朝の寒さが和らぎ日中はやわらかな陽射しが降り注ぐ。 雲ひとつない青空。そんな空に白い月がぽっかり浮かぶ。
今週は山里の職場を休ませてもらって。 家業の川仕事に精を出すことになった。 海苔網を漁場に張り詰めていく作業で。 それさえ終われば後は収穫を待つばかり。
けれども今年は海苔の生育がいまひとつで。 無事に育ってくれるのかとても心配である。
「なんとかなるさ」と彼の言葉が励みになる。 不安がるのは私の悪い癖。希望を捨ててはならない。
早朝からの川仕事を終え午後はゆっくりと休む。 むしょうに甘い物が食べたくなり豆大福を食す。 それはとても美味しかった。明日も食べたいな。
夕陽が見え始めた頃あんずと散歩に出掛けた。 土手でよちよち歩きの可愛い男の子と出会う。
「わんわん、わんわん」と声をかけてくれて。 しばらく一緒に土手を歩いた。一歳四ヶ月だということ。 私にも孫が出来たらこんな感じなのかしらと思う。 それも夢ではなくなんだか少し先の未来のようだった。
男の子はよほど犬が好きらしく我が家の近くまで一緒に来た。 「ばいばいまたね」そう言うとお母さんにしがみついて泣きそうになる。
なんとも名残惜しかったけれどまた会えると良いなってすごく思った。
そうしてほっこりとあたたかいきもちになる。
ささやかなふれあい。これも私の幸せであった。
またひとつ歳をかさねる。
そのひとつがとても貴重に思える。
若い頃には思いもしなかったこと。
神様があたえてくれた蝋燭の灯を。
そっと手のひらで囲んでいるようだ。
この命があるのはとてもありがたいこと。
心細いことや不安なこともたくさんある。
けれどもすくっと前を向いて進んでいきたい。
そうしてじぶんの人生を全うするのが私の夢。
生きることはとてもたのしい。
生きることはとてもうれしい。
胸をはってまたひとつをしっかりと受けとめた。
おもいね。このおもさを忘れてはいけない。
曇り日。午後から風がとても強くなる。 ひゅるひゅるとうなり声をあげいるような音。 窓ガラスが揺れると地震ではないかと身構える。
そんな荒れ模様とはうらはらに今日も平穏に過ごす。 当たり前のような日常のことがとても貴重に思えた。
洗濯をしたり買物に行ったり三度の食事をしたり。 暮らすということをしみじみと感じたりしていた。
何かひとつでも出来なくなってしまったとしたら。 どんなにか不便でどんなにか落ち着かない事だろうか。
恵まれているのだなとつくづくと思うことが多い。 そんな日常にもっともっと感謝をしなければいけない。
いつもの散歩。いつものお大師堂。
灰色の川も風にあおられながら海を目指して流れる。
どんな日もあるけれど決してその流れがとまることはない。
| 2011年12月02日(金) |
お遍路さん(その8) |
今日も冷たい雨が降ったりやんだり。
夕方にはちょうどやんでいて少し散歩に行けた。 灰色の川を見ているとなんだかさびしくなる。 水はただ空を映しているだけなのだけれど。
雨が降らないうちにと自転車を飛ばしお大師堂へ行く。 向かいながらふっとあるひとの顔が目に浮かんだ。 そろそろまた会える頃ではないかしらと思っていた。
そうしたら。なんとお大師堂で私のことを待っていてくれた。 山梨からのお遍路さんMさんである。 奥様を亡くされて供養のために始められたお遍路も19巡目。 もう二年余りもひたすら歩き続けていることになる。
私も縁あって巡り会う事が出来、会うのはこれで6回めだろうか。 最初は名前も知らず詳しい事情を聞くのもはばかられたけれど。 会うたびに心が通うようになりMさんから話し出してくれたのだった。
Mさんは私のことを「おかあさん」って呼ぶ。 そうだった。私はいまだに自分の名前を教えていなかったっけ。 けれどもその「おかあさん」って呼ばれることがとても心地よい。
