燃えているような夕陽。
空がそのまま迎え火のように見えた。
どうか帰って来てくださいね。
祈りをこめて手を合わす夕暮れ時だった。
亡き父をおもう。亡き祖父や祖母をおもう。
帰る家は我が家ではないかもしれないけれど。
もしかしたら立ち寄ってくれるような気がした。
ちいさな松明が燃える庭先で私はそっと待っている。
おとうちゃんあいたかったよ。
おじいちゃんあいたかったよ。
おばあちゃんあいたかったよ。
みんなみんなおかえりなさい。
気温36℃の猛暑日。
過ぎ去ったいつかの夏を思い起こす。
そのひとは旅人だった。手を振って別れた駅のホーム。
ずっと続くと信じていた縁だったけれど。
もう旅人ではなくなったその日をさかいに。
ぷっつりとその縁が途切れてしまったのだった。
けれども私はその日から夏が好きになった。
そうして夏が来るたびにそのひとを思い出す。
元気にしていますか?
届かない言葉をなんども繰り返しながら。
縁というものの儚さを思い知るばかり。
けれども確かにあったその縁を。
いつまでたっても忘れることなどないだろう。
夕陽の道を散歩する。
赤とんぼがそれはたくさん飛んでいた。
歩けばふれあうように目の前を横切っていく。
夕焼け小焼けの赤とんぼ。なんだか歌の中にいるような気がした。
茜色に染まる空。落ちていく太陽のなんとまぶしいことだろう。
そうして平穏に暮れていくいちにち。
誰もがみんなそうならどんなにか良いだろうかと思った。
大震災から今日で5ヵ月。 決して忘れてはならないことがたくさんあるのだと思う。
絶望を希望にかえるにはとてつもない時が必要なのではないだろうか。
報道は被災地の笑顔を映すばかり。ほんとうにそれで良いのだろうか。
もっともっと痛みを分かち合うべきではないかと私は思う。
| 2011年08月10日(水) |
お遍路さん(その2) |
猛暑日にこそならなかったけれど心地よいほどの暑さ。 夏も頑張っているんだなと思う。その力を振り絞るようにして。
朝の道でのこと。峠道の手前で自転車を押して歩くお遍路さんを発見。 いつものようにスピードを落とし会釈をして追い越したのだけれど。 おや?っと不思議に思ったのはすぐその後だった。
どうして自転車に乗っていなかったのか。 もしかしたらパンクでもしていて乗れなかったのかもしれない。 クルマを停めて声をかけてあげれば良かったとひどく後悔をする。
引き返そうかと思ったけれど、私のクルマではどうすることも出来ず。 とにかく職場へと急ぎ軽トラックに乗り換えて来た道をまた走った。
峠道はただでさえきつい。自転車を押して歩くのはどんなに辛いことか。 きっと困っているだろう。助けてあげたい一心でその姿をさがした。
けれども歩いているはずのそのひとはどこにも見当たらなかったのだ。 しばしキツネにつままれたような気持ちになってしまったのは言うまでもない。
そうしてやっと気づく。通りがかった誰かが助けてあげたのにちがいない。 私と同じように不思議に思って声をかけた人がきっといたのだろう。
ああ良かった。なんとほっとしたことか。
若い茶髪のお遍路さんだった。きっと良い旅をと願わずにはいられない。
明日は自転車でぐんぐん行けますように。
夏の光と夏の風をいっぱいに浴びて元気でいてくれますように。
立秋をさかいに夏が振り向いてくれたのだろうか。 残暑というにはなんだか惜しいような真夏日となった。
山里からの帰り道。短パン姿で颯爽と歩くお遍路さんを見かけた。 ふくらはぎが真っ赤に日焼けしていてとても痛そうに見える。 それでもその元気な足取りにほっとして勇気を頂いたような気持ち。
次の札所まであと少し。がんばれがんばれとエールを送った。
夏のお遍路はすごく厳しそうだけれど。それを楽しむ気持ち。 出会うたびにその大切さを教わっているような気がしてならない。
苦を楽にかえる。生きていくうえでそれはとても大切なことだと思う。
今日はあまりの暑さに夕食後の散歩になった。 夕陽に向かって歩くのもまた心地よいものである。
土手にはいつのまにかススキの若い穂が伸び。 夕風になびいているのを見るとふと秋を感じる。
季節は決して留まろうとはしない。日々歩むようにすすむ。
そんな日々にあっていろんなことを感じながら。
生きていることをたしかめるような生き方をしたいものだ。
真夏らしさを感じることがあまりないまま。 とうとう立秋をむかえてしまった。
山里では今日も蜩がもの哀しくなくばかり。
せめて笑顔をと思う。陽気に笑っていたかった。 そうでなければどこかに引き摺り込まれてしまいそう。
自転車に乗って農協にいったり郵便局に行ったりする。 魚屋さんの前の道でご主人に会って少し立ち話をした。
小学生の頃この山里で三年間ほど暮らしたことがある。 その当時住んでいたのがちょうど魚屋さんの真向かいだった。
官舎だった家はもうとっくに取り壊されているけれど。 ブロック塀などはそのまま残っておりとても懐かしい。
魚屋さんのご主人は二十歳位のお兄ちゃんだったと記憶している。 ここら辺でよく遊んでいたよねと私と弟のことを話してくれた。
あそこら辺が裏庭で大きな犬を飼っていたよねとわたし。 そうそう猟犬で名前は『ユウ』だった。白くて毛がフサフサしてて。
そんな話をしていると一気に子供の頃を思い出して目頭が熱くなった。
「いっちゃん」そのご主人の事を私はそう呼ぶ。 どんなに歳月が流れてもあの頃のお兄ちゃんをそう呼んだように。
お互い長生きしようね。なんて言って笑い合いながら別れた。
そうしてまた自転車をぐいぐいこいで山里の道を走る。
風はまだまだ夏の風であってほしい。
私の夏はまだ終わらない。私の人生がまだ終わらないように。
今日も不安定な空模様。夏はいったいどこに隠れてしまったのだろう。 入道雲や蝉時雨。焼きつけるような真夏の陽射しがとても恋しくなる。
あいかわらず動き出そうとはしない週末。 もともと行動力のようなものなどなかったに等しい。 ただ息をしている。それだけの時間に満たされている自分を感じる。
午後四時。重い身体を持ちあげるように散歩に出掛けた。 あんずはとても元気だった。負けないようにわたしも歩く。
夏草のにおい。ひたひたと水の流れ。川風がとても心地よい。
お大師堂の蝋燭に火を灯しお線香を立てて般若心経を唱える。 それが私の日課だった。そうしてこそ心が洗われるかのように。
そうして平穏な一日に感謝をする。そうしてもっともっと平穏をと願う。 なんと欲深いことだろうと思うけれど、願わずにはいられない日々だった。
蝋燭の火を消しさあ帰ろうと振り向いたその時だった。 そこに例の修行僧のお遍路さんが立っていてなんと驚いたことか。
ほんとうに偶然に。こんなふうに出会いたいと願っていたそのひと。
一昨年の秋に初めて出会ってからもう10回目の再会となった。 その笑顔は変わらずいつもつつみこむような優しさとぬくもりがある。
少し話しましょうよと言ってもらってつかの間語らうことが出来た。 近況やほんの世間話。それでもそれはとても貴重な時間に思える。
ありがとうございました。そう言って別れる。 そのひとはその時かならず手を合わしてくれるのだった。
私も手を合わして頭を下げる。縁というものはほんとうにありがたいものだ。
またきっと会えるだろう。わたしはいつだってそう信じている。
|