早いものでもう11月。 今年もあと二ヶ月かと思うと。 あらあらと言う間に時が流れてしまいそうだ。
霜月といえどもぽかぽかと暖かいいちにち。 ある朝とつぜんに霜がおりる日もあるだろう。 立冬も近くなり身構えるような気持ちでいる。
冬は決して嫌いではないのだけれど。 年々寒さに弱くなっていく我が身を感じる。
さて。今日もいつもの散歩道。 お大師堂に向かっていると顔見知りのお遍路さんが出迎えてくれた。 山梨のMさん。前回の再会からちょうどひと月が経っていた。 よほどの健脚と見えてその早さにとても驚いてしまう。 慣れてくるとこんなものですよと笑っていたけれど。
私のひと月とMさんのひと月はあまりにもかけ離れていて。 日々だらしなく過ごすばかりの自分が情けなく思えてくる。
けれどもそうして生きていくしか道がない。 Mさんの生きる道がどれほど尊いことだろうか。
歩き続けている限りまたきっと会える日が来る。 それはとてもありがたい縁なのだとつくづく思う。
じゃあまたね。なんだか友達みたいに声を掛け合って別れた。
思いがけないほどに暖かな朝。 朝陽が射し始めると青空が広がっていく。 風もないのに雲はどこに流れていくのだろう。 そうしてゆっくりといちにちが始まっていった。
いつもの峠道を行けばつわぶきの花がそれはたくさん咲いていて。 山肌からこぼれるようにその愛らしい顔をのぞかせている。
太古の昔に初めて咲いた花は黄色だったと聞く。 山や野に咲く花はまるで歴史そのもののようにも思える。
あちらこちらにとその花を見つけては「おはよう」と声をかけた。 もちろん応えてはくれない。けれどもそっと耳を澄ませてみる。
花たちは確かに語らっている。あたりの緑もささやいている。
山全体が歓喜の声をあげているように私には感じられた。
そんな峠道を鈴の音を響かせながらお遍路さんが歩いて行く。
私も歩きたいなってすごく思った。もっともっと耳を澄ましてみたい。
朝のうちほんの少しだけ雨が降る。 静かにしっとりとあたりが潤っていく。 雨のにおいが好き。とても心が落ち着く。
あいかわらず何をするでもなく。 ひたすらのんびりと過ごす休日。 平凡で退屈な時間がまた愛しい。 午後はたっぷりと昼寝などする。
楽しみなのは散歩の時間だった。 雨のにおいが残る道を歩いて行く。
風のない日の川はまるで湖のよう。 ひたひたと水がかすかに歌っている。
のどかに釣り糸をたらす川船の老人。 こんにちはと声をかける散歩仲間達。
まるで時間が止まってしまったようなひと時。 とっくんとっくんと動いているのは私の心臓。
生きていることをもっともっと感じていたい。
| 2011年10月29日(土) |
お遍路さん(その6) |
雨が降りそうで降らず曇り日のまま日が暮れる。
里芋を煮た。また作り過ぎてしまってお鍋にいっぱい。 こんな日に息子が来てくれたら良いのになって思った。
夕方散歩に行く時にお米を少々持って行く。 実は水曜日に再会したお遍路さんがお大師堂に逗留していて。 昨日会った時に「お米持って来て下さいよ」と頼まれていたから。
でも正直言ってそれが少し不愉快でもあった。 お接待やお布施は確かに大切なことだけれど。 頼まれてすることではないのだと思っていたから。
どうしようかなと今日は朝から悩んでいたけれど。 ほんとうに困っているのなら助けてあげなくてはと思う。
少し後味が悪いような気もしたけれど。 その人が喜んでくれるのがいちばんだと思ったから。
でも今日も居るはずのその人がそこにいなかった。 お大師堂の掃除もしてくれたのか綺麗に片付いていた。
なんだかキツネにつままれたような気持ち。 予定を変更して今朝のうちに旅立ったようだった。
そうしてまたひたすら歩き続けるのだろう。 帰る家がないのかもしれない。終りのない旅なのかもしれない。
そう思うと。たとえ一瞬でも不愉快に思った事を心から詫びた。 お米をと言ったその人の笑顔がすべてを物語っているように思えた。
あの笑顔がその人のほんとうの姿なのだろう。
またきっと再会しましょう!
