ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年11月21日(月) 猫はおもう

いちだんと肌寒い朝。風も冷たく身震いをするほど。
まだまだこれからが冬本番。少しずつ慣れていくだろうか。

年々寒さに弱くなっている我が身を感じる。
子供の頃には大好きだった冬が苦手になる。
霜柱を踏んだり雪遊びをしたのは遠い昔のこと。

いまは老いた猫のようになって陽だまりをさがしている。

このままで良いのだろうかと猫はおもう。
もっともっと冬の楽しみを見つけたいものだ。


いつもの散歩道。ついに冬の防寒着を着て行く。
フードをすっぽりと被ればとても暖かかった。
何人か散歩仲間に会うと皆まだ薄着で頑張っている。
少し恥ずかしくなってそっとフードを外したりした。

お大師堂は西日が差し込んでぽかぽかと暖かい。
しばらくそこでまったりとしていたいのは猫のせいか。

相変わらず泣き叫ぶあんずのこともあまり気にならなくなった。
どんなに呼んでも私はわたしの日課を全うするしかない。

せっかくの穏やかな気持ちが犬と喧嘩していては台無しだもの。

と。猫はおもう。ぐんぐんと早く家に帰ろうと急ぐ犬の後から。

わざとゆっくりと歩いてみせる猫であった。




2011年11月20日(日) ゆるしてねあんず

雲ひとつない青空。小春日和かなと思っていたけれど。
風がだんだんと強くなり木枯らしのように吹き荒れる。


朝のうちに買物に行った。食料品を買い衣料品を見る。
特に欲しい物もなくあれこれと手にとっては元に戻す。
普段はそんな時間がないから日曜日ぐらいはと思った。

午後は例のごとくごろごろ。炬燵がとてもありがたい。
「アッコにおまかせ」を見ているうちに眠り込んでいた。
何度か目を覚ましてはまたうとうととついに三時になる。

洗濯物を取り入れているとあんずがまた大声で叫び出す。
「早くしろ」と命令されているようでちょっとむっとした。

甘えているだけだよ。彼が言ってくれてはっと我に返った。
知らず知らずのうちに犬と張り合っている自分が可笑しい。

冷たい向かい風の中を突っ切るようにしてふたりで歩いた。
もしもあんずがいなくなってしまたらとふと考えていた。
私はひとりでも散歩を続けられるだろうかなんて思った。

ながくてあと5年。犬の寿命の短さをあらためて感じる。
そう思うとどんなに喧嘩をしてもこんなに愛しいものはなかった。

甘えたいだけ甘えればいい。いっぱいわがまま言えばいい。

母さんはいつも優しいわけではないけれど。ゆるしてねあんず。




2011年11月19日(土) 雨がやんだら

朝から激しい雨と風。まるで嵐のようだった。
雨音を聞きながら家の中でまったりと過ごす。

そんな雨もお昼過ぎには小降りになりサチコがやって来た。
悪阻も治まったようで食欲が出てきたらしくたこ焼きを持参。
たくさん買って来たのだよと言うので私もごちそうになった。

茶の間でお腹の赤ちゃんのビデオを見る。
ひと月前より確かに大きくなっていてほっとする。
元気に動いている心臓。時々手も動かしていて可愛い。
へその緒らしきものも見える。しっかりと繋がっているんだ。

