今日も暖かく過ごしやすいいちにちだった。
とうとう11月も最後の日となる。 師走に入ればあらあらという間に今年も終わってしまいそうだ。 急ぎたくはないけれど背中を押されるように進んでしまうことだろう。
あっけなく過ぎていく毎日。とても平凡な毎日。 そんな日々をどれほど大切にしているかと自分に問う。
ただ流されているだけなのかもしれない。 けれどもその一日は一生に一度しかない一日でもあった。
ささやかなことを嬉しいと思いささやかな幸せを見つける。
そのためには自分が笑顔でいることがいちばん大切なこと。
思うようにはいかないときがたくさんあるけれど。
今日の笑顔に花まるをつけてそっと閉じたいと思う。
明日のことはなにもわからないけれど。
目覚めるたびに朝があることはとてもありがたいことだった。
| 2011年11月29日(火) |
おとななんだけどこども |
曇り日だったけれど気温は20℃を越えとても暖か。 散歩をしていると薄っすらと汗をかく。それが心地よい。 体力さえあればどこまでも歩いて行けそうに思った。
12月も目前。またすぐに寒い日が巡って来るだろう。 弱音を吐かず立ち向かうよう冬を乗り越えて行きたいものだ。
今夜は久しぶりに息子が帰って来て三人で夕食。 なんとなくそんな気がして鰹を買って来ておいて良かった。 タタキを作る。鰹は脂がのっておりとても美味しく出来る。
ご飯をおかわりしてくれる息子がとても嬉しかった。 この一年ほどですっかり痩せてしまっていたから。 たくさん食べて少しでも太ってくれたら良いなと思う。
相変わらず仕事が厳し過ぎて辛そうだった。 どんなにかストレスが溜まっている事だろう。 けれども以前のように深刻ではなさそうで少し安心する。
「次は焼肉にしようぜ」元気にそう言って帰って行った。
「いつでも帰って来なさいよ」笑顔で見送る母であった。
おとななんだけどこども。こどもなんだけどおとな。
父や母はどんなに老いても親でいられることがありがたかった。
| 2011年11月28日(月) |
またひとつ重ねてみては |
雨が降りそうで降らずなんとか持ちこたえていた空。
おもいっきり泣いちゃえば良いのにと声をかけてみる。
不安定な空はちょっと昔の誰かさんに似ている。
たんたんと仕事をする月曜日。 朝いちからちょっと苛立っている人もいた。 今にバクハツするのではないかとはらはらしながら。 出来るだけ穏やかに接するように心がけていた。 はあ・・疲れた。明日は笑顔でいてくれたら良いな。
除草作業の終わった散歩道にあまりにもたくさんのゴミ。 見るに見かねて今日こそはとゴミ袋を提げて出掛けたけれど。 作業員の人達が来ていてそれは綺麗に片付けてくれていた。 それがとても嬉しかった。除草以外の余分な仕事だったろう。 どうしてこんなにゴミを捨てるのかと悲しく思ったかもしれない。 ほんとに頭が下がる思いである。綺麗にしてくれてどうもありがとう。
お大師堂には若いお遍路さんがいてぐっすりと眠っている様子。 投げ出している足の裏が真っ赤になっていてとても痛々しかった。 よほど疲れているのだろう。戸を開けても気づかずに眠っていた。
起こしてはいけないとそっと戸を閉めて外から手を合わせて帰る。 お大師堂で寛いでくれるのが嬉しい。少しでも疲れを癒してほしい。
そうして夕陽が見えないまま日が暮れていった。
折りたたむようないちにち。昨日のうえに今日を重ねていく。
何も変わりない薄っぺらな紙のようなそれが束になっていく。
けれどもそれが私の宝物。そう言える日がきっとくるのだから。
| 2011年11月27日(日) |
平凡を絵に描いてみると |
曇り日。風もなく暖かな日曜日となる。
特に予定もなくのんびりだらだらと過ごすばかり。 平凡を絵に描いてみるとぽっかり浮かぶ雲のよう。
散歩道で小学生の男の子達と会う。 「柴ちゃんだ〜」と言って駆け寄ってきてくれた。 お菓子をくれようとしてくれたり頭を撫でてくれようと。 せっかく遊んでくれようとしているのにあんずが嫌がる。 男の子達に囲まれてびっくりしたのだろうか。 臆病なところはいつまでたっても変わらなかった。
「ごめんね」ってみんなに謝ってその場を離れる。 「ありがとうね」って言えば良かったのにと後から思う。
