紫陽花がほんのりと色づき始める。 その淡い色合いがなんともいえず好きだった。
そんなふうに染まりたいものだ。 好きな色というよりじぶんにあたえられている色に。
そうしてはっと気づくようにその色をたしかめてみたい。
これがじぶんなのだなと愛しく思えるような生き方をしたい。

夕方。息子がまたひょっこり帰って来てくれた。 例のごとくでご飯が足りなくて急いでおうどんを湯がく。 おろし生姜たっぷりのつゆで冷やしうどんにして食べた。 つるつると喉越しが良く美味しい。夏だなって思った。
お腹一杯になるとすぐに息子が帰ると言う。 いつもは玄関で見送るのだけれど。 今日は表に出て息子のクルマに手を振った。
じゃあまたなって言ってるみたいに息子が手を上げる。 仕事の事ほとんど話さなかったけれど疲れた・・って言っていた。 大丈夫だよねと思いながらもはらはらと心配な母だった。
しんちゃん。またいつでも帰っておいでね。
また一緒にご飯食べようね。
細かな雨が降ったりやんだり。 そろそろ梅雨入りが近いのかもしれない。
朝の国道で昨日出会ったお遍路さんをさがしたけれど見つからず。 雨の日は辛いと言っていたからすごく気になったのだけれど。 会えないものは仕方なく国道から県道の山道へとクルマを走らす。
そうしたら分れ道の所で立ち止まっている外国人のお遍路さんを見つけた。 男女のカップルで雨合羽を着ていて地図を広げているところだった。
すぐさまクルマをとめて駆け寄り声をかけてみる。 道わかりますか?と訊くと「サンキュー」と笑顔で応えてくれた。
ふたりが手を振ってくれる。その笑顔のなんと嬉しかったことか。 これもささやかな縁。こんな朝はとてもありがたくてならない。
仕事は少し多忙。いつも土曜日はお休みをもらっているのだけれど。 これからは臨機応変に対処しなくてはとつくづく思ったことだった。
入院中の母が外泊許可をもらって一時帰宅をしてくる。 決して無理をさせないようにとはらはらと見守るばかりだった。
家に帰れば彼が川仕事の後片付けに追われている様子。 なんとかならないかと言うのだけれど私のからだはひとつしかない。
母は月曜日の午後までに病院へ戻らなくてはいけないと言う。 職場のことはなんとしても私が守らなくてはいけないと思った。
あちらをたてればこちらがたたずだけれど。
わたしはしゃきっとここに立っています!
なるようになります。なにごとも。
このところずっと夏日が続いている。 けれども風はとても爽やかでずいぶんと過ごしやすい。
いつからか夏のことが好きになったけれど。 猛暑や蒸し暑さはやはり苦手なままだった。
今年はどんな夏になるのだろう。 空や太陽はなんて答えてくれるのだろうか。
いつものようにお大師堂で手を合わせていると。 チリンチリンと鈴の音が響いてきた。 はっとして振り向くと大きな荷物を背負ったお遍路さんの姿。
なんだか自分の家に招き入れるような気持ちになってしまう。 お遍路さんは遠く山形から来たという23歳の青年だった。 そう聞くとすっかり母親のような気持ちになってしまって。 胸の奥のほうがむずむずとしてしまいどうしようもなくなる。
例のごとくでおせっかい。あれこれと聞かれもしないことを教えたり。 自分でも何をしゃべっているのやらと可笑しくなるほどだった。
けれども青年は笑顔でうなずきながら私の話を聞いてくれた。 すごく好青年。そんな印象を強く受け浮き立つような気持ちになる。
陽射しが山形よりずっと強くて暑いこと。 荷物が15キロほどもありとても重いこと。 雨の日は靴もずぶ濡れになって辛いこと。
青年もいろんな苦労話を聞かせてくれた。 それでも歩く。前へ前へとひたすら歩くことに頭が下がる思いだった。
ずっとテントで野宿だったけれど屋根のあるところで今夜は寝れます。
お大師堂のことをとても気に入ってくれたみたいですごく嬉しかった。
これもささやかなご縁。ありがたい日だなとつくづく思った。
旅の無事を祈ります。出会ってくれてほんとにありがとう!
| 2011年05月19日(木) |
姫女菀(ヒメジョオン) |
土手のチガヤの白い穂がふわふわになった頃。 それを待っていたかのように姫女菀の花が咲き始める。 マーガレットを小さくしたようなそれは可愛い花だった。
散歩道でこころがはずむ。好きな花が咲くと嬉しくてならない。
雑草と呼ばれある日は無残にも草刈り機になぎ倒されてしまうのだけれど。 そんな運命を知っているのかとても健気に力強く咲いてくれる花だった。
南風に吹かれながらてくてくと歩く。深呼吸をしながら心地よく歩く。
生きているってこんなに素敵なことなのだなとつくづく思った。