今度は頼まれなくてもお米を差し入れしますからね。
朝の寒さが少しゆるみほっとする。 どうやら雨が近づいているようだ。 それもまたよしと思いたいものだ。 冷たい雨になってしまうかもしれないけれど。
仕事中。母が庭の草引きを始めた。 それは母の気分転換でもあり止めもせずにいると。
枯れ始めたコスモスを根こそぎ引き始めてしまう。 それはとてもはらはらとする光景だった。 いくら枯れてしまったとしてもそっとそのままに。 そうでないと毎年咲いてくれる花が憐れでならない。
まして私の大好きな花。あんまりではないかと思った。 ついに耐えかねて少し母を咎める口調になってしまった。
「だって汚いでしょ!」それが母の言い分。
確かにそれはもう美しくはない。可愛くもないかもしれない。 けれどもどんな姿になっても愛しい気持ちを忘れたくはない。
ふとどうしてあげればコスモスは喜ぶのだろうと考える。 汚いと言われてまでもそこに在り続けることが幸せなのか。
答えは見つからないままだったけれど。 結局私も母を手伝うことになってしまった。
どうか来年もきっと咲いてくれますように。 引き抜いては種をなるべくたくさんふるい落とす。 種さえあればきっと大丈夫。やっとそう思えるようになった。
信じてあげなくては。それがいちばんのことなのではないか。
また巡り来るだろう秋にきっと再会出来ることだろう。
たくさん咲いてくれてありがとうね。供養のように手を合わした午後。
| 2011年10月27日(木) |
そうして息子は去って行く |
夏からずっとシャワーだったのを今夜からやめにする。 久しぶりに浸かるお湯のなんと心地よいことだろう。 肩まで浸かってくらげみたいにふにゃふにゃとしてみる。
寒くなればこんな楽しみが増える。お風呂が大好きになった。
入浴後。いつものように自室でくつろいでいたら。 今から帰るからと息子から電話がかかってきた。 とにかく何でも良いから食べさせてくれと言う。
残り物しかなくて。切干大根の煮たのとか。 大急ぎで温めていたらすぐに息子が帰って来た。
「すき屋」に牛丼を買いに行っていたらなんだかすごく むなしくなったのだと言う。気分まで悪くなってきたと。
そうかそうかと宥めながらも母は微笑むことを忘れない。 けれども内心は息子のことがとても憐れでならなかった。
今更ながら一人暮らしはもう無理なのではないかと気遣う。 けれども息子はそんな暮らしをやめるつもりはないと言う。
なるようになるのだろうか。このままでいいのだろうか。
あれこれと心配していたらきりがなくただ受けとめるしかない。
帰り際に私の部屋に乱入してきた息子は本棚をあさってみては。 これにしよう!と私の愛読書をさっさと奪って行った。
「ひろさちやの般若心経88講」である。私の宝物なのに。
でもそれがなんだか嬉しくなってきた。
それを読めばきっと変わる。今の泥沼から抜け出せる気がする。
かつての私がそうだったように。息子にも光が見えるかもしれない。
今朝はこの秋いちばんの冷え込みだったようだ。 血圧がぐんと高くなる。不安でならない朝でもあった。
重ね着などして暖をとる。大丈夫だいじょうぶと言い聞かす。 寒さはまだまだこれからだと言うのにこれでは先が思い遣られる。
もっとど〜んと構えていなければ冬に負けてしまうではないか。
と、自分に喝を入れる。強気がいちばん。立ち向かって行こう!
晴天に恵まれ日中は暖かくなりほっと空を仰いだ。 降りそそぐ陽射しがこんなにありがたいことはない。
仕事を終え帰宅すると今日も元気に散歩に出掛けた。 民家の近くを歩けば柿の実がたくさん実っている。 土手を歩けばススキや野菊が寄り添って微笑んでいる。
お大師堂に行けば顔見知りのお遍路さんと再会した。 歩くばかりの日々と言う。そうして月日が流れていく。 それでも笑顔を絶やさない人。その笑顔はとても貴重だった。
そうして川辺の道を歩く。振り向きながら夕陽を仰いだ。
生きているんだなってすごく感じる。とてもとても幸せなんだ。
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