二十四節気の「大雪」いよいよ真冬の頃らしい。 曇り日ではあったけれど大雪には似合わず暖かい一日。
川仕事もはかどりあと半分を残すほどになる。 午前中だけの肉体労働だけれどけっこう疲れる。 でも毎日の達成感がとても励みになる仕事だった。 身体を動かしているとこころも動いているのだろう。 溌剌とした気持ちも心地よく明日も頑張ろうと思う。
先日通販で衝動買いしたウォーキングマシンが届いた。 ふたりして運動不足を解消しようと買ってしまったけれど。 ほんの5分歩いただけでふくらはぎがパンパンになってしまう。 それでも少しずつ続けていればやがては慣れてくることだろう。 雨で散歩に行けない時などはとても便利ではないかと思っている。
今日も平穏無事。あんずと散歩を済ませてからお大師堂へ行く。 先日Mさんに再会してからこっちお遍路さんとの出会いはなかった。 なんだか鈴の音が恋しい。また出会えますようにと手を合わせる。
日が暮れておぼろ月夜。もう少しで満月になりそうだ。
あんずに晩ご飯を持っていくと甘えて足にかきついてきて可愛い。
雨になるかもしれない天気予報がはずれて。 青空も垣間見れるぽかぽかと暖かいいちにち。
川仕事をしていると優雅な姿をした白鷺が一羽。 人の気配にも怖じる様子もなく悠然と立っている。 そうして間もなくパシャっと水音をたてて魚を捕まえた。 それはとても勇ましく惚れ惚れとするような姿であった。
午後はまたのんびりと昼寝などして過ごす。 目覚めるともう散歩の時間になっていたりする。
土手から河川敷へと下り石段を上がれば四万十大橋のたもと。 休憩所にベンチがあり腰をかけてしばし川を眺めていた。 夕陽が目の前に見える。その眩しさがとても心地よかった。
帰り際にふと東屋の方を見るとビニール袋が散乱している。 近づいてみると他にも空き缶やらのゴミが捨てられてあった。 つい先日のこと綺麗に掃除をしてもらったばかりだというのに。 なんということだろう。嘆かわしくて悲しくてならない光景である。
「いつも綺麗にしてくれてありがとう」東屋には張り紙もしてある。 それを見てもなんとも思わない心ない人がいるということだった。
いくら怒ってみても仕方ないことだろう。とにかく片付けなくては。 落ちていたビニール袋にゴミを詰め込み家まで提げて帰って来た。
イタチごっこになってしまうかもしれない。けれどもそれを続けたい。 明日からも日課にしようと心に決める。捨てたらきっと拾いますから。
一日一善のようなそんなだいそれたことではないけれど。 自分に出来ることはどんなことでもやってみるべきではないだろうか。
四万十のほとりに棲んでもう33年。私はこの川を愛してやまない。
朝の寒さが和らぎ日中はやわらかな陽射しが降り注ぐ。 雲ひとつない青空。そんな空に白い月がぽっかり浮かぶ。
今週は山里の職場を休ませてもらって。 家業の川仕事に精を出すことになった。 海苔網を漁場に張り詰めていく作業で。 それさえ終われば後は収穫を待つばかり。
けれども今年は海苔の生育がいまひとつで。 無事に育ってくれるのかとても心配である。
「なんとかなるさ」と彼の言葉が励みになる。 不安がるのは私の悪い癖。希望を捨ててはならない。
早朝からの川仕事を終え午後はゆっくりと休む。 むしょうに甘い物が食べたくなり豆大福を食す。 それはとても美味しかった。明日も食べたいな。
夕陽が見え始めた頃あんずと散歩に出掛けた。 土手でよちよち歩きの可愛い男の子と出会う。
「わんわん、わんわん」と声をかけてくれて。 しばらく一緒に土手を歩いた。一歳四ヶ月だということ。 私にも孫が出来たらこんな感じなのかしらと思う。 それも夢ではなくなんだか少し先の未来のようだった。
男の子はよほど犬が好きらしく我が家の近くまで一緒に来た。 「ばいばいまたね」そう言うとお母さんにしがみついて泣きそうになる。
なんとも名残惜しかったけれどまた会えると良いなってすごく思った。
そうしてほっこりとあたたかいきもちになる。
ささやかなふれあい。これも私の幸せであった。
またひとつ歳をかさねる。
そのひとつがとても貴重に思える。
若い頃には思いもしなかったこと。
神様があたえてくれた蝋燭の灯を。
