気持ちよく晴れて雲ひとつない青空。 おひさまも嬉しそうにきらきらと輝いていた。
そんな陽気にさそわれたのか土手につくしの坊やたちが。 みんなが一斉に顔を出して「こんにちは」って言っているよう。
よしよしとその頭を撫でてあげたくなった。 幼子のように可愛いちっちゃな坊やたちだった。
嬉しくってウサギになったような散歩道。 ぴょんぴょんと跳ねるようにして歩いて行く。
タンポポさんにもおしえてあげなくちゃ。 彼女もきっとにっこりと微笑んでくれるだろう。
じっと耐えるように待っていた春。
その足音がこんなに近くに聴こえるようになった。
日々いろんなことがあるけれどもし辛いことがあっても。
嘆かずにいてじっと耐えていればきっと良いことがある。
そう信じてすくっと前を向こう。明日は春かもしれないよ。
午前中はまるで春霞のような空。午後から一気に曇ってくる。 暖かさもつかの間。散歩の時間には風がとても冷たく感じた。
お大師堂のすぐ近くに咲くタンポポと語らう。 たくさんあった蕾がすっかり咲いて微笑んでいる。
ここはもう春。そう思うと寒の戻りも気にならなかった。
だいじょうぶ。もう峠は越えた。春の野原に向っているよ。
耳を澄ましてみる。タンポポさんは何て言っているのだろう。
こんなにもほっこりと。優しい花はないよって私は言った。
てくてくてく今日も歩く。歩いていると心も動いている。 わくわくとしたりちょっとどきどきもしたりしながら。 誰かと手を繋いで踊っているような気分にもなったりする。
それが誰なのか確かめるのはちょっと照れくさい。 少女のように髪をなびかせるにはずいぶんと老いてしまった。
けれどもその老いをちょっと誇りに思う日が来るかもしれない。
生かされているのだもの。生きてみなくちゃ。
胸をはって私は歩く。だって春の野原が待っていてくれるのだもの。
雨のち晴れを期待していたけれど、おひさまはかくれんぼ。 灰色の空のしたせめて心は明るくと朗らかに過ごすいちにち。
嬉しいことをさがしてみると実はたくさんあったりするもの。 たとえば私が笑うと彼も笑う。そんな些細なことがとても嬉しい。
ふたりちからを合わせて川仕事に精を出す。 しんどいなあって思う時もいっぱいあるけれど。 ちょっと冗談を言い合ってみたりするのが楽しい。
「おまえはアホか」なんて言われるのも嬉しくなる。 そうしたら私は調子に乗ってまたふざけてみたりするのだ。
不安なことを口にすれば一気に暗くなってしまうもの。 思っていても口に出さない。そうして光を目指して歩む。
行ってみないとわからないところ。だから進むしかない。
てくてくてく。いつもの散歩道も楽しい。 お遍路万歩計ってほんとにありがたいなあってつくづく思った。 今日は13番札所に着いた。12番からすごく遠く感じていたけれど。 毎日少しずつの積み重ねの結果であった。やったぁって嬉しくてならない。 明日は14番札所に着けそう。よおし!と気合が入ってくる。
出来ることを少しずつ。これで良いのだなって思っている。
出来ないことを嘆く前に出来ることを楽しみたいものだ。
昨日ほどではなかったが今日も暖かくなりほっと空を仰ぐ。 どうかこのまま冬が振り向かずにいてくれますように。
川仕事に向かう途中にいちめんの菜の花畑を見つけた。 クルマを停めて駆け寄ってみたい衝動にかられる。 せめてもと思い窓を開けるとほんのりと春の匂いがした。
昨日は気づかなかった春に今日はこんにちは。 どんなに忙しくても心にゆとりを持ちたいものだとつくづく思う。
気づいてほしくて待っているちいさな春がきっとそこにある。
川仕事をしていてもはっとするのは海苔が確かに育っていること。 それも春の兆しであった。ありがたいことだなと今日も収穫をする。 欲を言えばきりがない。わずかの収穫でもこんなに嬉しい事はなかった。
ほどよく疲れた身体を少しだけ休ませてあげて今日も散歩に出掛ける。 土手にはそろそろ土筆の坊やたちが可愛い頭をのぞかせる頃でもある。 まだかな。まだかな。声をかけるようにさがしてみるのも楽しかった。 今年は雪の日がたくさんあったから坊やたちもまだ眠っているようだ。
お大師堂で手を合わす。願うこと。祈ること。感謝すること。
そうして外に出て思わず声をあげてしまったのはタンポポの花だった。 それも昨日は気づかなかったこと。待っていてくれたんだなと思う。
川辺の水のせせらぎを聴きながらやわらかな陽射しをいっぱいに浴びて。 タンポポはまるで天使のような顔をして優しく微笑んでいるのだった。
ようく見るとあちらこちらに蕾がいっぱい。
明日も待っているよってそんな声が聞こえているようだった。
ゆびきりげんまん。明日も一緒に微笑もうね。タンポポさんありがとう!
