梅雨は明けたというものの不安定な空模様。 けれども季節はかくじつに真夏へと向かっているようだ。
つい先日のこと稲の穂が見え始めたと思っていたら。 今日にはそれがもうほんのりと色づき始めていた。 あとひと月もすれば稲刈りの季節になることだろう。
先へ先へと急ぐもの。せめて心はゆったりと過ごしたいものだ。
昨夜は家族五人がみな揃い久しぶりの外食は焼肉だった。 唯一ボーナスというものをもらった息子のおごりである。 遠慮をするな。好きなだけ食べれば良いと言ってもらって。 生ビールを飲みつつもうこれ以上食べられないほどごちそうになった。
嬉しかったのは息子がすっかり元気になってくれたこと。 一時はどんなに心配したことか。父も母も見守る事しか出来なかったけれど。 息子なりにひとつの山を越えられたのではないかと感じた。
これからも辛い事や苦しいことがたくさんあるかもしれないけれど。 いつでも帰ってきなさい。そう言ってあげたのが良かったのかもしれない。
家族がみな笑顔でいてくれること。それが何よりの幸せだと思う。
大震災から今日で四ヶ月。かけがえのない家族を失った人の気持ちを思うと。 心が痛みとても遣りきれない思いでいっぱいになってしまう。
失いたくはない。なにがあろうと決して失いたくはなかった。
午後7時20分。外はまだ明るくて。 沈みかけた夕陽がほんのりと茜色をつれてきてくれる。
あるひとが『ほおずき色』と言っていた。 その表現がああいいなってすごく思った。 真似をしてはいけないなと思いつつ そう綴ることが出来たらどんなにいいだろうか。
とても暑かったいちにちがそうして暮れていく。 やがて夜気が少しずつ熱を冷ましてくれることだろう。
今日は安息日。と言えば聞こえは良いけれど。 動き出すことを一切せずただただ怠けた一日だった。 この私のだらしなさは今に始まったことではないけれど。 食べて寝るまた食べて寝る一日もけっこう充実している。
あまりの暑さにコンビニにアイスを買いに行った。 自転車をこぐ。夏の陽射しと南風がとても心地よい。 どこまでもぐんぐんと自転車をとばしてみたくなった。
たとえば海。20分もあればそこに着くだろう。 自転車で来ましたよと言って波打ち際を歩いてみたかった。
思うことはとてもたやすい。実行に移さないのが私の癖だった。
午後4時半。いつもの散歩。陽射しはまだ暑いままでも風は心地よい。 あんずは暑さも気にならない様子でぐんぐんと先を歩いていく。 お大師堂には昨日のお遍路さんがそのまま滞在しているようだった。 顔は見えなかったけれど同じ靴があり今日もきびすを返す。
お遍路さんも今日は安息日だったのだろう。 お大師堂を気に入ってくれてゆっくり休んでくれて良かったなと思う。
ついに夏本番かと思いきや。晴れているのに雨がぱらついたり。 不安定な空模様のまま梅雨明けのニュースが流れる。
気温は33℃。今年も猛暑の夏がやってきそうだった。 夏が苦手でならない頃があったけれど今はそうではない。 ほんの少し身構えるような気持ちで心は真夏へと向かっている。
今朝は夏遍路さんの団体さんに遭遇する。 バスから降りてしばらく歩き遍路をする様子だった。 たくさんのお遍路さんがストレッチ体操をしているところ。 ご老人もいれば若者もいる。いまは皆が仲間という感じだった。
微笑ましくも思いつつ。夏の歩き遍路の大変さをひしひしと感じる。 ほんの少し歩いただけでも汗が吹き出すというのに。 札所から札所までの距離を思うと気が遠くなりそうだった。
バスツァーならば夜はお風呂にも入れて旅館で寛げるかもしれない。 けれども野宿の夏遍路さんもいることを忘れてはいけなかった。
夕方。いつもの散歩。お大師堂にはひとりのお遍路さんが来ていた。 よほど暑さが堪えたのだろう。大の字になって寝ているところだった。
起こしてはいけないとそっときびすを返す。 お疲れ様でしたとこころのなかでそっと声をかける。
歩くあるく。どんなに暑くても歩き続ける。
あえて厳しい夏を選ぶひともいるという。
ほんとうに頭が下がる思いでいっぱいになった。
七夕。空はどんよりと曇っていて天の川は見えそうにないけれど。 雲の上にはかならず晴れた夜空がひろがっていることを忘れてはいけない。
嘆くことなどなにもない。希望はきっとそこにあるのだから。
被災地の子供が書いた願いごとの短冊には。 「どうかお母さんが早くみつかりますように」
胸がしめつけられるような思いがした。 自分の願いごとなどほんの些細な事のような気がしたのだった。
今夜こそ手を合わさなければいけない。 祈らなければいけない大切なことがあるのだと思う。
