小春日和に誘われてパンジーの苗を植える。 殺風景だった庭が一気に明るくなった気がする。
パンジーは寒さに強い花。 雪に埋もれることがあってもきっと大丈夫。 そんな花に元気をもらって私も春に向かいたい。
夕暮れ間近の散歩道。夕陽がとても綺麗だった。 川向の山に溶け込むようにして落ちていく太陽。 川面が茜色に染まり水の頬を撫でるように落ちる。
私は平穏をかみしめていた。決して砕かないように。 そっと抱くようにしてそれを胸につつみこむように。
誰もがみんなそうであればどんなにかよいだろうか。 太陽はひとつきりだと言うのにそれぞれの一日がある。
どんなに微笑んでいても涙をながしているひともいる。 そう思うとこころが痛む。どうしようもできないけれど。
出来ることは祈ること。それが私に与えられていること。
手を合わせ目を閉じると不思議な光が見えることがある。
それはきっとこころの太陽。ひとつきりの太陽がそこにある。
快晴ではなかったけれど久しぶりに青空が見えた。 気温も高くなりぽかぽかと暖かい小春日和となる。
平穏な週末ではあったけれど気掛かりな事もあった。 少しでもちからになりたいとはがゆいように思うばかり。
そうしてどうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろうと。 自分を責めたくもなってくる。そのために出会った人かもしれないのに。
今はただ無事を信じて祈るばかり。どうか光を。 すべての光をその人に届けてあげたい気持ちでいっぱいである。
生きているってすばらしいこと。
枯れ始めた野菊だってちゃんと生きている。
老い始めたススキだって風の中で息をしている。
川は海に抱かれるために流れることをやめない。
みんなみんなあたえられたせかいを生きている。
見守られていることを忘れないで。
きみは決して独りぼっちではないよ。
今日も不安定な空模様。時々小粒の雨が落ちる。
幸いなことにこころは晴れている。 くよくよと思い詰めることもない。
どんな時もあるものだけれど。 こんな時を大切にしたいものだ。
多忙だった仕事を終えて帰宅。 今日もあんずの叫び声に急かされ散歩に行く。 途中で自転車に乗った子供たちと一緒になり。 ワンちゃんと遊びたいよと言ってもらって嬉しかった。
ちょっと繋いでおくから遊んであげてねと言った矢先。 リードが首輪から外れてしまってあんずが逃げてしまった。
子供たちも一緒に追いかけてくれたけれど。 追えば追うほど好き勝手に逃げ回るのだった。
「野良犬になっちゃっうよ」子供たちの言うとおり。 「お菓子をあげてみようか」そう言って協力もしてくれた。
けれどもとても素早くてどうしても捕まえられない。 そのうち子供たちも諦めてしまって「ばいばい」となる。
私ももう知らない。勝手にすればいいわ。 土手で遊んでいる彼女を無視して家に帰って来た。
そうしたらとぼとぼと後を追ってくるではないか。 犬小屋まで戻ったところをソーセージを見せてやっと捕まえた。
でもなんだか叱る気にはなれなくてそっとしておく。
毎日どんなにか我慢をしていることだろうと思うと。 たまには好きなようにさせてあげても良いだろうと。
人間だと80歳が近いおばあちゃん犬である。
それなのにいつまでたっても甘えん坊でやんちゃなところがちょっと好き。
今日も曇り日。いちだんと肌寒くすっかり初冬を思わす。
おひさまが恋しい。やわらかな陽射しをいっぱいに浴びたい。
仕事から帰宅するなりあんずが叫ぶように声をあげる。 おしっこを我慢していて私の帰りを待ちかねていたようだ。
ほらほら大急ぎと全速力で土手へと駆けていく彼女。 私も引っ張られながら走った。ふぅ早くも息が切れる。
彼女はとても気持ち良さそうにおしっこをする。 その恍惚とした顔。なんともいえない顔をする。
そうしてそれが済むと今度はのんびりと歩き出す。 相変わらず草と戯れるのが好きで道草ばかりしている。
お大師堂の近くの石段の手すりに彼女を繋いだ。 それが彼女にとっていちばん嫌なことのようだ。
とにかく悲鳴のような声をあげて叫び続けている。 置いとけぼりにされるのがよほど寂しいのだろうか。 単に我がままなのだろうか。それは知る由もないけれど。
泣き叫ぶ我が子を独りぼっちにするような母の気持ちになるのだ。
けれどもそれがもう日課になってしまった。 そうして私はやっとお大師堂にお参りすることが出来る。
そこまでしなくてもとふと自分を咎めるような気持ちにもなる。
けれどもこれだけは譲れないと強気になってしまうのだった。
