ここ数日不安定なお天気が続いていたけれど。 今日はすっかり夏空になり暑さもいちだんと増す。
隣家の庭に咲くノウゼンカツラの花がそんな空によく映える。 まるでハイビスカスのように見えて夏の光をいっぱいに浴びている。
午前中に宅配便が届いた。栃木の友人からの夏の贈り物だった。 中には冷たい柚子のシャーベットが入っておりさっそくご馳走になる。 まだ一度も会ったことのない友人だというのに心遣いがとても嬉しい。 縁というものはほんとうにかけがえのないものだとあらためて思った。
いつか会える日が来たらどんなに良いだろうか。 そんなことを夢のように思いつつ歳月ばかりが流れていくのだった。
午後はあんずを動物病院へ連れて行く。 看護師さんが二人がかりで押さえつけてやっと抜糸が済んだ。 けれども傷口にまだ少し赤味が残っているということで。 首のカラーはあと数日つけておかなくてはいけないそうだ。
あんずは何も知らないけれど。父も母もがっくりとしてしまう。 てっきり外してもらえるものと思っていたからちょっとショックだった。
でも我慢をしなければいけないのはあんず。 もう少し辛抱しようねと頭を撫でることしか出来なかった。
ドックフードにキャットフードを混ぜたもの。 ここ数日そんな夕食に大満足しているあんずだった。
食欲もあって元気なのがなによりも嬉しい。
父さんも母さんも心配性だねと笑っているように見えた。
「まぶちん」子供の頃からずっとそう呼んでいた私のおとうと。
いまはすっかり中年のおじさんになってしまって。 「まぶちん」と呼ぶと。もうその呼び方やめてやとおこったりする。
けれども他にどんな呼び方があると言うのだろう。 よぼよぼのおじいさんになっても私はそう呼び続けることだろう。
今日はそのまぶちんの52歳の誕生日だった。 以前はお中元もかねて何かかならず送っていたのだけれど。 去年からそれが出来なくなった。だって姉ちゃん金欠だし。
宝くじが当たったら家を一軒買ってあげるからねとメールする。 そうして「おまけ」と称して昨日のあんずの写真を添付しておいた。
あんずは弟の家で生まれた犬だった。 生後6ヶ月まで母犬と一緒に暮らしていたのを我が家に引き取ったのだ。 ころころとした子犬のあんず。弟一家にどんなに可愛がられていたことか。
あんずという名もそのままである日突然に我が家に置き去りにされた。 その時はどんなに途惑ったことだろう。どんなに寂しかったことだろう。
あんずは元気か?それ以来ことあるごとに問うまぶちんであった。
手術したけどこんなに元気だよ。今日のメールにもそう添える。
五分もしないうちに返信のメールが届いた。
あんずの元気な姿が何よりのプレゼントだよ!って言って。
今日も不安定な空模様。 気温もさほど上がらず過ごしやすい一日だった。
山里のやまももの実がすっかり落ちてしまって。 あたりじゅうに果実酒のような匂いが漂っていた。 たわわに実った実はとても食べきれずにそうして落ちる。 なんだかすこし淋しい。その木は確かに生きているのだけれど。
仕事は少し多忙。休みがとれず今週のバドは諦めてしまった。 身体を思いっきり動かしたくてならず不完全燃焼のままだった。 自分の身勝手さを思い知ったような気がしてしゅんとした気分。
どんな時もあるのだからと自分に言い聞かす。 あくまでも臨機応変がいちばんなのではないだろうか。
帰宅するなりあんずの甘えた声がする。 どうやら私が帰って来るのを待っていたようだ。 術後すっかり甘えん坊になってしまったけれどそれも可愛いものだ。
はいはい。すぐに行きましょうといつもの散歩道を歩く。 ずっと嫌がっていた首のカラーにもすっかり慣れてしまったようだ。 何度も立ち止まっては夏草の匂いをまさぐるように嗅ごうとする。
明後日はやっと抜糸。二週間あまり彼女なりに我慢をして耐えた事だろう。 すごくすごくえらかったよとほめてあげたい気持ちでいっぱいだった。
梅雨は明けたというものの不安定な空模様。 けれども季節はかくじつに真夏へと向かっているようだ。
つい先日のこと稲の穂が見え始めたと思っていたら。 今日にはそれがもうほんのりと色づき始めていた。 あとひと月もすれば稲刈りの季節になることだろう。
先へ先へと急ぐもの。せめて心はゆったりと過ごしたいものだ。
昨夜は家族五人がみな揃い久しぶりの外食は焼肉だった。 唯一ボーナスというものをもらった息子のおごりである。 遠慮をするな。好きなだけ食べれば良いと言ってもらって。 生ビールを飲みつつもうこれ以上食べられないほどごちそうになった。
嬉しかったのは息子がすっかり元気になってくれたこと。 一時はどんなに心配したことか。父も母も見守る事しか出来なかったけれど。 息子なりにひとつの山を越えられたのではないかと感じた。