もしかしたらMさんの亡くなった奥様と同じ年頃かもしれない。 生前の奥様のことを「おかあさん」って呼んでいたようにも思う。
私は今日も自分の名前を教えることがなかった。 ずっと「おかあさん」って呼んでほしいなあって心から思った。
またきっと会えますよね。次に会う頃にはもう年明けかしら。 約束こそしないけれど必ず会えるという確信があり嬉しく思う。
大晦日。元旦は懇意にしている方のお宅で過ごせるということ。 毎日の野宿から開放されあたたかなお布団で眠ることが出来るのだ。
それを聞いてどんなにかほっとしたことだろう。
そうしてMさんはまた新しい年を歩き出す。
春夏秋冬。Mさんの日々がとても尊く思えてならなかった。
曇りのち雨。昨日より10℃も気温が下がる。 小粒の雨でも少し濡れるとぶるっと寒さを感じた。
とうとう師走に入りスタートラインに立ったような気持ち。 誰と競うわけでもないけれど自分なりのゴールを目指したい。 そうしてちょっとした達成感のようなものがあれば良いなと思う。
たとえば実を。これが自分なのだなと思えるような実をつけたい。 小鳥に啄ばまれてしまっても良いのだ。一粒の実がそこにあれば。
それが生きてきたあかし。とても大げさだけれどそう願っている。
今日の散歩はお休み。小雨の中あんずのおしっこだけ連れて行く。 雨に濡れるのを嫌がる彼女は用を足すとさっさと家路を急いだ。
傘をさしてお大師堂へ行こうかと思ったけれどそれもお休みにする。 そんな怠け心がたまにある。毎日ではなくてもと言い訳をしてみたり。
どんな日もあって良し。ようはこだわらないことがいちばんに思う。
ポテトサラダなど作り夕食。なんと平穏なひと時なのだろう。
いまは静かな雨音に耳を澄ましながらいつもの焼酎を飲んでいるところ。
今日も暖かく過ごしやすいいちにちだった。
とうとう11月も最後の日となる。 師走に入ればあらあらという間に今年も終わってしまいそうだ。 急ぎたくはないけれど背中を押されるように進んでしまうことだろう。
あっけなく過ぎていく毎日。とても平凡な毎日。 そんな日々をどれほど大切にしているかと自分に問う。
ただ流されているだけなのかもしれない。 けれどもその一日は一生に一度しかない一日でもあった。
ささやかなことを嬉しいと思いささやかな幸せを見つける。
そのためには自分が笑顔でいることがいちばん大切なこと。
思うようにはいかないときがたくさんあるけれど。
今日の笑顔に花まるをつけてそっと閉じたいと思う。
明日のことはなにもわからないけれど。
目覚めるたびに朝があることはとてもありがたいことだった。
| 2011年11月29日(火) |
おとななんだけどこども |
曇り日だったけれど気温は20℃を越えとても暖か。 散歩をしていると薄っすらと汗をかく。それが心地よい。 体力さえあればどこまでも歩いて行けそうに思った。
12月も目前。またすぐに寒い日が巡って来るだろう。 弱音を吐かず立ち向かうよう冬を乗り越えて行きたいものだ。
今夜は久しぶりに息子が帰って来て三人で夕食。 なんとなくそんな気がして鰹を買って来ておいて良かった。 タタキを作る。鰹は脂がのっておりとても美味しく出来る。
ご飯をおかわりしてくれる息子がとても嬉しかった。 この一年ほどですっかり痩せてしまっていたから。 たくさん食べて少しでも太ってくれたら良いなと思う。
相変わらず仕事が厳し過ぎて辛そうだった。 どんなにかストレスが溜まっている事だろう。 けれども以前のように深刻ではなさそうで少し安心する。
「次は焼肉にしようぜ」元気にそう言って帰って行った。
「いつでも帰って来なさいよ」笑顔で見送る母であった。
おとななんだけどこども。こどもなんだけどおとな。
父や母はどんなに老いても親でいられることがありがたかった。
|