ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年10月30日(日) 雨のにおい

朝のうちほんの少しだけ雨が降る。
静かにしっとりとあたりが潤っていく。
雨のにおいが好き。とても心が落ち着く。


あいかわらず何をするでもなく。
ひたすらのんびりと過ごす休日。
平凡で退屈な時間がまた愛しい。
午後はたっぷりと昼寝などする。


楽しみなのは散歩の時間だった。
雨のにおいが残る道を歩いて行く。

風のない日の川はまるで湖のよう。
ひたひたと水がかすかに歌っている。

のどかに釣り糸をたらす川船の老人。
こんにちはと声をかける散歩仲間達。

まるで時間が止まってしまったようなひと時。
とっくんとっくんと動いているのは私の心臓。

生きていることをもっともっと感じていたい。



2011年10月29日(土) お遍路さん(その6)

雨が降りそうで降らず曇り日のまま日が暮れる。

里芋を煮た。また作り過ぎてしまってお鍋にいっぱい。
こんな日に息子が来てくれたら良いのになって思った。



夕方散歩に行く時にお米を少々持って行く。
実は水曜日に再会したお遍路さんがお大師堂に逗留していて。
昨日会った時に「お米持って来て下さいよ」と頼まれていたから。

でも正直言ってそれが少し不愉快でもあった。
お接待やお布施は確かに大切なことだけれど。
頼まれてすることではないのだと思っていたから。

どうしようかなと今日は朝から悩んでいたけれど。
ほんとうに困っているのなら助けてあげなくてはと思う。

少し後味が悪いような気もしたけれど。
その人が喜んでくれるのがいちばんだと思ったから。


でも今日も居るはずのその人がそこにいなかった。
お大師堂の掃除もしてくれたのか綺麗に片付いていた。

なんだかキツネにつままれたような気持ち。
予定を変更して今朝のうちに旅立ったようだった。

そうしてまたひたすら歩き続けるのだろう。
帰る家がないのかもしれない。終りのない旅なのかもしれない。

そう思うと。たとえ一瞬でも不愉快に思った事を心から詫びた。
お米をと言ったその人の笑顔がすべてを物語っているように思えた。

あの笑顔がその人のほんとうの姿なのだろう。

またきっと再会しましょう!

今度は頼まれなくてもお米を差し入れしますからね。



2011年10月28日(金) コスモス供養

朝の寒さが少しゆるみほっとする。
どうやら雨が近づいているようだ。
それもまたよしと思いたいものだ。
冷たい雨になってしまうかもしれないけれど。



仕事中。母が庭の草引きを始めた。
それは母の気分転換でもあり止めもせずにいると。

枯れ始めたコスモスを根こそぎ引き始めてしまう。
それはとてもはらはらとする光景だった。
いくら枯れてしまったとしてもそっとそのままに。
そうでないと毎年咲いてくれる花が憐れでならない。

