この秋いちばんの冷え込みだということ。 きりりっとした肌寒さもまた心地よいものだ。
夜が明けるのを待ちかねるようにして。 早朝から川仕事に出掛ける。 これから海苔網の準備が少しずつ始まる。 網が緑に染まれば順調に進むことだろう。
山里の職場を休ませてもらったおかげで。 ゆっくりと買物に行ったりのんびりと過ごす。
娘のサチコが勤める雑貨屋さんにも行ってみたけれど。 今日は遅番だということでまだ出勤していなかった。 電話をしてみれば少し不機嫌でしんどそうな声だった。 朝は特に悪阻がひどいようでとても心配でならない。 かといって代ってあげることも出来ず励ますしかなかった。
帰宅すると夜勤明けの息子が来ていてこれもしんどそう。 ソファーに埋もれるように寝ている姿におろおろとする。
ふたりのこども達はそうして日々を乗り越えている。 どうか元気にどうか無事にと祈ることだけが母の役目のように思う。
嬉しかったのは息子が妹の事をとても気遣ってくれたこと。 仕事で重い物を持ったりしていないか、悪阻は大丈夫か。 絶対に無理をさせてはいけないぞ。大事な身体なんだから。
幼い頃からケンカひとつしたことのない兄と妹だった。 おとなになってもお互いをいたわる気持ちを大切にしてくれる。
そんなふたりに育ってくれたことが父と母の幸せにほかならない。
おにいちゃんありがとうね。母さんとても嬉しかったよ。
すっきりとしない空模様。一日中肌寒さが続いた。
山里は今日も金木犀の香りが漂う。 息をするのがこんなに心地よいことはない。
散り急ぐかもしれない花をとても愛しく感じた。 いちめんに敷かれたオレンジ色が目に浮かぶとせつない。
仕事は来客多し。世間話をするのも仕事のうちで。 手を動かしながらではなく顔を見ながら話すように心がけている。 高齢者のお客さんが多いけれど、聞き流すことは決してしない。
昔話も聞いているとすごく心を動かされることがる。 苦労話もしかり。その人の人生を垣間見るような気持ちになる。
これも一期一会なのだなとつくづく思ったりする。 縁があってこそのお客様なのだと感謝せずにはいられない。
笑顔と笑顔で語り合って。クルマを見送る時には深々と頭を下げる。 そのたびにまた来てくれたら良いなってつくづく思うのだ。
そんないちにちはとても清々しいきもち。 仕事が嫌でたまらなかった頃もあったけれど。 いまはそれがすごく遠い昔の事のように思える。
きっとこのままで良いのだろう。この先もそうでありたい。
人生良いことばかりでは決してないけれど。
笑顔でいられたいちにちを宝物のように思って頑張っていこう!
| 2011年10月02日(日) |
お遍路さん(その4) |
北の地ではもう初冠雪があったという。 なんとつかの間の秋なのだろう。 忍び寄る冬の足音が聞こえたような気がした。
南国高知も今日は肌寒い一日となる。 日に日に秋が深まっていくことだろう。 背中を押されるように日々が流れていく。
今日は朝からずっとひとりのお遍路さんを待っていた。 けれどもよほど縁がなかったのだろう。 とうとうその姿を見ることも出来ず日が暮れる。 ネットの実況は今後も続くことだろう。 ひたすらエールを送り続けたいと思う。
あえない人には会えずあえる人には会えるのが縁。
お大師堂でお経を唱えていると鈴の音が聞こえた。 そうして後ろを振り向くと顔見知りのお遍路さんが微笑んでいた。
前回会ったのは八月の末。残暑の厳しい日だったと記憶している。 何か事情がありそうで名を聞くこともせずにいたけれど。 今日は納め札を頂き、そのひとが山梨の人だと初めて知った。
奥様を交通事故で亡くされたのだと言う。 ある日突然のこと。どんなにか辛い思いをしたことだろう。 そうして供養の旅。もう17回目の巡礼だと言う。
その間一度も山梨には帰ることなくひたすら歩き続けているとのこと。 嫁がれた娘さんが二人いて時々は電話しているんですよと笑っていた。
その微笑のかげに背負っている痛みの大きさを感じずにいられない。 供養の旅であるとともに癒しの旅であってほしいと願っている。
旅をしながらこんな物を作っているんですよ。 それを私にあげたかったのだと言ってビース細工の花をもらった。
