気温はさほど低くないというのになんとも寒かった。
日が暮れてからいちだんと寒くなり急いでお風呂へ入る。 それが冬の楽しみでもある。お湯は節約気味だけれど。 浴槽の中で寝そべるようにすれば肩まで浸かる事が出来る。
子供のように100まで数えてみたりしては温まるのだった。 ふうふうはあはあと息をしながら何も考えることのない時間。
それがとても幸せに思える。お風呂ってほんとにありがたい。
もうひとつの冬の楽しみは湯たんぽである。 とても古い湯たんぽは息子が赤ちゃんの時のもの。 ストーブに薬缶を置いて毎日お湯を沸かしている。 それを早目にお布団に入れておけばなんとも暖かい。
寝るのがとても楽しみ。湯たんぽばんざいであった。 冷え性の私にはなくてはならない物のひとつである。
毎日寒くてうんざりとしてしまう時も多いけれど。 冬には冬の楽しみがあるのが幸せなことだなと思う。
もしかしたら他にも冬ならではの楽しみがあるかもしれない。
寒さに負けないで。嬉しいことをたくさん見つけられたらいいな。
朝はいちだんと冷え込んだけれど。 日中は風もなく穏やかによく晴れる。
すっかり冬枯れてしまった職場の庭には。 南天や千両の紅い実がそこだけ明るくて。 冬の陽射しを浴びてきらきらと輝いている。
職場はこのところずっと忙しく嬉しい悲鳴をあげている。 お客様は神様。感謝する気持ちを大切にしなければと思う。 笑顔がいちばん。その笑顔がまた笑顔を呼んで来てくれる。
少し疲れて帰宅すると彼が洗濯物を取り入れてくれていた。 そんなちょっとしたことがとても嬉しくてならなかった。
きゅいんきゅいんと甘えた声であんずが呼んでいる。 いつも私が帰るのを待ちかねているようだった。 「さあ行こうかね」と声をかけると彼女は屈伸運動をする。 それはとても愉快な仕草でなんだか「よういどん」の感じ。
とても老犬には思えなくていつまでも子犬のように思える。 けれども急いで土手の石段を駆け上がっては足を踏み外す。 そうしてよろけてはまたすくっと歩き始めたりするのだった。
彼女の老いを自分に重ねてみてはちょっとした元気をもらっている。 私だって「よういどん」がまだ出来るのかもしれないなんて思う。
何かを始めるのに遅すぎることは決してないと言うけれど。
私に何が出来るのだろうか。いったい何を始めれば良いのか。
それがわからないままスタートラインに立っているような気持ち。
また寒波が南下してきているらしく冷たい北風が吹き荒れる。
散歩道の川風が肌をさすように冷たかった。 川はまるで海のように揺れて白波が立っていた。
そんな川をあたためるように夕陽が落ちていく。
光の波がとても綺麗。思わず足を止めて見入る。
お大師堂ではまた顔見知りのお遍路さんと再会した。 前回から二週間と少ししか経っていなかったので驚く。 聞くところによると松山から逆打ちを始めたのだそうだ。 風邪気味だったのもすっかり良くなりとても元気そうな様子。 この方も何か事情を抱えているように感じたけれど何も訊けず。
ただ微笑みあってふれあう。それがいちばんなのかもしれない。
夕食は土鍋ですき焼きを作った。すき焼きと言うより牛鍋である。 例のごとく最初からうどんを投入したので鍋焼きうどんみたいになる。
ふうふうはあはあ言いながらふたりで鍋をかこんだ。 ちょっと薄いなと彼が言ったのは白菜が多すぎたせいだろう。
これは何日続くかなあと可笑しそうに彼がつぶやく。
まず三日はあるよね。うどんをたくさん買って来てあるもんね!