まして私の大好きな花。あんまりではないかと思った。
ついに耐えかねて少し母を咎める口調になってしまった。

「だって汚いでしょ!」それが母の言い分。

確かにそれはもう美しくはない。可愛くもないかもしれない。
けれどもどんな姿になっても愛しい気持ちを忘れたくはない。

ふとどうしてあげればコスモスは喜ぶのだろうと考える。
汚いと言われてまでもそこに在り続けることが幸せなのか。

答えは見つからないままだったけれど。
結局私も母を手伝うことになってしまった。

どうか来年もきっと咲いてくれますように。
引き抜いては種をなるべくたくさんふるい落とす。
種さえあればきっと大丈夫。やっとそう思えるようになった。

信じてあげなくては。それがいちばんのことなのではないか。

また巡り来るだろう秋にきっと再会出来ることだろう。

たくさん咲いてくれてありがとうね。供養のように手を合わした午後。



2011年10月27日(木) そうして息子は去って行く

夏からずっとシャワーだったのを今夜からやめにする。
久しぶりに浸かるお湯のなんと心地よいことだろう。
肩まで浸かってくらげみたいにふにゃふにゃとしてみる。

寒くなればこんな楽しみが増える。お風呂が大好きになった。


入浴後。いつものように自室でくつろいでいたら。
今から帰るからと息子から電話がかかってきた。
とにかく何でも良いから食べさせてくれと言う。

残り物しかなくて。切干大根の煮たのとか。
大急ぎで温めていたらすぐに息子が帰って来た。

「すき屋」に牛丼を買いに行っていたらなんだかすごく
むなしくなったのだと言う。気分まで悪くなってきたと。

そうかそうかと宥めながらも母は微笑むことを忘れない。
けれども内心は息子のことがとても憐れでならなかった。

今更ながら一人暮らしはもう無理なのではないかと気遣う。
けれども息子はそんな暮らしをやめるつもりはないと言う。

なるようになるのだろうか。このままでいいのだろうか。

あれこれと心配していたらきりがなくただ受けとめるしかない。

帰り際に私の部屋に乱入してきた息子は本棚をあさってみては。
これにしよう!と私の愛読書をさっさと奪って行った。

「ひろさちやの般若心経88講」である。私の宝物なのに。

でもそれがなんだか嬉しくなってきた。

それを読めばきっと変わる。今の泥沼から抜け出せる気がする。

かつての私がそうだったように。息子にも光が見えるかもしれない。



2011年10月26日(水) 水曜日

今朝はこの秋いちばんの冷え込みだったようだ。
血圧がぐんと高くなる。不安でならない朝でもあった。

重ね着などして暖をとる。大丈夫だいじょうぶと言い聞かす。
寒さはまだまだこれからだと言うのにこれでは先が思い遣られる。

もっとど〜んと構えていなければ冬に負けてしまうではないか。

と、自分に喝を入れる。強気がいちばん。立ち向かって行こう!


晴天に恵まれ日中は暖かくなりほっと空を仰いだ。
降りそそぐ陽射しがこんなにありがたいことはない。

仕事を終え帰宅すると今日も元気に散歩に出掛けた。
民家の近くを歩けば柿の実がたくさん実っている。
土手を歩けばススキや野菊が寄り添って微笑んでいる。

お大師堂に行けば顔見知りのお遍路さんと再会した。
歩くばかりの日々と言う。そうして月日が流れていく。
それでも笑顔を絶やさない人。その笑顔はとても貴重だった。

そうして川辺の道を歩く。振り向きながら夕陽を仰いだ。

生きているんだなってすごく感じる。とてもとても幸せなんだ。








2011年10月25日(火) 川辺にて

曇り日。風が吹き抜け肌寒い一日だった。
昨日の暖かさがうそのよう。そうして冬の足音が忍び寄る。

たくさん咲いていたコスモスがすっかり枯れてしまった。
なんともさびしい。あたりの風景が一気に冬枯れていくよう。

しょんぼりとした気持ち。だからこそ心に種をまきたい。
どんな花を咲かせようか。楽しみながら日々を送りたいものだ。


夕暮れ間近の散歩道。川辺にじっと佇んでいる人を見つける。
見知らぬ男性だった。岩に腰をおろし川ばかりを見つめている。
何か思いに耽っているようにも見えて声もかけられなかったけれど。

私にもかつてそんなことがあったなと遠い日のことを思い出した。
あの時は何を考えていたのだろう。いったい何を想っていたのだろう。

その人を横目に川辺の道を進んでいくと県外ナンバーの車が停まっていた。
誰も乗っておらずさっきのその人がそこから歩いて行ったのだと気づいた。

一人旅だろうか。いやもしかしたら仕事で出張してきたのかしれない。
そんなどうでも良いことを考えながらその人からどんどん遠ざかって行った。

そうして夕陽が川面を照らし始める。きらきらとそれは眩しく美しい。

あの人もきっと見ているだろうな。そう思うとすごく嬉しくなった。



2011年10月24日(月) 散歩道

二十四節気の「霜降」冷え込みを覚悟していたけれど。
思いがけずに気温が高くなり26℃の夏日となった。

もう今年最後の夏日かもしれない。
そう思うときらきらと光る陽射しが愛しくてならなかった。


散歩道を歩きながら川風に揺れるススキの穂を仰いだ。
ずいぶんと背高のっぽ。これ程に伸びるものかと驚く。
その穂に西日が射し眩しいほどに光り輝いていた。

すぐに帰ってしまうのがもったいないような気がして。
川端の道をしばらく歩き続けてみた。ずっとどこまでも。
行ける所まで行ってみたい衝動に駆られる。胸をはって。
何も考えずに。ひたすら歩き続けてみたいなと思った。

うっすらと汗が流れ始める。なんて心地よい散歩なのだろう。

今日よりも明日と少しずつ距離を伸ばしてみようかなと思う。

そうして今まで気づかなかった風景に出会ってみたいものだ。

きっと毎日が楽しくなる。散歩道はちょっと人生と似ている。


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