| 2011年10月02日(日) |
お遍路さん(その4) |
北の地ではもう初冠雪があったという。 なんとつかの間の秋なのだろう。 忍び寄る冬の足音が聞こえたような気がした。
南国高知も今日は肌寒い一日となる。 日に日に秋が深まっていくことだろう。 背中を押されるように日々が流れていく。
今日は朝からずっとひとりのお遍路さんを待っていた。 けれどもよほど縁がなかったのだろう。 とうとうその姿を見ることも出来ず日が暮れる。 ネットの実況は今後も続くことだろう。 ひたすらエールを送り続けたいと思う。
あえない人には会えずあえる人には会えるのが縁。
お大師堂でお経を唱えていると鈴の音が聞こえた。 そうして後ろを振り向くと顔見知りのお遍路さんが微笑んでいた。
前回会ったのは八月の末。残暑の厳しい日だったと記憶している。 何か事情がありそうで名を聞くこともせずにいたけれど。 今日は納め札を頂き、そのひとが山梨の人だと初めて知った。
奥様を交通事故で亡くされたのだと言う。 ある日突然のこと。どんなにか辛い思いをしたことだろう。 そうして供養の旅。もう17回目の巡礼だと言う。
その間一度も山梨には帰ることなくひたすら歩き続けているとのこと。 嫁がれた娘さんが二人いて時々は電話しているんですよと笑っていた。
その微笑のかげに背負っている痛みの大きさを感じずにいられない。 供養の旅であるとともに癒しの旅であってほしいと願っている。
旅をしながらこんな物を作っているんですよ。 それを私にあげたかったのだと言ってビース細工の花をもらった。
今日も会えそうな気がしていたからって言ってくれて。 私には思いがけない再会だったけれどとても嬉しかった。
またきっと会いましょう!それが合言葉のようになる。
身体に気をつけて元気でいてくださいね。
天国の奥様もずっとずっと見守っていてくれますから。
とうとう10月。秋晴れの穏やかな一日となる。
どこに出掛けるわけでもなく家の中にこもりっぱなし。 なんとも無意味な時間を。それでも愛しく感じたりする。
平凡と平穏は似ている。つまらないようでいてそれがありがたい。
散歩道を行けば川沿いにたくさんの白い彼岸花。 それは自然に群生しているのではなく。 あるひとが何年かかけて植えたものだった。
ご主人が亡くなりどんなにか辛かったことだろう。 そのご主人が川船を繋いでいたあたりの河川敷に。 少しずつ白い彼岸花が咲き出し数年が過ぎた秋だった。
亡き人を想うきもち。それがそのまま花になったように思う。
その花が咲くたびに胸が熱くなる。亡き人を私も思い出す。
お大師堂で手を合わす。平穏な一日をありがとうございましたと。 そうしてみなが無事に明日を迎えられますようにと祈る。
風が匂う。それは金木犀の香りだった。
なんて優しく匂うのだろう。しばしうっとりと佇む。
職場の庭にその木はそっと立っていた。
母が好きで植えていたことを思い出す。
まだとても小さな木。それなのにこんなに。
花をつけて香ることが出来るのかとおどろく。
なんだか魔法使いが宿っているようだった。
ちちんぷいぷいと唱えているような気がした。
「おかあさーん!」と子供みたいに母を呼ぶ。
嬉しそうな母の笑顔。「ほらね!咲いたでしょ」
まるで我が子をほめるみたいに得意顔の母だった。
レモン色の花はやがてすぐにオレンジ色に変わるだろう。
そうしてぱらぱらとあっけなく散ってしまうことだろう。
けれども最後まで香ることをあきらめずにいてくれる。
そうして風のなかにいるひとたちのこころを癒してくれる。
晴れのちくもり。週末は雨になるという。 その雨があがれば一気に肌寒くなるらしい。
そうして10月になるのか。なんとも早いものだ。 誰かに背中を押されているように日々が流れていく。
せめて気持ちはゆったりと過ごしたくてならなくて。 時々は空を仰ぎながら深呼吸をすることを忘れない。
こころは雲。ぽっかりと空に浮かぶ雲。
いつまでもそうして風の吹くままでありたいものだ。
先日の嬉しい知らせからこっち。サチコのことが気掛かりでならない。 悪阻が始まっていると聞けば、気分が悪いのではないかと心配になる。 二日続けて電話をしてしまったのでさすがに今夜は遠慮しているものの。 毎晩声が聞けたらどんなに安心だろうと、心配性の母そのものだった。
そうして娘の身を自分に重ねる。まるで自分も妊婦になった気分だ。 初めての妊娠は不安で心細いものだから、母も不安で心細くなる。
けれどもそんな娘を励ますのも母の役目だった。
だいじょうぶ!母さんもそうしてあなたを生んだのよ!って。
愛しい我が子が母になる。それはなんだか夢のような出来事だった。
今日も秋晴れ。少し風の強い一日だった。 その風もすっかり秋風となりなんとも心地よい。
山里で仕事をしていると不思議な声で鳥が鳴く。 あれは百舌鳥(モズ)だよとおしえてもらった。
夏の間は山にこもっているらしい。 秋が来ると人里へとおりてくるのだと言う。
ほらあそこ!指差してもらってその姿を初めて見た。 もっと大きな鳥かと想像していたけれど結構小さい。
一声二声と叫ぶように鳴いて百舌鳥は飛び立っていった。 その姿を見送りながらなんともほのぼのとした気持ちになる。
もう秋ですよと告げに来てくれたのだろう。 ありがとうって応えたい気持ちでいっぱいになった。
巡る季節の事を受けとめているつもりでも。 ふっと過ぎた季節を恋しがったりするものだ。
それは季節に限らず人生のひとこまにも通じる。 現実を受け止めるには人はあまりにも弱い生きものだから。
季節はかならず巡ってきてくれるけれど。 人生はただ過ぎ行くばかり。後戻りなど決して出来ない。
そんなまっただなかにじぶんはいる。
歩むしかない。行き着くところはひとつしかないのか。
背高のっぽのコスモスが風に揺れている。 仰ぎ見ればそこにはうろこ雲の秋の空が広がる。
言葉に出来ないような清々しいきもち。 胸のなかには何ひとつわだかまりがなかった。
そんな秋の日に嬉しいしらせが舞い込む。 サチコのおなかにちいさな命がやどった。
このところ毎晩のように夢に出てきた赤子。 もしかしたらと思っていたけれどそれが正夢になった。
「まだ一センチくらいだけどちゃんと動いていたよ」
声を弾ますサチコに母も感動して目頭が熱くなる。
どうか無事に育ってくれますように。 ただただそればかりを祈っている。
がんばれちいさな命。みんながあなたを待っているよ。
静かに雨。秋の雨はこんなに優しかったかしら。
あたりの景色がしゅんとしぼんだように見える。
ふと心細さをおぼえる。このまま消えていって。
しまいそう。ここではないところ。そこはどこだろう。
夕暮れて。ほんとにいるのかなと自分をたしかめている。
なんだかからっぽだった。ただ息をしているのが嬉しい。
精一杯なんて嘘。わたしはいつから嘘つきになったのだろう。
けれども。なにもないところからはじまることがある。
たとえば。夜のしじまに投げかけるような夢のかけら。
こんなはずではなかったと思いながらこれでいいと思う。
きっとじゅうぶんなのだ。いまはなにも求めてなどいない。
夢のかけらをそのままにして。わたしは夜の海へ漕ぎ出す。
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