今朝の山里は深い霧につつまれていた。 日が昇るにつれてその霧が晴れていく。 しっとりした空気に光が降り注ぐ様は。 なんとも清々しく心地よい光景であった。
ときどきじぶんもそんなときがある。 わけもなくもやもやとしているときに。 きっかけのように光がさしてくるときが。
ああ生きているんだなってすごく感じる瞬間。
今日も平穏無事。なんとありがたいことだろう。 まわりがすべて穏やかに見えて自分も穏やかでいられる。
波風をたてないようにつとめる。静かな湖のように。 もしも荒れたとしたらそれはきっとじぶんのせいだろう。
散歩道を歩けば河川敷の栴檀の実にこころがひかれる。 決して宝石ではないけれどその粒たちが空の宝物のよう。
お大師堂の銀杏の葉がはらはらと舞い降りてくる。 やがて地面を埋め尽くすことだろう。黄金色の絨毯。
見るものすべてが愛しくてならない。これが私のしあわせだった。
久しぶりの山里。峠道を越えると粉雪のような霜が降りていた。 寒いだろうな。ほんの少しクルマの窓を開けるとぶるっとする。 けれどもそんな寒さが心地よい。懐かしくなるような山里の風景だった。
母も同僚も変わりなく元気。仕事もてんこもりでやる気満々になる。 あらあらという間に時間が過ぎてしまって気がつけば帰宅時間になっていた。
家に帰り着けばもう散歩の時間。あんずも待ちかねていた。 今日もランちゃんに会えたら良いね。そう語りかけて出掛ける。 残念ながら会えなかったけれど、満足そうな様子にほっとした。
そうしてお大師堂。通い始めてもう三年が過ぎたことになる。 その間なんといろんな出会いがあったことだろうと思い出すことも多い。 一度きりの出会いもあれば10回も再会が叶った出会いもあった。
「竹島大師堂」ネットで検索すると画像が出てくると友が教えてくれる。 私もさっそく試してみた。そうしたら思いがけずにたくさん見つかった。
そうしてひとりのお遍路さんのブログに辿り着いた。 2009年5月28日のブログを見てびっくり。なんとそこにあんずの姿があった。
「四万十川 竹島のわんこ」 とありお大師堂の前に繋がれているあんずである。
その日私は確かにお遍路さんと出会っているはずであった。 そうして自分のその日の日記を読み返しはっきりとそのことを思い出す。
私がお参りをしているあいだ、そのひとがあんずと遊んでくれたのだ。 しっかりカメラ目線のあんず。一瞬のうちに懐いていたのだと思う。
私だけではない。あんずにもこんな出会いがあったのだとすごく嬉しくなった。
日中は寒さが和らぎ久しぶりの小春日和となった。 暖かいとほっとする。とてもやわらかな気分になる。
昨日終わる予定だった川仕事が少し長引き。 今日やっと海苔網を張る作業が終了した。 後は順調に育ってくれるのを祈るばかり。 収穫は立春の頃になるかもしれない。 春を待つ気持ち。希望を持って待っていよう。
夕陽が土手をつつみ込むようにふりそそぐ道を歩く。 雀色の陽だまりに名も知らぬ小鳥たちがたわむれている。 近づくと一斉に飛び立つ。空に向かうものはとても美しい。
散歩仲間のランちゃんと会った。あんずとはとても仲良し。 くんくんと匂いを嗅ぎあっていたかと思えばいきなりキス。 ランちゃんが跳び逃げるのをあんずが追いかけようとした。 愉快な光景。犬も友達がいるとすごく嬉しいのだなと思う。
お大師堂は人影もなくひっそりと静まり返っている。 備え付けのノートを見ると昨日のお遍路さんの言葉があった。 大河のほとりで夕陽を眺めているとこころが癒されるのだと。
そんなふうにこの場所を愛してくれる人がいてくれることが嬉しい。
落ちていく夕陽が川面を染めていく。ああ、ここが好きだなと私も思った。
| 2011年12月11日(日) |
お遍路さん(その9) |
今日も冷たい風のいちにち。 そんな寒さにも日に日に慣れていくのを感じる。
被災地もどんなにか冷え込んでいることだろう。 9ヶ月が経った。ただただ祈り手を合わすことしか出来ない。
どうかひとりでも多くの人に光が届きますように。
そうして自分がどんなに恵まれているかを思い知る日でもあった。
夕暮れ間近のお大師堂でまた嬉しい再会がある。 先月の始めに出会ったお遍路さんがまた巡って来てくれたのだ。 その時には少し挨拶をしただけで終わっていたけれど。 今日はお遍路さんのほうからたくさん話しをしてくれた。
