お天気はまた下り坂のよう。 ひたひたひたと忍び足で雨が近づいている。
春はふかまりあたりじゅうの緑が匂ってくる。 特に好きなのは柿の葉の透き通るような緑だった。 なんともいえない淡い緑が目にも心にも沁みてくる。
ふと思ったのはいのちの色。 もしもいのちに色があるのだとしたらきっとそうにちがいない。 そう思うとよけいに愛しくて胸のあたりをぎゅっと抱きしめたくなる。
わたしのいのちは枯れ葉ではないのだと思うと元気が出てくる。 どんなに年を重ねても春になるたびに若葉になれるいのちだもの。
そう思ってみませんか?生きている限り何度だってめぐってくる春に。
胸をはって歩く散歩道でわたしは生まれ変わったような気持ちになった。
霧の朝。ぼんやりとくすんだ空に朝陽が差し始める。 そうして霧が晴れると雲ひとつない青空が広がっていた。
例のごとく早朝から川仕事。午前7時には川の中にいた。 今日は終ってもくつろいでなどいられない。そう思うと。 なんだか気忙しくていつも以上に張り切ってしまった。
さすがに疲れる。でも大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かして。 作業が終るなりクルマに飛び乗り山里の職場へと向った。
峠道で追い越すお遍路さん。ひとりひとりに頭をさげる。 みんなマイペースで歩いている。誰一人先を急いではいない。 その姿を見てはっとする。私は何を急いでいるのだろうと思った。
やらなければいけないことがあるのだとしても。 やれるだけで良いのではないかとふと気づいた。
おかげでせかせかとした気持ちがずいぶんと楽になる。
「すまないねえ」母に何度その言葉を言わせてしまうのだろう。 それは私の仕事。ほったらかしにしている自分がいけないのだった。 そのぶん母に苦労をかけている。「すまないねえ」は私の言葉である。
出来ることを精一杯。ああなんとかなったなとほっとした一日だった。
どんな日もあるけれど、その日に与えられていることを頑張る。
よしよし、よくやったねと自分をほめてあげるのも大切なこと。
ぽつぽつと落ち始めた雨がやがて本降りになる。 雨音が耳に心地よい。空が歌っているような音。
早朝からの川仕事も午前中に終え、午後はのんびりと過ごす。 昼下がりに山里の母から電話。また急ぎの仕事が出来たようだ。 なんだかぐったりとしていて今日は駆けつけることが出来ない。 明日の午後から行く約束をして電話を切る。ふうと大きな溜息。
助けてあげたい気持ちはいっぱいあるのに身体が思うようにならない。 数年前までは出来ていたことが今は出来なくてすごく歯がゆい気持ち。
こんな時こそ「明日があるさ」気を滅入らせては決していけない。
駄目だと思えばどんどん駄目になる。元気の「気」は自分でつくるもの。 きっと大丈夫と自己暗示をかけるのもひとつの方法であると学んだ事がる。
雨のため散歩は諦めてしまったけれど、お大師さんにお参りだけはしたくて。 すぐ近くだと言うのにクルマのお世話になり無事にお参りを済ます。
これも気の持ちようだとは思うけれど、さぼるとなんだか悪い事が起こりそう。 平穏無事だからこそ感謝をしたい。手を合わせないと一日が終らない気がする。
ありがとうございました。この清々しさをずっとずっと忘れたくはない。
朝のうちは曇っていたけれどゆっくりとおひさまが微笑んでくれる。 南風が心地よい。ほんのりと海のにおいのする風が好きだ。
子供の頃に覚えた歌って忘れないものだなって。 散歩をしながら「365歩のマーチ」を口ずさんだ。
人生はワンツーパンチ。汗かきべそかき歩こうよ〜
歌いだしは、幸せは歩いてこないだから歩いていくんだよ。
子供の頃には何も感じなかった歌が今はとても心に響く。 人生を歩いてきたんだなって。いろんなことがあったなって。
しみじみと思い出すと、ずいぶんと遠いところまで来てしまったように思う。
けれども記憶はとても鮮やか。すべてがとても大切な思い出だった。
たくさんの曲がり角。迷ったり悩んだりした事もいっぱいあった。 その頃には自分の進む道なんてちっともわからずにいたのだと思う。
行き当たりばったり。とにかく前を向いて進むしかない道だけがある。 どうなるのだろうと不安もいっぱい。私は歩いた。歩くしかないのが人生。
