風もなくとても蒸し暑い一日だった。
蝉の声が一気に元気になったような気がする。 今を生きている小さな命。がんばれがんばれと応援したくなる。
西日本は夏の高気圧におおわれているけれど。 東日本はずっと不安定な天気が続いているようだった。
新潟や福島の豪雨のニュースはなんとも心が痛んでならない。 天は容赦なく襲いかかってくるもの。どうしようも出来ない事が。 あまりにも多過ぎるのではないだろうか。ひとはみな耐えるしかない。
俺達はこんなに恵まれているんだな。夕食をとりつつ彼がつぶやく。 普通に暮らしていけることのありがたさをあらためて感じたことだった。
そうして平穏にいちにが暮れていく。なんと幸せなことだろうか。
散歩道ではあんずが夏草とたわむれ。とても満足そうな顔をしていた。 先日の台風ではすっかり濁流と化していた川も今は清らかに流れている。
いつまでもそうであってほしいと願わずにはいられなかった。
生きている限りどんな時もある。どうしようもできないことも。
けれども生きていかなければいけない。精一杯に日々を歩んでいこう。
猛暑日。おそらくこの夏いちばんの暑さではなかっただろうか。
以前は夏の暑さがとても苦手だったことを思い出す。 それが今では耐えられるようになったのが不思議だった。
夏が大好きだった子供の頃にはほど遠いけれど。 ふと童心にかえったかのように夏を楽しむ気持ちになる。
夏休み。おじいちゃんの畑のスイカがとても美味しかったこと。 くちびるが紫になるくらい川で水遊びをしたことなど懐かしい。
おじいちゃんも死んでしまった。おばあちゃんも死んでしまった。 けれども記憶のなかではいつでもかえって行ける夏があるのだった。
そういえば弟はスイカが大好物だったっけ。 半分に切ったのをスプーンでほじくってペロリと食べてしまった。 そうして残った皮の部分を頭にかぶっておどけたりしたものだった。
そうそう、そうして翌朝にはスイカ色のおねしょをしたりしたんだ。 あれはとても愉快だった。あいつまさか忘れてなんかいないだろうな。
夏にはたくさんの思い出がある。
それが夏の事でなかったなら忘れてしまったかもしれない。
そう思うと夏のことがとても愛しくてならないのだった。
久しぶりの晴天。やっと夏の太陽に会えた。 心地よい夏風のおかげで暑さもさほど気にならずにすむ。
今はちょうど夕陽が沈むところ。 茜色に染まる空を仰ぎながらこれを記している。
明日もきっと晴れるのにちがいない。空とゆびきりげんまんをしよう。
今日も平穏だった。それはとてもありがたいことなのだけれど。 ふっとこわくなる。突然に何かを失ってしまいそうで不安になる。
誰しもそんなきもちになることがあるのではないだろうか。 なにもかもが決して当たり前のことなんかではないのだと。 あたえられている日常がとても貴重な時間のように思えてくる。
だからといってそれは特別な時間ではないのだった。 普通のこと。ささやかなこと。それがいちばんの幸せに思えてくる。
きっとこれでいいのだろう。何も不安がることなんかないのだろう。
あとは眠るだけ。そうして何事もなく朝を迎えるだけ。
大丈夫。生きているのだもの。大丈夫。ちゃんとここにいるから。
曇り日。大気が不安定なのだろう時折りにわか雨が降る。 ここしばらく夏の太陽というものを見ていなかった。 それがとても恋しく思えてならない今日この頃である。
山里ではしきりに蜩(ヒグラシ)が鳴く。 他の蝉の声にくらべるとなんともの哀しい鳴き声なのだろう。 静寂にこだまするようにそれは鳴きふっとせつなさをおぼえる。
誰かをそっと呼んでいるような。
誰かをそっと待っているような。

毎朝出勤前にNHKの連続ドラマ『おひさま』を見ている。 BSだと7時半からなので欠かさず見ることが出来るのだった。 ドラマはもちろんのことその主題歌がとても好きになった。 残念ながら毎朝はそれが流れずどうしてだろうといつも思う。
とても優しいきもちになれる気がする。
大切なひとをすごくすごく守りたいなっておもう。
今が真夏であることを忘れてしまうほどの涼しさ。 過ごしやすいけれどなんとなく物足りなさを感じる。
夏がかくれんぼをしているのだろうか。
そうだとしたら早く見つけてあげなくてはいけない。
そんな涼しさに誘われたのかもしれない。 山里にはもうコスモスの花が咲き始めていた。 あまりに思いがけなくてびっくりとしながら。 好きな花を見つけるとやはり嬉しいものだった。
いちにちがたんたんと過ぎていく。 このうえなく平凡でこのうえなく平穏だった。
それが何よりも幸せなことなのだとあらためて思う。
真夜中から明け方にかけて激しい雷雨だった。 稲光と爆弾のような雷鳴が響き殆ど眠れないまま朝を迎える。
けれども雨上がりの朝のなんとも清々しい空気。 蒸し暑さもなく涼しくて過ごしやすい一日となった。
山里で仕事をしながらふとあるご老人の顔が浮かんでくる。 常連さんのお客さんだったけれど最近見かけないななんて。 元気でいてくれたらいいなって思ったその矢先のことだった。
なんとそのご老人がひょっこりと立ち寄ってくれたのだった。 手にはのど飴の袋。差し入れだよと言って私に手渡してくれた。 テレパシーというのだろうか。あまりの偶然にびっくりとする。
パンク修理とかオイル交換とかまったくそういうのじゃなくて。 ただ顔を見せたくなったのだと笑って言って手を振って帰って行った。
ほのぼのと嬉しさが込み上げてくる。これもささやかな糸のおかげだろう。
思いというものは必ず通じるものなのだろうか。 そう信じたくなるような出来事だったけれど。
ときには思うことさえも諦めてしまうことが私にはあった。
最近はとくに。ついつい投げやりな気持ちになることが多い。
けれどもひとを思うということはとても大切な事ではないだろうか。
みんなみんなか細くてもしっかりとした糸でつながっている。
その糸を自ら切るような事をしてはいけないなとつくづく思った。
気温はさほど高くならなかったが風がなく蒸し暑いいちにち。
午前中少しだけ家事をしただけでまたまた怠け者と化す。 ぐうたらぐうたら寝るというまことにだらしない有り様。
お昼にそうめんをたくさん湯がいた。 お腹一杯食べておいて晩ご飯もまたそうめんだった。
好きなのだ。あのつるつる感がなんともいえない。 三食そうめんでも良いなと思うくらい好きなのである。
好きな物をお腹一杯食べられることほど幸せなことはない。
そうして平穏に一日が暮れていくことが何よりに思う。
どうか無事にあしたがきますように。
いつもそう願いつつちいさな仏壇に手を合わせて眠りにつく。
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