なんとも神秘的なせかい。感動もひとしおであった。

また来月のお楽しみね。元気に帰って行く娘を見送る。
その頃には雨もやみうっすらと陽が射し始めていた。


雨上がりの道を散歩する。とても清々しい気分だった。
青空がなにかのごほうびのように雲の間から見えた。

増水して濁った川に夕陽が道のような光を映し出して。
きらきらと眩しく光る。その光が水を清めてくれるように。

ゆっくりとゆっくりと歩いた。しんこきゅうをいっぱいした。



2011年11月18日(金) 雨の夜が好きだ

小雨だった雨が夕方から本降りになってきた。
雨水の弾ける音。地面を叩きつける音。
そのリズミカルな音が耳に心地よく響いてくる。

雨の夜が好きだ。うまく言葉に出来ないけれど。
なんて言ったら良いのだろう。すっぽりと水に。
つつみこまれた湖のなかの生物のようなきもち。


ラベンダーのお香を焚きうっとりとしているいま。
あれこれと日々の事など綴ろうとしていたけれど。
それがなんだかどうでも良い事のように思えてきた。

いまはいまをたのしもう。それがいちばんかもしれない。


今日も平穏な一日だった。とてもありがたいこと。

明日は娘のサチコが顔を見せてくれるそうで楽しみでならない。



2011年11月17日(木) なんでもないことだけれど

晴れのちくもり。週末は雨になりそうだ。

夕陽の見えない散歩道を歩く。
ひっそりとしていてし〜んと静かだった。
ただ川の水だけがひたひたと囁いている。



夕食の支度を終えさあ食べようとしたら。
炊飯ジャーの中がかっらぽであらまあだった。
おにぎりでも買って来ようと急いでコンビニへ行く。

そうしたら思いがけずに温かなご飯を売っていて助かる。
お茶碗を汚さなくてもと彼が言いパックのままで食べた。

大相撲中継を観ながらいつもと変わらない平穏な時間。
そそっかしくてちょっとヘマをしたけれどそれも忘れる。

明日の朝はちゃんとご飯が炊けていますように。
そうしてまた平穏にいちにちが始まりますように。


なんでもないことだけれど。それがとても幸せなことに思える。

ご飯を食べたりお風呂に入ったりお布団でぐっすり眠る。

そんな日々の当たり前のことがとてもありがたいことに思える。



2011年11月16日(水) 生きているよね

ストーブの準備をしておいてよかった。
今朝はそのオレンジ色に心まで暖かくなる。

北の地からはもう雪の便りが届き始める。
どんなにか寒いことだろうと気遣っている。
ながいながい冬。耐え忍ぶような毎日だろう。

南国の冬はつかの間。寒いと言うのも心苦しく思う。


日中はありがたいことに小春日和。
仕事の手を休めてはその陽射しを浴びた。

おひさまのちからはすごいなとおもう。

からだのなかから芽が出てきそうだもの。

それはいつかまいた種。生きているなっておもう。

その芽を大切に育てて春になったら花を咲かそう。



帰宅していつもの散歩道。
除草作業がどんどんと進んでいる道を歩く。
川沿いの道には刈られたススキが横たわっていた。
それはたくさん。なんだか安らかに眠っているよう。

刈られるということは無残なことではないのかもしれない。
ふとそう思った。ススキは少しも悲しそうではなかったから。

げんじつをうけとめるというのはこういうことかな。

なんだか散髪をしてもらってすっきりとしたような根。

だって根はいつまでも生き続けることが出来るのだもの。

その根のことを愛しくおもう。生きているよねって語りかける。



2011年11月15日(火) おとうちゃんの命日

朝の肌寒さが日に日に増していく。
明日の朝も冷えそうでストーブの準備をした。

寒いのは苦手だけれど暖を取る楽しみがある。
炬燵も好き。ストーブのオレンジ色も好きだ。
そうそうそれからお気に入りのちゃんちゃんこも。



今日は父の命日。もう8年が経ってしまった。
しんみりと思い出すことも多いのだけれど。
いつまでも寂しがっていては父が悲しむだけ。
そう思うといつも通りに微笑んでいるのがいちばん。

だって父はいつもそばにいてくれるから。
その存在を確かに感じている毎日だった。

そうしてみんなを見守ってくれている。
平穏無事でいられるのは父のおかげだと思う。

「ねえ、おとうちゃん」遺影に手を合わせ話しかける毎日。

「おお、そうか。それはよかった」と応えてくれる父。

これからもいっぱい私の話を聞いてね。

そうして一緒に喜んでいっぱい微笑んでいてね。

おとうちゃんいつもありがとう。

今日もねみんなが無事で元気でいられたよ。


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