いまはただただありがたい毎日。もうじゅうぶんに幸せなのだと思う。
けれどもまだまだ歩き続ける。ああなんて素敵な人生だったんだろうって。
さいごのさいごにはそうつぶやいて微笑みたいなっておもう。
散歩道の土手に野あざみの花が咲き始めた。 触れることも出来ず手折ることもできないけれど。 その凜とした姿にはとても心魅かれるものがある。
好きな花が咲くと嬉しい。心を弾ませて歩く散歩道。
今日はどうしても山里の職場に行かなければいけなくて。 川仕事を休ませてもらいなんだか気忙しく駆けつけて行った。
「すまないねえ」と詫びる母に笑顔で首を横に振り。 自分にしか出来ない仕事を一生懸命に頑張った一日。
川仕事も終盤になった。もうひとふんばりで楽になる。 そうしたらまた母を助けてあげることも出来るようになる。
見るたびにちっちゃくなる母。背中もずいぶんと丸くなった。 けれども弱音を吐かない母はとても頼もしく見えるのだった。
「ありがとうね」そう言って私を見送ってくれる。
なんだか胸が熱くなってほろりと涙が出そうになった。
母はどうしようもなく老いていく。 けれども必死になってその老いと闘っているように思える。
私の老いなどちっぽけなもの。まだまだこれからではないか。
「また来るから待っていてね」母は庭に出て私に手を振ってくれた。
お天気は下り坂。おひさまは見えなくてもじゅうぶんに暖かい。
午前中に息子の様子を見に行こうと決めて。 ちょっとしたお弁当を作った。 卵焼きとウインナー。質素なものだけれど。 手作りにこしたものはないと勝手に決めつけて。
クルマで10分ほどの道のりをとばして行く。 チャイムを鳴らすときちょっとはらはらした。 寝込んでいるのを起こしてしまうのではないか。 出て来なかったらどうしようと心配でならない。
良かった。足音が聴こえる。 そうしてすぐにドアを開けてくれてほっとした。
けれども開口一番に怒られてしまった。 あれほど来るなと言っておいたじゃないか。 来るなら来るでどうして先に電話をしないのか。
だって電話しても来るなって言うに決まっているもん。 大丈夫だからって言うに決まっているもん。
結局押し問答みたいになって玄関から中には入れてもらえない。 かろうじてお弁当だけは受け取ってくれて外に追い出される始末。
「今夜は夜勤だから!」ってドアを閉める時にそう言った。 どんなに体調が悪くても休めない仕事。休めば同僚に迷惑をかける。 俺はなんとしても仕事に行くんだからと強がっているようにも感じた。
追い出されたからにはどうしようも出来ない母である。 ふうっと大きな溜息をついて閉まったドアをぼんやりと見つめる。
「しんちゃん、どうして?」と泣き崩れるような母ではなかった。
追い返すほどの元気があって良かったなって思う。
そうしてぶつぶつ言いながらお弁当を食べている姿が目に浮かぶ。
母の卵焼きは美味しいでしょ!って今日の勝負は母の勝ちだもんね。
今頃は夜勤の仕事についている頃。
頑張らなくても良いよ。決して無理をしないでいてね。
暖かさを通り越してまるで初夏のような陽気だった。 見るものすべてがまぶしくてきらきらと光っている。
夕方、娘のサチコが顔を見せてくれて。 そのまま晩ご飯を一緒に食べることになった。 お婿さんが飲み会で留守なのだそうだ。 久しぶりだねって言って二人で台所に立つ。
お兄ちゃんも呼んでみようよと言うことになり電話してみる。 そうしたらなんてことでしょう。また熱が出て寝込んでしまっていた。 はらはらとみんなで心配する。サチコが看病に行くからと言っても うつるから絶対に来てはいけないと断固としてそれを拒むのだった。 「大丈夫だから」の一点張り。そう言って大丈夫ではなかったというのに。
なんだかとても憐れでならない。もっともっと甘えてくれても良いのに。
それだけおとなになったということなのかもしれないけれど。 辛い時こそ家族で助け合っていかなければと思う母であった。
来るなと言われても行くべきではないか。 明日は押しかけるように様子を見に行ってみようと決めた。
どうか早く元気になりますように。そればかりを祈っている母である。
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