曇り日。風が吹き抜け肌寒い一日だった。 昨日の暖かさがうそのよう。そうして冬の足音が忍び寄る。
たくさん咲いていたコスモスがすっかり枯れてしまった。 なんともさびしい。あたりの風景が一気に冬枯れていくよう。
しょんぼりとした気持ち。だからこそ心に種をまきたい。 どんな花を咲かせようか。楽しみながら日々を送りたいものだ。
夕暮れ間近の散歩道。川辺にじっと佇んでいる人を見つける。 見知らぬ男性だった。岩に腰をおろし川ばかりを見つめている。 何か思いに耽っているようにも見えて声もかけられなかったけれど。
私にもかつてそんなことがあったなと遠い日のことを思い出した。 あの時は何を考えていたのだろう。いったい何を想っていたのだろう。
その人を横目に川辺の道を進んでいくと県外ナンバーの車が停まっていた。 誰も乗っておらずさっきのその人がそこから歩いて行ったのだと気づいた。
一人旅だろうか。いやもしかしたら仕事で出張してきたのかしれない。 そんなどうでも良いことを考えながらその人からどんどん遠ざかって行った。
そうして夕陽が川面を照らし始める。きらきらとそれは眩しく美しい。
あの人もきっと見ているだろうな。そう思うとすごく嬉しくなった。
二十四節気の「霜降」冷え込みを覚悟していたけれど。 思いがけずに気温が高くなり26℃の夏日となった。
もう今年最後の夏日かもしれない。 そう思うときらきらと光る陽射しが愛しくてならなかった。
散歩道を歩きながら川風に揺れるススキの穂を仰いだ。 ずいぶんと背高のっぽ。これ程に伸びるものかと驚く。 その穂に西日が射し眩しいほどに光り輝いていた。
すぐに帰ってしまうのがもったいないような気がして。 川端の道をしばらく歩き続けてみた。ずっとどこまでも。 行ける所まで行ってみたい衝動に駆られる。胸をはって。 何も考えずに。ひたすら歩き続けてみたいなと思った。
うっすらと汗が流れ始める。なんて心地よい散歩なのだろう。
今日よりも明日と少しずつ距離を伸ばしてみようかなと思う。
そうして今まで気づかなかった風景に出会ってみたいものだ。
きっと毎日が楽しくなる。散歩道はちょっと人生と似ている。
空は気持ちよく晴れ暖かく穏やかな祭り日和。
朝、高台の神社からお神輿が出て秋祭りが始まる。 どんどこどんどこ太鼓の音に誘われて祭りの広場へと出掛ける。
地区のちいさなお祭りだけれど毎年楽しみにしている。 太鼓の音はもちろんのこと太刀踊りがとても好きだった。
くるりくるりと太刀をまわしながら勇ましく踊る男の子たち。 古くからの伝統を今に受け継ぎ今年も新しい踊り子が加わった。
その一人には息子の同級生の子供もいて。 もうこんなに立派に成長したのかとおどろく。 小学四年生。まだあどけない顔のままとても上手に踊っていた。
息子にもこんな頃があったなと懐かしく思い出す。 上手に踊れるかしらとはらはらしながら見守ったことだった。
ずいぶんと歳月が流れてしまったけれど昨日のことのよう。 そうして少年は青年になりすっかり大人になってしまったけれど。 地元に住んでいれば今も青年団で活躍していたことだろう。
もう一度見てみたいなと無理なことをついつい願ってしまう。
母親ってみんなそうなのかもしれない。
どんなに成長しても子供の頃のあどけない笑顔が懐かしく愛しくてならない。
嵐のようだった昨夜がうそのように静かな朝を迎える。 どこからか鳩の鳴き声。ぽっぽうぽっぽうと可愛い声。
そうして平穏に一日が始まることがとてもありがたくてならない。
新聞の折込にピザ屋さんのチラシがあった。 「照り焼きチキンピザ」なんて美味しそうなのでしょう。 どうしても食べたくなって11時の開店を待ちかねて注文する。
まだかなまだかな。待っている間はそわそわと落ち着かない。 庭に出てうろうろしたり路地をのぞいたりしながら待っていた。
やっと来ました。嬉しくて子供みたいな顔になっていたかもしれない。 Lサイズのピザを二人で残さず平らげる。ついでのビールもまた旨し。 お腹がいっぱいになってなんとも幸せな気分になってしまった。 節約ばかりの毎日だけれど、たまにはささやかな贅沢をしたいなと思う。
午後はあんのじょう眠くなりソファーに埋もれるようにお昼寝をした。 食べて寝てほんとうにだらしないのは今に始まった事ではないけれど。 それも至福のひと時とひとり勝手にうなずいている自分であった。
よっこらしょと起き上がればもう散歩の時間も近い。 昨日は大雨で行けなかったから今日こそはと元気に出掛ける。 胸をはっておいちにっさんし。歩くということはほんとに気持ち良い。
帰り道。土手にはちいさな子供たちが数人集まって遊んでいた。 何気なく近寄って行くとひとりの女の子が大声で泣き出してしまう。 最初は転んだのかなと思ったけれど、そうではなくて犬が怖いのだそう。