雷の音で目覚めた朝。昨夜は静かだった雨もどしゃ降りになる。 春雷か春の嵐かと思えばまるでそれが儀式のように思えてきて。 春が来たやっと来たと小躍りしそうなほど嬉しくなってしまった。
川仕事に出掛ける頃には雨もやみ薄っすらと空が明るくなる。 いつもの朝よりもずっと暖かい。今日は毛糸の帽子がいらなかった。
お昼頃には青空が見え始める。そうして気温がぐんぐんと上がった。 すっかり春の陽気。身体がふにゃふにゃととろけてしまいそうになる。
それもつかのまのことだろう。まだまだ寒の戻りがあるのに違いない。 けれども一瞬でもそうして春の気分を味わえたことがとても嬉しかった。
午後。溌剌とした気分で散歩から帰って来ると娘夫婦が顔を見せてくれた。 今日はサチコの検診日だったので、四人で食い入るようにビデオを見た。 やはり女の子に間違いないとのこと。逆子だったのも正常になっていた。 「あくびちゃん」は今日はなし。お腹の中でぐっすりと眠っているよう。
元気に動いている心臓。その鼓動がとくとくと胸に響いてくる。 ちっちゃいのに一生懸命頑張っている。命って素晴らしいなあって感動した。
ずいぶんと大きくなったお腹をよっこらしょという感じでサチコ達が帰って行く。 路地に出て手を振りながら二人を見送った。ありがとうねってつぶやきながら。
しとしととやわらかな雨が一日中降り続いていた。 優しい雨がほんのすこし春を招き入れてくれたようだ。
静かな雨音に耳を澄ましながら穏やかな心でそれを受けとめる。
雨がよい。雨でよい。こころの中でちいさな芽がふくらんでいる。
傘をさしてほんの少しだけ歩いた。 万歩計はいつもの半分にも満たないけれど。 どんな日もあってよしと自分を宥めつつ歩く。
しっとりと濡れているあたりの景色もまた良いもので。 若草の緑も木々の芽も喜んでいるのが嬉しくもあった。
おひさまも雲の上で微笑んでいることだろう。 あとは私にまかせておいて。そんな声が聞こえてきそうだった。
雨のまま暮れていくいちにち。なんと平穏な一日だったことだろう。
そうして眠れば朝が来る。それは決して当たり前のことではない。
毎日が奇蹟のように過ぎていく。生きているってこんなにありがたいこと。
| 2012年02月21日(火) |
お母さんごめんなさい |
曇り日。気温は高めだというのにやはり肌寒い。 おひさまの力ってすごいなあとつくづく思った。
天気予報は明日も明後日も雨だということ。 それも春の兆しだと思えば雨もまた良しだろう。
ひと雨ごとに春が近づいてくるのにちがいない。 晴れたらきっと暖かくなると信じて待っていよう。
川仕事を終え帰宅するなり山里の母から電話がある。 ちょっとしたトラブルがあったようでその報告だった。 おまけに土曜日から体調が悪いとの事で心配でならない。
少しでも助けてあげたい気持ちとどうしようも出来ない気持ち。 身体がふたつあればどんなにか良いだろうかと無理な事を考える。
だいじょぶ。なんとかなるから。母はいつも気丈だった。 その気丈さに私はどんなにか救われていることだろうか。
自分には優先しなければいけないことがある。 いま目の前に与えられている事を精一杯やるしかないのだと思った。
出来る事をする。出来ない事はどんなにもがいても出来ないのではないか。
そんな母の苦労をよそに自分は平穏な一日を過ごす。 それが決して当たり前のことではないのだと実感した一日でもあった。
ゆるやかに流れる大河。そのほとりでひっそりと静かな日々を送っている。
穏やかなひとがいつもそばにいてくれて私も穏やかでいられるのだった。
お母さんごめんなさい。それが今の私です。
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