雨風ともに強くまたもや嵐のようないちにち。 海が荒れているのだろう海鳴りが響き渡っていた。
少女の頃、海辺の町に住んでいたことがあった。 ごうごうと海が鳴ると胸がどきどきして眠れなかったり。 荒波が渦のようになって心をかき乱しているように感じた。
多感だった少女時代。今となっては遠い遠い昔話だけれど。
今日も川仕事はお休み。ゆっくりと骨休みをする。 雨音を聴きながらまったりと過ごすのもまた良いものだ。
夕方には雨も小降りになりぴちぴちちゃぷちゃぷと散歩に出掛ける。 雨に濡れた緑がいっそうと濃くなり、雨粒が真珠のように光っていた。
川は濁流。清流も雨には勝てない。それがありのままの姿だった。 けれども少しも嘆いてはいないように海を目指してひたすら流れる。
「ありのまま」とはきっとそういうことだろう。
いつも綺麗にいつも穏やかにとは誰も押し付けることなど出来ない。
お大師堂から帰り、今度は犬小屋にこもっているあんずを誘う。 晴れている日はすぐに飛び出して来るのに今日はなかなか出て来ない。 やっと顔を出した彼女はいかにもめんどくさそうにのそのそと出て来た。 おしっこは?うんちは?と訊いているのに「どうでも良いわ」の顔だった。
傘をさし掛けてあげて濡れた道をとぼととぼと歩く。 いきなりぴょんと飛び越えたと思ったら、そこには白つめ草の花。 踏んづけては可哀想と彼女も思ったのだろうか。 偶然だったかもしれないけれどそれがとても嬉しく思えてならなかった。
雨が降ったりやんだり。南風が強く吹いていた。
川仕事はお休みにして今日は休養日。 特に何の予定もなくぽっかりと空いたような一日。
娘がいつ泊まりに来ても良いように部屋の掃除をする。 もう2年半にもなるのか。娘の部屋はあの時のままだ。 残していった小物類。壁に貼られた昔の写真など懐かしい。
そうしてあの時のなんともいえない寂しさを思い出した。 娘がいなくなってしまった部屋でぼんやりと座りこんでいたこと。 落ちていたヘアピンさえも愛しく涙がぽろぽろとこぼれたことなど。
そんな娘がこの部屋に帰って来る。綺麗にしてあげなくちゃ。 掃除機をかけて拭き掃除もし、いつでも帰ってこられるようにした。
赤ちゃんが生まれたらひと月は一緒に暮らしてくれるのだそうだ。 おばあちゃんは大忙しになりそうだけれどそれも楽しみでならない。
気がつけば娘のことばかり考えていた一日だった。 長い陣痛の末やっと生まれてくれたこと。 大きな病気こそしなかったけれどよく怪我をしたこと。 おてんばさんだったのだなあと子供の頃のことを思い出した。
そんな娘がもうすぐ母親になる。 なんだか信じられないような不思議な気持ちになった。
あっという間に流れてしまったような歳月。
その歳月がとても愛しくてならない母であった。
やはり「たけのこ梅雨」なのか。 灰色の重たい空から霧のような雨が時おり降ってくる。
少しぐらい濡れても気にならない雨はありがたく。 いつも通りに散歩に行く。土手の野アザミがたくさん咲いて嬉しい。
帰宅すると娘夫婦が待っていてくれた。 たくさんの荷物。赤ちゃんのお布団、お風呂セット。 哺乳瓶やお尻拭きシートまで揃えて準備は万端である。
それからチャイルドシート。取り付けがちょっと難しくて。 お婿さんとおじいちゃんが二人がかりでやっと取り付けが完了。
出産予定日まであと三週間となった。 赤ちゃんはもう2700グラムになっているらしくいつ生まれても大丈夫。 お婿さんの仕事が深夜ドライバーなので夜は里帰りになりそうだった。 夜中に産気づいたらと心配でならす、そのほうがずっと安心だなと思う。
娘達が帰ってから赤ちゃんのお布団を広げてみた。 ちっちゃな枕。ふわふわしていてやわらかくてなんともいえない。
そこにまだ見ぬ孫を寝かせてみてお布団を撫でてみるおばあちゃん。
あと少し、もう少し。どうか元気な産声を聞かせて欲しいとひたすら願っている。
午後から雨になる。しっとりとやわらかな雨。
そろそろ菜種梅雨かしらと思っていたら。 テレビで「タケノコ梅雨」だと言っているのを聞いてなるほどとうなずく。 日本人ならではの言葉はなかなかおもしろいものだなと思った。