山里の母。検査の結果やはり両足の血管が詰まっているとの事。 昨夜遅くまでかかり左足の手術をする。 遠方の病院でもあり付き添ってあげることも出来なかったけれど。 私は職場のことを任されただ精一杯に働くことだけだった。 母が仕事の事を忘れていられるように。治療に専念出来るように。 それが親孝行になるのならほんとうに救われる気持ちになる。
痛みの酷い右足は来週手術をすることに決まる。 今夜も痛んでいるかもしれないと思うと可哀想でならない。 とにかく一日も早く母を楽にしてあげてほしいと願うばかりだった。
いつもの散歩道を歩きお大師堂に行くと。 私が来るのを待っていてくれたひとがいた。
会うのはこれで八回目となる例の修行僧のお遍路さんだった。 今回は一人ではなくなんとフランス人の女性のお遍路さんが一緒。 徳島で出会ったそうでそれ以来一緒に旅を続けているということ。
ふたりの満面の笑顔がとても嬉しかった。 日本語チョトダケワカリマスと言ってしばし語らう。 ただそのひとは私達の会話を楽しそうに聞いているだけで。 自分からは何も語ろうとはしなかったのだけれど。 終始笑顔を絶やさずともに和んでいる様子が印象的だった。
大震災後。日本は危険だと帰国した外国人がたくさんいると言う。 けれどもこうしてお遍路をしてくれているひともいてくれるのだ。 それがとてもありがたかった。いくら手を合わせても足りないくらいに。
また会いましょうねと握手をして別れたけれど。 もっともっと一緒にいたいなとすごく思った出会いだった。
お大師堂に咲く真紅のアマリリス。
この花を見るたびに今日のことを思い出すことだろう。
ついさっきまで茜色の空を仰いでいたというのに。 ちょっと目を離した隙にそれはもう暗闇に変わる。
そんなふうに夜が来る。何かを落してしまったかのように。 それはいったい何だろう。とても大切なものではなかったか。
だからといって捜し求めるようなことはしない。 むしろ遠くどんどんと遠くに離れてしまいたくなるのだった。
わけのわからないことを言ってごめんなさい。
どうかしているのだとしたらそう認めてあげたい自分がいる。
夜ってふしぎ。けれどもそんな夜が私は嫌いではなかった。
はぁ・・ちょっと飲みすぎたかな。
あしたはあしたの風が吹くさ。この言葉大好き!
河川敷にある栴檀の木に薄紫の花が咲いているのを見つける。 川風に吹かれながらなんとも清々しい気持ちでその花を仰いだ。
やがてその花が実になる。オリーブ色の可愛い実になる。
そうして季節が流れていくのだろう。いまは初夏。 その花のことを忘れてはいけないような気がした。
ひとの心にも花を。どんなにちいさな花でもいいではないか。 花を咲かせることが出来ればきっといつかそれが実になるのだから。
そう思うと日々は種蒔きのようなものなのかもしれない。

山里の母。今日入院する。 詳しい検査はまだ明日以降になるとのこと。 徹底的に調べましょうねと主治医の先生も言ってくれたらしく。 母はまたまな板の上のお魚みたいな気分でいるようだった。
だいじょうぶなるようになるよ。それが母の口癖。 その言葉を信じてじっと見守るように待つしかないようだ。
昨年からの入院続き。そうして母が老いていくことをせつなく感じる。
いつまでも元気でいてほしい。ただただそう願うことしか出来ない。
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