びっくりしたのは94回目の巡礼だということ。 最初は30年前。まだ24歳の若さだったらしい。 とにかく旅をするのが好きで暇さえあれば旅に出ていたそうだ。 目標は100回でそれを達成したら今度は日本一周が夢だという。
その夢を語るときのなんと嬉しそうなこと。きらきらと輝く瞳。 旅こそがその人の人生であると言っても多言ではないだろう。
お遍路は厳しく辛いこともたくさんあるけれどそれも楽しい。 いちばん嬉しいのはいろんな人との出会いがあることだと言う。
私もそのひとりなのだとしたらなんとありがたいことだろう。
別れ際その人は手を合わせて深々と頭を下げてくれた。 感謝しなければいけないのは私のほうである。咄嗟に私も手を合わす。
素敵なご縁をありがとうございました。またきっと会いましょうね。
冬の朝らしくしんしんとした寒さ。 日中のひだまりもつかの間のことで。 夕方からまた寒くなり風がとても冷たかった。
いくら寒くても日課の散歩は欠かさない。 フードを被って背中を丸くしながら歩く。 あんずはとても元気。ぐんぐんと私を引っ張る。
お大師堂へ行くとちょうどお遍路さんが着いたところだった。 何度か会ったことのある顔見知りのお遍路さんで嬉しい再会。 なんだか自分の家へ招き入れたような気分にもなるのだった。
名も知らぬ。どこの出身なのかも聞いてはいなかったけれど。 関西弁がとても耳に心地よくてついつい話し込んでしまった。
悩みはないか。辛いことはないかと親切にきいてくれたけれど。 今の私にはすべて無縁に思える。生きているだけで幸せだった。
「足るを知るは最上の富」である。いつもこの言葉を思い出す。
もっと、もっとといったい何を願うというのだろう。
じゅうぶんではないか。これほど恵まれて満たされることはない。
「また会いましょうなあ」いつも私が先に言ってしまうのに。
今日はお遍路さんのほうが早くそう言ってくれてなんだか嬉しかった。
寒くてもほっこりとあたたかい気持ちで微笑みながら家に帰った。
明け方まで強い風。夜が明けるとしんと静かになる。 いかにも冬の朝らしくひんやりと冷たい空気が漂う。
今日は「いぬの日」午後からサチコと腹帯を買いに行く。 それは日本だけの風習で医学的根拠はないと聞いていたが。 やはり古くからの風習は大切にしたほうが良いように思う。 犬がそうであるように安産の願いをこめて身につけるのだった。
三週間ほど会っていなかったサチコは変わらず元気でほっとする。 ほんの少しふっくらとしてお腹のふくらみも目立ち始めていた。 この娘が母親になるのか。なんだか不思議な感慨が込み上げてきた。
腹帯を買ってからしばらく店内を見てまわる。可愛いベビー服。 お布団セット。おまるや玩具まで見てふたりではしゃいでしまった。 「まだ早いよね」と言いながらその日がすぐに来てしまいそうだった。
それから別の店へ行きなんと誕生日のプレゼントを買ってもらう。 それはとても思いがけなくてついつい甘えてしまう母であった。 買ってあげたり買ってもらったり今日はおあいこだねと笑い合った。
そうして今度は甘い物を食べようとふたりで喫茶店に行った。 チョコレートパフェなんて何年ぶりだろう。とても美味しい。
何よりも娘とこんなふうに過ごすことがあまりに久しぶりで。 一緒に暮らしていた頃をとても懐かしく思い出してしまった。
「はは、また行こうね!」手を振りながらアパートへ帰る娘。
「ありがとね、さっちゃん」母はなんだか涙が出そうだったよ。
目覚めると雨が降っていた。 かすかな雨音としっとりした空気。 なんだか春先の雨のようにやわらかい。
こんな日は炬燵がいいねと言いながらも。 彼とふたり突撃するように川仕事に出掛ける。 あと少しもう少しだからと励ましあいながら。 苦も楽になり今日も達成感でいっぱいになった。
散歩は諦めていたけれど思いがけず雨がやむ。 あんずも諦めていたのか犬小屋で眠っていた。 「雨やんだよ。行くよ」と声をかけると。 寝ぼけ眼でのそのそと這い出してきて愉快なり。
雨上がりの散歩道が好きだ。 あたりいちめんが潤っていてなんとも心地よい。 土手から河川敷。例の東屋まで行きまた土手を帰る。
晩ご飯。息子がまた帰って来てくれて三人でにぎやか。 仕事が休みでずっと寝ていて朝から何も食べていないという。 大盛りご飯をおかわりしてうまいうまいと食べてくれる息子。
元気でいてくれるのが何よりも嬉しい。
どんな日もあるけれど日々を乗り越えてほしいと願う母であった。
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