お大師様もきっと毎日微笑んでいることだろう。
ワンちゃん今日も泣いてますよってつぶやいているかも。
「ありがとうございました」手を合わせ何度も頭をさげて。
決して急ぐことなく彼女の元へと帰る。
そうして頭を撫でてあげるとご機嫌になる彼女であった。
どんよりと曇り日。気温も低く肌寒い一日だった。
昨日少し興奮気味だったせいか。 今日は気が抜けたようにしぼんでいた。 いいえ元気がないのでは決してなくて。 平穏な一日を楽しむような気持ちだった。
嬉しかったのはずっと応援していたお遍路さんが。 今日無事に結願した事。感動で胸がいっぱいになった。 ほぼ二ヶ月の長い旅だった。どんなにか疲れた事だろう。 けれどもたくさんの経験をしてすごく成長したのではと思う。 きっと彼にとって一生忘れられないお遍路旅になる事だろう。 縁あって私も出会うことが出来た。感謝の気持ちでいっぱいである。
お疲れさま。おめでとう。それ以上に「ありがとう」と伝えたい。
仕事を終えてクルマに乗ろうしていたら。 職場の庭にいた母が大きな声で叫ぶように私を呼び止めた。
そこには山茶花が一輪。今日開いたばかりのように咲いていた。 あたりの風景が冬枯れていくなか。その花のなんと可憐な事だろう。 まわりにはたくさんの蕾。それが希望のように微笑んでいるではないか。
耳を澄ませば冬の足音。冬の花だってしっかりと生きていてくれるのだ。
PS:先日の試験の結果がわかりました。合格です!ほっとしました。
久しぶりに肌寒い朝。ああ立冬だなって思ったのもつかの間。 日中はまた気温が高くなりすっかり小春日和となる。
真っ青な空は抜けるようにどこまでも広がり。 降りそそぐ陽射しはまるで光の天使達のよう。
手のひらをかかげてそんな空を仰いでみるのがいい。 生きていることがどんなに幸せなことかがきっとわかる。
今日は嬉しいことがたくさんあった。 先日からのお遍路さんふたりとまた出会うことが出来たのだ。 ひとりは山里での道で。もうひとりは帰り道の県道で。 ふたりともとても元気そうに歩いていてすごく嬉しかった。 つかの間の立ち話にも笑顔で応じてくれてますます嬉しく。 名残惜しかったけれどきっといつかまた会えるような気がした。
そんな嬉しい再会の後。先日頂いた安産のお守りを娘に届けに行く。 サチコもとても喜んでくれた。これで絶対に安心だねとほっとした様子。 心のこもったとても心強いお守り。きっと丈夫な赤ちゃんが生まれます。
それからサチコの好物のさつま芋の甘煮を作ってあげた。 アパートに行っても玄関ですぐに帰ってしまう事が多かったから。 「食べたいよう」と言って甘えてくれたのがすごく嬉しかった。
どう?久しぶりの母の手料理。味見するサチコの笑顔がまた嬉しい。
すっかり有頂天になってしまった母はふわふわしながら家路に着いた。 嬉しいことがこんなにたくさんあって良いのかしらとふと思ったけれど。
以前のように不安になったりはもうしない。
お大師様がごほうびをくれたのかなって思うようになった。
ありがとうございました。今日も心から手を合わしています。
私信:「Fちゃんお誕生日おめでとう」
生まれた日があるから今があるのですもの。 これからも前を向いて突き進んでいきましょうね。
ここ数日ずっと気温の高い日が続いていたけれど。 明日の朝から平年並みになりまた冷え込みそうだ。
明日はもう立冬。冬の足音がすぐ身近に感じられるようになる。 毎日が駆け足のように過ぎていく。秋と語り合う日々は僅かだった。
朝の国道で昨日出会ったお遍路さんを追い越す。 長いトンネルの中間あたり。確かにその人の後姿だった。 寒くなれば野宿も大変なことだろう。どうか元気でと。 手を合わすような気持ちでその姿を目に焼き付けて行った。
夕方の散歩道。お大師堂に立ち寄ると備え付けのノートに。 その人が書き残してくれた言葉と綺麗なスケッチが書かれてあった。 四万十川に沈む夕陽を描いたそれは素晴らしい風景画だった。
感動で胸がいっぱいになる。そうしてここで寛いでくれた事が嬉しい。
おせっかいな私のこと。良かれと思った事が良くない事がたまにある。 けれどもそれが私の言う「種まき」なのかもしれないとつくづく思った。
ささやかな縁でも決して粗末にしてはいけない。
ためらわずに声をかけることも大切なことだと思う。
日々。一期一会。これからもたくさんの人と巡り会いたいものだ。
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