今日も会えそうな気がしていたからって言ってくれて。 私には思いがけない再会だったけれどとても嬉しかった。
またきっと会いましょう!それが合言葉のようになる。
身体に気をつけて元気でいてくださいね。
天国の奥様もずっとずっと見守っていてくれますから。
とうとう10月。秋晴れの穏やかな一日となる。
どこに出掛けるわけでもなく家の中にこもりっぱなし。 なんとも無意味な時間を。それでも愛しく感じたりする。
平凡と平穏は似ている。つまらないようでいてそれがありがたい。
散歩道を行けば川沿いにたくさんの白い彼岸花。 それは自然に群生しているのではなく。 あるひとが何年かかけて植えたものだった。
ご主人が亡くなりどんなにか辛かったことだろう。 そのご主人が川船を繋いでいたあたりの河川敷に。 少しずつ白い彼岸花が咲き出し数年が過ぎた秋だった。
亡き人を想うきもち。それがそのまま花になったように思う。
その花が咲くたびに胸が熱くなる。亡き人を私も思い出す。
お大師堂で手を合わす。平穏な一日をありがとうございましたと。 そうしてみなが無事に明日を迎えられますようにと祈る。
風が匂う。それは金木犀の香りだった。
なんて優しく匂うのだろう。しばしうっとりと佇む。
職場の庭にその木はそっと立っていた。
母が好きで植えていたことを思い出す。
まだとても小さな木。それなのにこんなに。
花をつけて香ることが出来るのかとおどろく。
なんだか魔法使いが宿っているようだった。
ちちんぷいぷいと唱えているような気がした。
「おかあさーん!」と子供みたいに母を呼ぶ。
嬉しそうな母の笑顔。「ほらね!咲いたでしょ」
まるで我が子をほめるみたいに得意顔の母だった。
レモン色の花はやがてすぐにオレンジ色に変わるだろう。
そうしてぱらぱらとあっけなく散ってしまうことだろう。
けれども最後まで香ることをあきらめずにいてくれる。
そうして風のなかにいるひとたちのこころを癒してくれる。
晴れのちくもり。週末は雨になるという。 その雨があがれば一気に肌寒くなるらしい。
そうして10月になるのか。なんとも早いものだ。 誰かに背中を押されているように日々が流れていく。
せめて気持ちはゆったりと過ごしたくてならなくて。 時々は空を仰ぎながら深呼吸をすることを忘れない。
こころは雲。ぽっかりと空に浮かぶ雲。
いつまでもそうして風の吹くままでありたいものだ。
先日の嬉しい知らせからこっち。サチコのことが気掛かりでならない。 悪阻が始まっていると聞けば、気分が悪いのではないかと心配になる。 二日続けて電話をしてしまったのでさすがに今夜は遠慮しているものの。 毎晩声が聞けたらどんなに安心だろうと、心配性の母そのものだった。
そうして娘の身を自分に重ねる。まるで自分も妊婦になった気分だ。 初めての妊娠は不安で心細いものだから、母も不安で心細くなる。
けれどもそんな娘を励ますのも母の役目だった。
だいじょうぶ!母さんもそうしてあなたを生んだのよ!って。
愛しい我が子が母になる。それはなんだか夢のような出来事だった。
今日も秋晴れ。少し風の強い一日だった。 その風もすっかり秋風となりなんとも心地よい。
山里で仕事をしていると不思議な声で鳥が鳴く。 あれは百舌鳥(モズ)だよとおしえてもらった。
夏の間は山にこもっているらしい。 秋が来ると人里へとおりてくるのだと言う。
ほらあそこ!指差してもらってその姿を初めて見た。 もっと大きな鳥かと想像していたけれど結構小さい。
一声二声と叫ぶように鳴いて百舌鳥は飛び立っていった。 その姿を見送りながらなんともほのぼのとした気持ちになる。
もう秋ですよと告げに来てくれたのだろう。 ありがとうって応えたい気持ちでいっぱいになった。
巡る季節の事を受けとめているつもりでも。 ふっと過ぎた季節を恋しがったりするものだ。
それは季節に限らず人生のひとこまにも通じる。 現実を受け止めるには人はあまりにも弱い生きものだから。
季節はかならず巡ってきてくれるけれど。 人生はただ過ぎ行くばかり。後戻りなど決して出来ない。
そんなまっただなかにじぶんはいる。
歩むしかない。行き着くところはひとつしかないのか。
|