日常はそんな思いとはかけ離れたように過ぎていく。 気がつけば普通に暮らしていくことが当たり前のようになっているのだ。
今日も職場に着くなり祖母の様子を見に行く。 もしかしたらもう動けないまま寝たきりになってしまうのかもしれない。 そんな心配をしていたけれど。今朝は自力で立ち上がることが出来ていた。 よいしょ。よいしょと自分で掛け声をかけながら一歩一歩足を運ぶ姿。 決して負けないぞと言う強い意思を感じ。なんと安堵したことだろう。
一度諦めてしまうともう取り返しのつかない高齢者だった。 そんな母親を思っての義父の叱咤ではなかったのかと気づいた。
えらいね。おばあちゃんすごいえらいよ!そうほめてあげると満面の笑顔。
私もすごく嬉しかった。だって大好きなおばあちゃんなんだもの。
小雨が降り続く。蒸し暑さもなく過ごしやすい一日だった。
山里の職場に着くなり義父の苛立った声。 どうしたことかと身構えつつ胃がきゅうっと痛くなる。
以前にもここに記したことがあったけれど。 母の姑にあたる私にとっても義理の祖母であるひと。 その祖母の足がぷっくりと腫れてしまい動けないのだと言う。
病院に連れて行くにも手間取ってしまい義父が苛立っていた。 少しでも手助けをと思い私も祖母の家に駆けつけたのだけれど。
義父は決しておんぶをしたり抱き上げたりもしなかった。 傍目にはそれはとても酷いことのように思えてならない。 けれどもなんとしても自力で立ち上がれと叱咤激励している。 祖母も必死の様子で一生懸命ふんばっているのだった。
時間はかかったけれど祖母は精一杯頑張った。 そうしてやっとの思いでクルマに乗り込み病院へ行く。
骨には異常なし。けれども原因は分からないまま帰宅する。 祖母は赤子のように這いずりながら茶の間に落ち着いた。
義父の叱咤激励は続く。それはどうしても怒鳴り声に聞こえるけれど。 私が口を挟んで優しく言えば祖母は手を振ってそれを遮ろうとするのだった。
ありがとうね。またあした来ておくれよねと祖母。
胸に熱いものが込み上げてくる。悲しいのじゃない・・それは決して。
老いるということはこんなにもせつないことなのだろうか。
どうかおばあちゃんがちゃんと動けるようになりますように。
ただただ祈ることしか出来ない。なんだかそれが歯がゆくてならない。
昨夜降った雨のおかげだろうか。今朝はとても涼しく感じた。 けれども日中の陽射しは強くなりまた真夏日がおとずれる。
午前中は週イチのバドミントンに出掛け気持ちよく汗を流した。 熱中症も気になるけれど夏のスポーツは癖になるほど心地よいものだ。 早くも来週が待ち遠しい。身体を動かしていると心も元気になるようだ。
午後四時過ぎ。あんずに催促されていつもの散歩に出掛ける。 犬は暑さに弱いはずだけれどあんずは平気な様子で元気に歩く。 術後の経過も良く日に日に回復しているのがわかりほっとする。
もう大丈夫かもしれないと思い、今日はお大師堂まで足をのばした。 何も言わなくてもそれがわかるらしい。先へ先へとその場所を目指す。
やはりお大師堂はこころが落ち着く。ほっと安堵するような安らぎがある。 しばしのご無沙汰を詫びつつ手を合わせていると心が洗われるようだった。
願いごとはするまいと今日は思う。ただただ平穏に感謝するばかり。
あたえられている日常のすべてのことが当たり前のことではないこと。
その大切さを決してわすれてはいけないとおもう。
早朝。あんずの悲鳴のような泣き声で目覚める。 どうやらトイレを我慢しきれなくなっていたようだ。 人間の言葉はしゃべれなくてもそうやって伝えようとする。 もっともっと言いたい事があるだろうに。 そう思うとどんな些細なしぐさも感じ取ってあげなくてはと思った。
少し寝不足の朝。いつもの山道を職場へと向かう。 するといつの間に咲いたのだろう。ねむの木の花があちらこちら。 とても好きな花だった。ちいさな孔雀が木にとまっているように見える。
ことしもまたそんな季節が巡って来たのだなあと感慨深く眺めた。 紫陽花の季節が終わり始めてもこうして夏の花たちが生まれてくれる。 春夏秋冬。花はいつも傍らにありひとの心を和ませてくれるものだ。
職場に着けばヤマモモの実が赤く色づきはっと目をみはるほど。 ほんの数日見ないあいだにこんなにもたわわに実ってくれたのかと。 なんとも嬉しい気持ちになった。すっかり夏なのだなあとつくづく思う。
咲く花。実る木。すべて命があってこそのこと。 もしも失うことがあったとしても嘆いてはいけないのだと思う。
おかげでいきいきとした気持ちになり一日を過ごせた。
夏の花よありがとう。夏の実よありがとう。
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