ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2011年06月07日(火) しとしとぴっちゃん

昨日は30℃だった気温が今日は18℃。
肌寒さを感じる雨が一日中降り続いていた。

けれども雨は嫌いではなかった。
リズミカルに歌うような雨音に耳をかたむける。

しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。

大地を潤す雨。植物や作物がどんなにか喜んでいることだろう。



今日も平穏。職場にいても家にいてもなんとも平和だった。

そんな日々をあたえられていることにただただ感謝するばかり。


帰宅するなりツバメの巣を見上げるのが日課となったこの頃。
子ツバメ達がずいぶんと大きくなって今にも巣立ちそうになる。
何羽いるのか確認出来ずにいたけれどそれが三羽であることがわかった。

巣から頭を出してつぶらな瞳がせいぞろいしている姿が可愛くてならない。
あれこれと話しかけてみたりする。みなキョトンとした顔で見つめている。

きっときっと空を飛べる日が来るだろう。

あと少しもう少しがんばれ。精一杯に生きておくれ。



2011年06月06日(月) 今日も生きていました

穏やかないちにち。

あまりにも平和すぎてこわくなってしまうような。

ある日突然と考えてしまうのは私だけだろうか。

いいえ。失いたくないと誰だってそうおもうことだろう。

日常のなにげないひとこまがとても大切におもえる。

たとえばふれあうひとたちの笑顔だったり。

道端に咲く花のなんとも健気なすがただったり。

なにもかもがかけがえのないものにおもえてならない。


今日も生きていました。それがこんなにもありがたいこと。





2011年06月04日(土) 雑草のごとく

梅雨の晴れ間。陽射しはすっかり夏の色だった。

雨の日は雨の日の。晴れの日は晴れの日の。
こころはひとつきりなのだけれどちがって見える。
どちらのこころも穏やかであるのが幸せなことだった。


お昼に友人と待ち合わせてイタリアンのお店に行く。
駐車場にクルマを停めて思わず声をあげてしまったのは。
色とりどりの紫陽花がそれは綺麗にたくさん咲いていたことだ。
国道沿いの賑やかさが嘘のようにそこだけ静けさが漂っていた。

季節の野菜サラダ。カルボナーラ。キノコのピザなど。
友人と語り合いながらとても美味しくいただいたあと。
食後のコーヒーを飲みながら友人の撮った写真を見せてもらった。

前回会ったのは去年の暮。冬から春の写真の数々。
彼女の行動力にはほんとにあたまが下がる思いである。

でもそんな彼女も最近は出掛けるのが億劫になったとのこと。
私ほどではないとしてもそんな年頃になったのかもしれない。

老いることはせつないことだね。そんな話しもした。
出来ていた事が出来なくなる。花がしぼむような感じだった。

それでも雑草のごとく私たちは咲き続けなければいけないのだろう。

もう駄目だとあきらめずに野の花のように力強くあらなければいけない。


今度はいつ会えるのか。約束もせずに別れたけれど。

彼女の夏が彼女の秋が目に見えるように思った。

彼女がうごく。それが何よりの励みになり私も動き出せるかもしれない。



2011年06月03日(金) 絵のようなもの

紫陽花の花がずいぶんと色づく。
朝の道で田んぼの畦などにそれが咲いていると。
クルマを停めて降り立ってみたい衝動にかられる。

若い稲の緑とそれはなんともよく似合う。
絵のような風景。こころいっぱいにそれを描きたくなる。

そんな畦道のかたわらに腰をおろし足を休めているお遍路さん。
声をかけたくてたまらなかった。けれどもそれが出来ないもどかしさ。

わたしにはどうしても描き終えることが出来ない絵がある。
けれども自分の目で見たそのままを記憶することは出来た。

そんなつたない絵のようなものをわたしはたいせつに思う。




そうして平穏に一日が暮れる。

これはけっしてあたりまえのことではないのだと。

あの日からずっとそう思い続けている。



2011年06月02日(木) 明日は晴れ

日中の梅雨空を打ち消すかのように夕陽。
その茜色の太陽がなんだか懐かしく思えた。

明日は晴れの予報。梅雨の晴れ間はとても嬉しい。


日暮れ時はツバメの巣がとてもにぎやかだった。
しきりに餌を運び続ける親鳥たち。
とにかくお腹一杯にさせてあげたい。
子供達をぐっすりと眠らせてあげたい。

それはひとも同じではないだろうか。
明日のためにと親はいつだって子を想うものだ。

その子ツバメの一羽が先日死んだ。
巣から落ちているのを私が見つけてすぐに巣に戻したのだけれど。
その後また落ちてしまって冷たくなっているのを彼が見つけたそうだ。

そのことを彼は今日まで黙っていた。
あの子は大丈夫かしら?と私が問うまで彼は何も話さなかったのだ。

弱い子は駄目なんだと彼は言う。
いくら人間が巣に戻してあげても親鳥がそれを認めない。
生きられない子だとまた巣から投げ出してしまうのだそうだ。

以前にもそういうことがあり今回が初めてではないのだけれど。
自然界の掟というものはなんとも言葉に出来ない辛いものがある。

生きてほしい。無事に巣立ってほしいとただただ願うばかりだった。



2011年06月01日(水) あくび

あとからあとからそれが出てきてどうしようもない。

さっきからずっと時計ばかり見ている。

まだ寝る時間には早く起きているのもつらいのだった。

とにかく何か記そうとここに向かっているのだけれど。

ことばも眠いのか思うようにならなくてはがゆいばかり。

どんな時もあるものだ。たまにはこんな夜もあってよい。


おやすみなさいとここに記せば。

おやすみなさいとこたえてくれますか?

ぐっすりぐっすり眠りましょうね。

あなたのいちにちがどうか穏やかに終わりますように。



         おやすみなさい。




2011年05月31日(火) ちちんぷいぷい

山里には母の姑にあたる92歳のおばあちゃんがいる。
最近では認知症がすっかり進んでしまっているのだけれど。

それがとても愛嬌があって憎めないというか愉快でならない。
先日など私の顔を見るなり「今日は学校は休みかい?」と聞いた。

「うん休みやよ」って応えると「ご飯は食べたかい?」と聞く。
「うん食べたよ」って応えると「いっぱい食べんといかんよ」と笑顔。

そんなやりとりを微笑ましく感じながら目頭が熱くなったりするのだった。
老いるということはほんとうにせつないことだと思わずにいられなくなる。

そんなおばあちゃんの右手の甲が先日からぷっくりと腫れた。
病院で診てもらっても骨には異常がなく原因不明とのこと。
おそらく日課の草むしりを頑張り過ぎたのではないかと思う。

今日の青空。草むしりをしたくてたまらないのだけれど。
手が痛くて思うようにならず、ただぼんやりとしているばかり。

お昼休み。ちらっとおばあちゃんの顔を見に行く。
そうして腫れている右手を撫でてあげながら。

ちちんぷいぷい。ちちんぷいぷい。痛いの痛いのとんでいけ〜

そうしたらおばあちゃんが子供みたいに大喜びしてくれた。

「おお!治った」と言って痛いはずの右手でぐうぱあを何度もする。

そうして今度は両手を合わして「ありがとうよ」と頭を下げるのだった。


ほろりほろり今にも涙が出そうになったのは私のほうだった。

血のつながりこそないけれど、こんなに愛しいおばあちゃんはいない。


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