紫陽花の花もそろそろ終わりなのだろうか。 花びらがひとつひとつと化石のように枯れ始めた。 すこしさびしく。すこしせつない気持ちになる。
潔く散りたいだろうにそれをゆるされないのか。 それをさだめと受けとめて残りの花びらが微笑む。
憐れんではいけないのだろう。哀れんではいけないのだろう。
そういうわたしも潔くは散ってしまえないのかもしれなかった。 もう少しあと少し生きてみなければそれはわからないことだけれど。 もしかしたら生きながら化石のように枯れていく運命かもしれない。
けれども微笑もう。頭を垂れることもせずに精一杯微笑もうではないか。
今日も平穏に暮れていく。なんとありがたいことだろう。
生きていることをかみしめるような日々でありたいとつくづく思う。
日中の蒸し暑さを冷ますかのように夕方から雨になる。 雨音が耳に心地よく響いている。水の匂いもまた好きだなと思う。
週末のせいもあり今日は穏やかに時が流れた。 丸くなっているこころを撫でるように一日を過ごす。
午前中は少し動く。午後はすっかり怠け者だったけれど。 だらだらと過ごす時間も必要ではないかと思ったりした。
そんな時の私は何も考えることがなかった。 頭のなかが空っぽというのもなかなか良いものである。
あれもしなければこれもしなければと焦ることもない。 しようと思えば出来ることもあえてしないでいることだ。
残りの人生があとどれくらいなのかわからないけれど。 ほんの少しでいい実になることが残れば良いと思ったりする。
そんな日々の中にぽつんと無駄な時を埋め込んでいく。 耕そうともしない。種をまくこともしない一日があっても良い。
ただ生きている。息をしているだけでじゅうぶんではないか。
日中の気温は30℃を越え今日も真夏日となる。 蒸し暑さは感じたけれど吹く風はとても心地よかった。
夕涼みを兼ね食後に散歩に出掛ける。 水辺のひたひたと満ちるような水の匂いが好きだった。
あれこれと物思いにふけりたくなったけれど。 あんずに振り回されてそれも思うようにはいかず。 私は少しご機嫌斜めになる。あんずを叱ってみたり。
それでも彼女はまったく聞く耳をもたない。 犬と喧嘩をしても仕方ないけれどこんな日もあるものだ。
穏やかではない自分を嫌だなとつくづく思う。 そういえば昼間の仕事中も苛立っていたなと気づく。
どうしてだったのだろう。その理由さえもわからずにいた。
こころにゆとりがなかったのかもしれない。 些細な事ばかりにこだわっていたのかもしれなかった。
ゆとりってなんだろう?
たとえばゆったりと流れるままの川の水のようなことかな?
どうすればそんな川の水のようになれますか?
昨日旧友の声を聞いてからというもの。 高校時代のことが押し寄せてくるように思い出されてならない。
それはまるで昨日のことのように鮮やかな記憶だというのに。 いったいどれほど遠いところまで来てしまったのだろうか。
放送部で始まり放送部で終わったような私の青春だった。 そこに属していなければ私の人生までも変わっていたことだろう。
ひとりはS先輩。もうひとりはN先生。 恋というものは今思えばあまりにも儚くて。 どうしてあれほどまでに胸を痛めたのかわからなかった。
もう終りにしようとS先輩が告げたのは放送室の片隅。 嘘でしょ?って思った。だってずっとずっと信じていたから。 それが本当のことなら私は死ななくてはと本気で思った。 死に場所まで決めたというのに私は死ねずに生きる事になった。
S先輩が卒業し、私は放送部の部長になった。 リクエストボックスなるものを設置しお昼休みに音楽を流す。 教育実習で来ていたN先生はそれをとても喜んでくれた。 毎日のように放送室に押しかけてくるN先生と意気投合する。
それからのことはここに記すことが出来ないけれど。 N先生との出会いが私の人生を大きく変えてしまったのだった。
それはとても辛く悲しい現実をともなう。その現実を一生背負うことになる。
36年の歳月が流れた。けれども私はいまだに背負い続けている。
生きている限り。いや死んでしまっても背負い続けていることだろう。
それが女に生まれた。母という名のさだめだと思っている。
梅雨の晴れ間は嬉しいけれどなんとも蒸し暑い一日だった。
山里の職場を休ませてもらって先週からお世話になっているバドクラブへ行く。 後ろめたさはあるけれど、バドを続けたい一心で決めたことだった。 そうして身体を動かし気持ちよく汗を流すことに満たされている自分を感じる。
