってしまった。
さすがに疲れる。でも大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かして。 作業が終るなりクルマに飛び乗り山里の職場へと向った。
峠道で追い越すお遍路さん。ひとりひとりに頭をさげる。 みんなマイペースで歩いている。誰一人先を急いではいない。 その姿を見てはっとする。私は何を急いでいるのだろうと思った。
やらなければいけないことがあるのだとしても。 やれるだけで良いのではないかとふと気づいた。
おかげでせかせかとした気持ちがずいぶんと楽になる。
「すまないねえ」母に何度その言葉を言わせてしまうのだろう。 それは私の仕事。ほったらかしにしている自分がいけないのだった。 そのぶん母に苦労をかけている。「すまないねえ」は私の言葉である。
出来ることを精一杯。ああなんとかなったなとほっとした一日だった。
どんな日もあるけれど、その日に与えられていることを頑張る。
よしよし、よくやったねと自分をほめてあげるのも大切なこと。
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