お大師堂に行けばすぐそばに水仙の花が咲き始めていた。 昨日は気づかなかったから今日咲いたばかりなのかもしれない。 つぼみがたくさんふっくらとふくらんでいて明日も楽しみだ。
山茶花や水仙や。冬には冬の花が咲いてくれることのありがたさ。
どんなに寒くなってもそんな花のように微笑んでいたいものだ。
| 2011年11月26日(土) |
きんつば美味しかったよ |
寒さが少し和らぎ久しぶりの小春日和となる。
近くの地場産市場まで歩いて買物に行く。 従兄弟に会ったり親戚のおばさんに会ったり。 歩いていると思いがけず会話が進むものだった。
新鮮なほうれん草を買い、好物の「きんつば」を一個買った。 普段は甘い物を控えているけれどたまに食べたくてしょうがない。 「きんつば」美味しかった。三個ぐらい食べたいくらいだった。
市場のすぐ隣が私の畑がある場所。もう諦めてはいたけれど。 やはり豌豆の芽は出ておらずなんとも情けない気持ちで帰路に着く。 どんな時もあるものだ。今年が駄目でもまた来年挑戦してみようと思う。
午後は散歩の時間までまたごろごろと茶の間で過ごす。 なんと無駄な時間だろうとつくづく思うけれど。 それも平和なひと時だった。何もすることがないそれもありがたいこと。
あんずの甘え声に急かされるように散歩に行く。 無理やりお大師堂まで連れて行かなくなって彼女はご機嫌のようだ。 歩く距離も今までの半分ほどだというのに満足している様子。 「もういいの?」と訊いてもさっさと家路を急ぐようになった。
それから私は自転車でお大師堂に行きゆっくりとお参りをする。 平穏な一日に感謝をし、みなの無事を祈り手を合わしている。
そうしてとても清々しい気持ちになって家路に着く。
今日も平凡で何気ない一日だったけれど。それがいちばんありがたいこと。
相変わらず寒い日が続いている。 南国高知の天狗高原にも初雪が降ったそうだ。
平野部にもやがてそんな日が訪れることだろう。 寒いのは苦手だけれど雪景色は決して嫌いではない。
昼間。仕事でとある老夫婦のお宅を訪ねた。 農作業の手を休めてくれてしばし語らう。 おじいさん、おばあさんと互いを呼び合うふたり。 なんとも仲睦まじくほっこりとした気分になった。
帰り際に蜜柑をいただき二人して私を見送ってくれた。 その笑顔のあたたかいこと。とても嬉しくてならない。
そうしてクルマを発進させた途端。胸がいっぱいになり。 なぜだか涙がほろほろと溢れ出してきたのだった。
もちろん嬉しさもある。けれどもそれ以上に感じたのは。 私達もあんなふうに老いていけたらどんなに良いだろうか。 彼とふたり長生きをしてお互いを思い遣りながら暮らしたい。
それがなんだか夢のように思えて感極まったのだと思う。
生きてみなければわからないこと。もしかしたと思う不安。
まだまだこれからの人生だと思いたいのだけれどやはり心細い。
10年前には思いもしなかったことが今は現実となり押し寄せてくる。
生きたい。いきたい。生きたい。いきたい。それが私の夢になった。
空はよく晴れていたけれど冷たい風が吹き抜ける。 一週間後にはもう師走。なんと早いことだろうか。
日々は穏やかなようでいて駆け足で過ぎて行くばかり。 焦ることなど何ひとつないのだけれど気が急いてくる。
ゆっくりのんびり行こうではないかとつぶやいてみる。
昨日考えさせられることがあって。 今日から散歩のスタイルを変えてみることにした。
真っ先にあんずの散歩を優先させること。 好きなように歩かせてあげて道草もさせてあげる。 いつものコースより少し短いのだけれど。 彼女にとってはそれでじゅうぶんのようだった。
もちろんもう嫌な思いをさせることもない。 あの雄叫びのような泣き声を聞くこともなかった。
そうして一度帰宅してから今度は私の日課を全うする。 自転車に乗ってお大師堂にお参りに行くのだった。 今日は風がとても冷たかったけれど自転車の気持良いこと。 何よりもあんずに嫌な思いをさせないで済むのがいちばんだった。
もっと早くこうしていれば良かったとつくづく思う。 そもそもそれぞれの日課を同時にしようとしていたのが間違いだったのだ。
5分や10分の時間を惜しむことなどない。 これからはそうしてそれぞれの時間を大切にしたいと思う。
お大師堂では広島から来たと言う若いお遍路さんと出会った。
これからもいろんな出会いがあることだろう。楽しみなことだ。
|