クラブには専業主婦のメンバーが多いのだけれど、 そのひとりが私と同じ高校の出身で後輩だとわかった。 先週から意気投合しあれこれと気軽におしゃべりなどしていた。 今日は何年生まれですか?と訊かれちょっとあたふたとしていたところ。 彼女のお姉さんの話しになり私と同い年だと言うことがわかった。 それも同じ高校だということでびっくりしたのは言うまでもない。
そうしてお姉さんの名前を聞きもっともっと驚くことになる。 クラスは違ったけれど同じ放送部ですごく仲良しだったあっ子ちゃん。
すぐに電話をかけてくれてなんと32年ぶりにその声を聞くことが出来た。 懐かしいと一言ではとても言い表すことが出来ないほどの感激だった。
私が先に結婚をし、長男がまだお腹のなかにいた頃だった。 遠路はるばるあっ子ちゃんが我が家を訪ねて来てくれたことがある。 臨月間近だった私は自分の身体のことで精一杯でろくにおかまいも出来ず。 いま思えばなんとそっけなく接してしまった事だろうと後悔している。
そうしてそれから間もなくあっ子ちゃんから結婚の報せを受けた。 私はその時もそっけなく。心からお祝いの言葉さえかけられなかったのだ。 その時の電話が最後だった。それ以来ぷっつりと途絶えてしまった友情。
私がもっと親身になってさえいればずっと育んでいられたものを。 若き日を思い出すたびにそれを悔やみ苦い思い出となって心に残っていた。
あっ子ちゃんの声は少しも変わらない。なんとも懐かしい声だった。
32年。あまりにも歳月が流れてしまったけれど。また繋がった縁。
近いうちにきっと会おうね。そう約束して電話を切った。
変わらないことがひとつでもあることはとても嬉しいことだと思う。
降り続いていた雨がやっとやむ。 午後から薄日が射し始め気温がぐんと上がった。 蒸し暑さは苦手だけれど梅雨の中休みは嬉しいものだ。
散歩道。久しぶりにお大師堂まで足をのばす。 お経を唱え手を合わせていると心が澄みわたるようだ。 そうしてついついとお願い事などしてしまうのだった。
お賽銭がずいぶんと増えている。 雨の日も欠かさずお参りに来ている人がいる証拠でもある。 それを思うと私などはほんとうに気まぐれなのだなと思った。
信仰心はさほどない。ただ心が落ち着くというだけで参っている。 これからもそれはあまり変わらないのではないだろうかと思うけれど。 年を重ねるごとに信仰心も芽生えてくるものなのかもしれなかった。
帰り道の土手で例のお遍路さんと再会する。 電話連絡も何もない。ほんとうに偶然に出会うことが出来た。 土佐を打ち終え伊予路に向かったと思っていただけにとても驚く。
打ち戻るにはなにか理由があるのだろうけれどあえて聞かなかった。 ほんのつかの間の立ち話をしただけで今回は別れる。 肝心なことを話しそびれてしまったけれどまあ良いかなと思った。
縁深いひとだからまたきっと出会うことが出来るだろう。 あくまでも偶然に。そう願うばかりである。
土手の階段を下り家路に向かう道。なんだか後ろ髪を引かれる思い。
もしかしたら大切な縁を粗末にしているのではないかとふと思った。
山里へ向かう朝の道でどしゃぶりの雨にあう。
クルマのワイパーも役に立たないほどの凄い雨。 ハンドルを持つ手がぶるぶると震えた。
嫌いではないはずの雨がとても怖いと思った。 ちょうど良いくらいの雨ばかりとはいかないものだ。
ありのままの空のこと。今日はご機嫌斜めなのだなと思う。 雷まで鳴り始めてとてつもなく怒っているような空だった。
どんな日もある。こんな日もあってよし。
そんな雨も夕方にはぴたりとやみ。 ほんの少しだけ土手の道を散歩する。 川の水は濁流になりずいぶんと増水していた。
そんな川を見ていると気分がざわざわとしてくる。 なにか怖ろしい事が起こりそうで不安になってしまうのだ。
けれども平穏なまま日が暮れていくありがたさ。 今夜は息子もひょっこり帰って来て三人で夕食を囲んだ。
鰹のタタキを美味しいと言って食べてくれる息子。 いつもは離れていてもいつだって家族に変わりはない。
母さんはいつも四人分作るんだぞと夫が言う。
そうなんです。それが母さんの日課なのです。
だからしんちゃんいつでも帰ってきてね!
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