これからも辛い事や苦しいことがたくさんあるかもしれないけれど。 いつでも帰ってきなさい。そう言ってあげたのが良かったのかもしれない。
家族がみな笑顔でいてくれること。それが何よりの幸せだと思う。
大震災から今日で四ヶ月。かけがえのない家族を失った人の気持ちを思うと。 心が痛みとても遣りきれない思いでいっぱいになってしまう。
失いたくはない。なにがあろうと決して失いたくはなかった。
午後7時20分。外はまだ明るくて。 沈みかけた夕陽がほんのりと茜色をつれてきてくれる。
あるひとが『ほおずき色』と言っていた。 その表現がああいいなってすごく思った。 真似をしてはいけないなと思いつつ そう綴ることが出来たらどんなにいいだろうか。
とても暑かったいちにちがそうして暮れていく。 やがて夜気が少しずつ熱を冷ましてくれることだろう。
今日は安息日。と言えば聞こえは良いけれど。 動き出すことを一切せずただただ怠けた一日だった。 この私のだらしなさは今に始まったことではないけれど。 食べて寝るまた食べて寝る一日もけっこう充実している。
あまりの暑さにコンビニにアイスを買いに行った。 自転車をこぐ。夏の陽射しと南風がとても心地よい。 どこまでもぐんぐんと自転車をとばしてみたくなった。
たとえば海。20分もあればそこに着くだろう。 自転車で来ましたよと言って波打ち際を歩いてみたかった。
思うことはとてもたやすい。実行に移さないのが私の癖だった。
午後4時半。いつもの散歩。陽射しはまだ暑いままでも風は心地よい。 あんずは暑さも気にならない様子でぐんぐんと先を歩いていく。 お大師堂には昨日のお遍路さんがそのまま滞在しているようだった。 顔は見えなかったけれど同じ靴があり今日もきびすを返す。
お遍路さんも今日は安息日だったのだろう。 お大師堂を気に入ってくれてゆっくり休んでくれて良かったなと思う。
ついに夏本番かと思いきや。晴れているのに雨がぱらついたり。 不安定な空模様のまま梅雨明けのニュースが流れる。
気温は33℃。今年も猛暑の夏がやってきそうだった。 夏が苦手でならない頃があったけれど今はそうではない。 ほんの少し身構えるような気持ちで心は真夏へと向かっている。
今朝は夏遍路さんの団体さんに遭遇する。 バスから降りてしばらく歩き遍路をする様子だった。 たくさんのお遍路さんがストレッチ体操をしているところ。 ご老人もいれば若者もいる。いまは皆が仲間という感じだった。
微笑ましくも思いつつ。夏の歩き遍路の大変さをひしひしと感じる。 ほんの少し歩いただけでも汗が吹き出すというのに。 札所から札所までの距離を思うと気が遠くなりそうだった。
バスツァーならば夜はお風呂にも入れて旅館で寛げるかもしれない。 けれども野宿の夏遍路さんもいることを忘れてはいけなかった。
夕方。いつもの散歩。お大師堂にはひとりのお遍路さんが来ていた。 よほど暑さが堪えたのだろう。大の字になって寝ているところだった。
起こしてはいけないとそっときびすを返す。 お疲れ様でしたとこころのなかでそっと声をかける。
歩くあるく。どんなに暑くても歩き続ける。
あえて厳しい夏を選ぶひともいるという。
ほんとうに頭が下がる思いでいっぱいになった。
七夕。空はどんよりと曇っていて天の川は見えそうにないけれど。 雲の上にはかならず晴れた夜空がひろがっていることを忘れてはいけない。
嘆くことなどなにもない。希望はきっとそこにあるのだから。
被災地の子供が書いた願いごとの短冊には。 「どうかお母さんが早くみつかりますように」
胸がしめつけられるような思いがした。 自分の願いごとなどほんの些細な事のような気がしたのだった。
今夜こそ手を合わさなければいけない。 祈らなければいけない大切なことがあるのだと思う。
日常はそんな思いとはかけ離れたように過ぎていく。 気がつけば普通に暮らしていくことが当たり前のようになっているのだ。
今日も職場に着くなり祖母の様子を見に行く。 もしかしたらもう動けないまま寝たきりになってしまうのかもしれない。 そんな心配をしていたけれど。今朝は自力で立ち上がることが出来ていた。 よいしょ。よいしょと自分で掛け声をかけながら一歩一歩足を運ぶ姿。 決して負けないぞと言う強い意思を感じ。なんと安堵したことだろう。
一度諦めてしまうともう取り返しのつかない高齢者だった。 そんな母親を思っての義父の叱咤ではなかったのかと気づいた。
えらいね。おばあちゃんすごいえらいよ!そうほめてあげると満面の笑顔。
私もすごく嬉しかった。だって大好きなおばあちゃんなんだもの。
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