そっと手のひらで囲んでいるようだ。
この命があるのはとてもありがたいこと。
心細いことや不安なこともたくさんある。
けれどもすくっと前を向いて進んでいきたい。
そうしてじぶんの人生を全うするのが私の夢。
生きることはとてもたのしい。
生きることはとてもうれしい。
胸をはってまたひとつをしっかりと受けとめた。
おもいね。このおもさを忘れてはいけない。
曇り日。午後から風がとても強くなる。 ひゅるひゅるとうなり声をあげいるような音。 窓ガラスが揺れると地震ではないかと身構える。
そんな荒れ模様とはうらはらに今日も平穏に過ごす。 当たり前のような日常のことがとても貴重に思えた。
洗濯をしたり買物に行ったり三度の食事をしたり。 暮らすということをしみじみと感じたりしていた。
何かひとつでも出来なくなってしまったとしたら。 どんなにか不便でどんなにか落ち着かない事だろうか。
恵まれているのだなとつくづくと思うことが多い。 そんな日常にもっともっと感謝をしなければいけない。
いつもの散歩。いつものお大師堂。
灰色の川も風にあおられながら海を目指して流れる。
どんな日もあるけれど決してその流れがとまることはない。
| 2011年12月02日(金) |
お遍路さん(その8) |
今日も冷たい雨が降ったりやんだり。
夕方にはちょうどやんでいて少し散歩に行けた。 灰色の川を見ているとなんだかさびしくなる。 水はただ空を映しているだけなのだけれど。
雨が降らないうちにと自転車を飛ばしお大師堂へ行く。 向かいながらふっとあるひとの顔が目に浮かんだ。 そろそろまた会える頃ではないかしらと思っていた。
そうしたら。なんとお大師堂で私のことを待っていてくれた。 山梨からのお遍路さんMさんである。 奥様を亡くされて供養のために始められたお遍路も19巡目。 もう二年余りもひたすら歩き続けていることになる。
私も縁あって巡り会う事が出来、会うのはこれで6回めだろうか。 最初は名前も知らず詳しい事情を聞くのもはばかられたけれど。 会うたびに心が通うようになりMさんから話し出してくれたのだった。
Mさんは私のことを「おかあさん」って呼ぶ。 そうだった。私はいまだに自分の名前を教えていなかったっけ。 けれどもその「おかあさん」って呼ばれることがとても心地よい。
もしかしたらMさんの亡くなった奥様と同じ年頃かもしれない。 生前の奥様のことを「おかあさん」って呼んでいたようにも思う。
私は今日も自分の名前を教えることがなかった。 ずっと「おかあさん」って呼んでほしいなあって心から思った。
またきっと会えますよね。次に会う頃にはもう年明けかしら。 約束こそしないけれど必ず会えるという確信があり嬉しく思う。
大晦日。元旦は懇意にしている方のお宅で過ごせるということ。 毎日の野宿から開放されあたたかなお布団で眠ることが出来るのだ。
それを聞いてどんなにかほっとしたことだろう。
そうしてMさんはまた新しい年を歩き出す。
春夏秋冬。Mさんの日々がとても尊く思えてならなかった。
曇りのち雨。昨日より10℃も気温が下がる。 小粒の雨でも少し濡れるとぶるっと寒さを感じた。
とうとう師走に入りスタートラインに立ったような気持ち。 誰と競うわけでもないけれど自分なりのゴールを目指したい。 そうしてちょっとした達成感のようなものがあれば良いなと思う。
たとえば実を。これが自分なのだなと思えるような実をつけたい。 小鳥に啄ばまれてしまっても良いのだ。一粒の実がそこにあれば。
それが生きてきたあかし。とても大げさだけれどそう願っている。
今日の散歩はお休み。小雨の中あんずのおしっこだけ連れて行く。 雨に濡れるのを嫌がる彼女は用を足すとさっさと家路を急いだ。
傘をさしてお大師堂へ行こうかと思ったけれどそれもお休みにする。 そんな怠け心がたまにある。毎日ではなくてもと言い訳をしてみたり。
どんな日もあって良し。ようはこだわらないことがいちばんに思う。
ポテトサラダなど作り夕食。なんと平穏なひと時なのだろう。
いまは静かな雨音に耳を澄ましながらいつもの焼酎を飲んでいるところ。
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