残りご飯を全部チキンライスにして。
巨大なオムライスを二人分作った。
とても食べきれないよと彼は言うけれど。
私は頑張ってペロリと平らげてしまった。
ときどきケチャップをチューブごと舐めたい。
そんな衝動にかられるときが私にはある。
トマト色なんかじゃなくて血のようなそれ。
からだじゅうに流し込んでみたくなるのだ。
巨大なオムライスはなんだかおびえている。
だって卵が見えなくなるまで紅く染まって。
それを切り刻むように食べる私がいるから。
ぷるんぷるんと震えているのは誰でしょう。
無駄な抵抗はおやめなさいと私はつぶやく。
よっこらしょひとやま越えればオムライス。
われながらこんなにおいしいものはない。
ほんの少し日が長くなったようだ。 午後六時。うっすらと暮れていく空に一番星が見える。
昨日お大師堂にて山梨のMさんと再会する。 いつも元気なMさんも寒さが身に堪えるとのこと。 連泊をすることになり今日もまた会うことが出来た。
すっかり顔なじみになっていても会うたびに懐かしい。 私のことを「おかあさん」と呼ぶのも変わらなかった。
奥様の供養の旅もこれで20巡目となるけれど。 いつだって初心にかえることを心がけていると言う。
そうでなければいけない理由。それは訊けなかった。 Mさんにとっては終わることのない旅なのかもしれない。
初心にかえる。それはとても大切なことだとわかっていても。 ついつい忘れてしまっては目先のことに惑わされるのが人の常。
Mさんの凜とした姿から学ぶことはとても貴重なことだった。
「ゆっくりと休むことが出来たのでまた明日から頑張りますよ」
満面の笑顔でそう言うMさんの背負っているもの。 それがどんなにか重い痛みであるかを私なりに感じることが出来た。
「じゃあまた40日くらいしたら会いましょう」
その40日を。私は苦労もせずに平々凡々と日々流されていくことだろう。
Mさんは歩き続ける。寒風にあおられながら重い荷物を背負いながら。
寒波は緩んできているとはいえ今朝も氷点下の冷え込み。 そんな寒さにもずいぶんと慣れてきたように思う。
今日は「七草」お粥ではなくお餅の七草雑煮にしてみた。 ほかほかと身体が温まる。これで無病息災だとほっとする。
たくさんの洗濯物を干して見上げる空のなんと青いこと。 冷え切った空気を朝陽がつつみこむようにあふれていた。
日中は特に予定も無く、例のごとくだらだらと過ごすばかり。 自転車で近くの地場産市場へ行き里芋と鯵の干物を買って来た。
午後三時。いつもより少し早目に散歩に出掛ける。 途中で同じく散歩中の近所の奥さんと一緒になった。 しきりに話しかけてきてくれて息子のことなどを話す。 訊かれるままに答えていたけれどふっと心苦しくなった。
その奥さんは数年前に息子さんを突然亡くされていたからだ。 生きていれば36歳だという。もう結婚をして孫も出来ていたかもしれない。 そんなことを思うと自分の息子の話などとても不謹慎に思えてきた。
けれども奥さんは終始笑顔で頷きながら私の話を聞きたがっていた。 亡くされた息子さんと重ねていたのかもしれないなって思った。
ひどい悲しみもどんな辛さもゆっくりと時が癒してくれるのだろうか。 けれども一生忘れられない痛みがそこに残っているのだろうと思われる。
家族が誰ひとり欠けることなくみんなが無事でいられること。 それがどんなに恵まれたありがたいことなのだろうとあらためて思ったことだった。
そうして今日も暮れていく。平穏無事に感謝しながらただただ手を合わす。
寒の入り。朝の気温は氷点下2度だったようだ。 いちめんに霜が降りなんとも冷たい朝になる。
せめてこころはあたたかにとほっこりと過ごす。 職場でも皆が笑顔でいてくれて和やかな雰囲気。
ほっこりさんにはほっこりさんが寄って来る。
なんだかみんなで日向ぼっこをしているようだった。
帰宅していつもの散歩道。ゆっくりと歩く。 川面に浮かぶ屋形船がゆらゆらと揺れていた。 たくさんの観光客が乗っていて手を振ってみたくなる。
北風がとても冷たい。けれども夕陽がそれを和らげてくれる。 波打つ川面を照らしてきらきらと眩しく光っていた。
お大師堂でまた泣き叫ぶあんず。それも慣れてしまったけれど。 いったいいつまで泣くのだろうとしばらくにらめっこしていた。
言葉が通じればどんなに良いだろうかと思う。 「ぎゃいんぎゃいん」とは何を伝えようとしているのだろうか。
そんなことを思いながらも私の意地悪が過ぎたのかもしれない。 あんずの目から涙のようなものが流れているのが見えてはっとする。
今日は母さんが悪いことをしたね。ごめんなさいあんず。
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