そのうちケロっとした顔で帰って来るさ。 父と母が噂していたら今日がその日になったようだ。 先日から風邪をこじらせていた息子が「晩飯!」と言って帰って来る。 まだ少し咳をしていたけれど元気になったようでとてもほっとした。
怒って母を追い返した事などすっかり忘れているようす。 「おぼっちゃまおかえりなさいませ」とおどけてみせる母であった。
三人で夕食。笑顔が何よりのごちそうになる。 「おかわり」と言って差し出されるお茶碗が嬉しくてならない。
友達から転職の話を持ち出されたけれど断ったのだそうだ。 辛い辞めたいとずっと言っていたのに、今のままを選んだ息子。
今の職場で学んだこと。そうしていろんなことを受けとめてきたのだと思う。
そんな息子にこれからもエールを送り続けたい父と母であった。
いつだって見守っているよ。口には出さないけれどそれが精一杯の愛。
お天気はまた下り坂のよう。 ひたひたひたと忍び足で雨が近づいている。
春はふかまりあたりじゅうの緑が匂ってくる。 特に好きなのは柿の葉の透き通るような緑だった。 なんともいえない淡い緑が目にも心にも沁みてくる。
ふと思ったのはいのちの色。 もしもいのちに色があるのだとしたらきっとそうにちがいない。 そう思うとよけいに愛しくて胸のあたりをぎゅっと抱きしめたくなる。
わたしのいのちは枯れ葉ではないのだと思うと元気が出てくる。 どんなに年を重ねても春になるたびに若葉になれるいのちだもの。
そう思ってみませんか?生きている限り何度だってめぐってくる春に。
胸をはって歩く散歩道でわたしは生まれ変わったような気持ちになった。
霧の朝。ぼんやりとくすんだ空に朝陽が差し始める。 そうして霧が晴れると雲ひとつない青空が広がっていた。
例のごとく早朝から川仕事。午前7時には川の中にいた。 今日は終ってもくつろいでなどいられない。そう思うと。 なんだか気忙しくていつも以上に張り切ってしまった。
さすがに疲れる。でも大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かして。 作業が終るなりクルマに飛び乗り山里の職場へと向った。
峠道で追い越すお遍路さん。ひとりひとりに頭をさげる。 みんなマイペースで歩いている。誰一人先を急いではいない。 その姿を見てはっとする。私は何を急いでいるのだろうと思った。
やらなければいけないことがあるのだとしても。 やれるだけで良いのではないかとふと気づいた。
おかげでせかせかとした気持ちがずいぶんと楽になる。
「すまないねえ」母に何度その言葉を言わせてしまうのだろう。 それは私の仕事。ほったらかしにしている自分がいけないのだった。 そのぶん母に苦労をかけている。「すまないねえ」は私の言葉である。
出来ることを精一杯。ああなんとかなったなとほっとした一日だった。
どんな日もあるけれど、その日に与えられていることを頑張る。
よしよし、よくやったねと自分をほめてあげるのも大切なこと。
ぽつぽつと落ち始めた雨がやがて本降りになる。 雨音が耳に心地よい。空が歌っているような音。
早朝からの川仕事も午前中に終え、午後はのんびりと過ごす。 昼下がりに山里の母から電話。また急ぎの仕事が出来たようだ。 なんだかぐったりとしていて今日は駆けつけることが出来ない。 明日の午後から行く約束をして電話を切る。ふうと大きな溜息。
助けてあげたい気持ちはいっぱいあるのに身体が思うようにならない。 数年前までは出来ていたことが今は出来なくてすごく歯がゆい気持ち。
こんな時こそ「明日があるさ」気を滅入らせては決していけない。
駄目だと思えばどんどん駄目になる。元気の「気」は自分でつくるもの。 きっと大丈夫と自己暗示をかけるのもひとつの方法であると学んだ事がる。
雨のため散歩は諦めてしまったけれど、お大師さんにお参りだけはしたくて。 すぐ近くだと言うのにクルマのお世話になり無事にお参りを済ます。
これも気の持ちようだとは思うけれど、さぼるとなんだか悪い事が起こりそう。 平穏無事だからこそ感謝をしたい。手を合わせないと一日が終らない気がする。
ありがとうございました。この清々しさをずっとずっと忘れたくはない。
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