ごめんね。ごめんねと謝りながら大急ぎで他の道へと急いだ。 たまにはこんな事もあるのだけれど、ちょっと寂しい気分になった。
ずいぶんと遠回りをしてやっと我が家が近くなって来たと思ったら。 またさっきの子供たちと遭遇する。困ったな・・と戸惑っていたら。
なんと泣いていたはずの女の子が手を振っているではないか。 そばにはお母さんらしき女性が一緒に居てくれてほっとする。
ワンちゃんは怖くないよっておしえてくれたのかもしれない。
「ばいばい!」私も手を振り返してすごく嬉しい気持ちになった。
| 2011年10月21日(金) |
生きているということ |
朝からどしゃ降りの雨。 夕方から風も強くなりまるで嵐のような夜になった。
雨は嫌いではないのだけれど降り過ぎるとやはり怖くなる。 ちょうど良いくらいの雨というのもなかなか難しいものだ。
やまない雨はないという。そっとその時を待つしかなさそう。
朝の職場に思いがけない訃報が届く。 常連のお客さんが突然亡くなったという。 三日目前に来てくれたばかりだというのに。 なんということだろうとひどくショックを受けた。
いつも朗らかでにこにことした笑顔のひとだった。 ひとはこんなにもあっけなく逝ってしまうものなのか。 それは今まで何度も思い知らされてきた事だったけれど。 どうしてもすんなりとは受けとめられない事でもあった。
さびしいね・・・。うん、寂しいねと母とつぶやきあう。
明日は我が身かもしれないと思うと生きている事が奇蹟にも思える。 それは若い頃には思いもしなかった今だからこそ言えることである。
ねえ新しい本を買ったの。お昼休みに読んでみない? 母から手渡されたのは100歳の詩人柴田トヨさんの第二詩集であった。
読みながら涙があとからあとからあふれてくる。
生きているということはこんなにも優しくなれるということ。
生きているということはこんなにもあたたかくなれるということ。
そうしてたくさんの勇気を人々にとどけられるということ。
秋晴れの日が続いていたけれど今日は曇り日。 明日は雨になるのだろうか夜風が少し湿っぽい。
朝の山道を行けば毎年楽しみにしている銀杏の木が。 ほんの少しだけ色づき始めていた。緑を透かすような。 淡い黄金色。まるで光の粒子が踊り始めたように見える。
日に日にそれは変わっていくことだろう。 朝の道の楽しみがひとつ増えたようで嬉しい。
仕事を終えての帰り道。四万十大橋を渡っていたら。 歩道に人がたくさんいて何事かとスピードを落とす。 するとびっくり。そこに純白のドレスを着た花嫁さんがいた。 まるでフランス人形のように可愛くて美しい娘さんだった。
写真撮影をしていたようで青空だったらどんなにか映えるだろうに。 けれどもきっと良い記念になり素晴らしい晴れの日になった事だろう。
思いがけない光景に私のこころも弾むようだった。 帰宅するなり彼に報告したのは言うまでもない。 見せてあげたかったなとつくづく思ったことだった。
そうしていつもの散歩道。風に吹かれながら土手を歩く。
なにも考えることがなかった。とても平和な時間に思える。
お大師堂で手を合わす。ありがとうございましたと手を合わす。
あちらこちらにセイタカアワダチ草が咲いて。 その鮮やかな黄色に目をうばわれるこの頃だった。
花粉症の原因になるらしく嫌う人も多いけれど。 私には嫌う理由もなくむしろ好きだなと思ったりもする。
こんなことを言ったら花粉症の彼に怒られてしまうから。 これはここだけの話。どうかないしょにしておいて下さい。
さて。今日も散歩から帰ったら庭に息子のクルマが。 メールをしてくる時もあれば突然に帰って来る時もある。 それで良いのだなと思った。そんな気まぐれが嬉しくもある。
先日はおでんがたくさんあったけれど、今日はご飯さえ足りない。 お急ぎコースでご飯を炊いて、おかずは質素な物ばかりだった。
こんな物しかなくてごめんねって言うと。 ご馳走じゃないか!と言ってくれる息子。 なんでも美味しいと言ってくれて母はとても嬉しかった。
仕事で疲れているだろうに今日は愚痴もこぼさず。 父親と冗談を言い合っていたり母もにっこりと笑った。
ほんとうに嵐のような子で、今日も食べ終わるなりすぐに帰って行く。 気をつけてね!追いかけるように玄関まで行き息子を見送った。
その後がちょっと愉快。 犬小屋に晩ご飯を持って行った私は「あんちゃんご飯よ」って言うべきところ。
「しんちゃんご飯よ」って思わず息子の名前を呼んでしまったのだ。
可笑しくってひとり笑った。笑いすぎてちょっと涙が出ちゃった。
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