散歩の帰り道。河川敷に小さな女の子がいた。 かたわらにはお祖母ちゃんらしき女性がいて。 ふたりしゃがみこんで何かをしているふうだった。
近づいてみてなんとも微笑ましい光景を目にする。 女の子のあたまには白つめ草の花の冠がのっていた。 嬉しそうな女の子の顔。まるでお姫様のようだった。
今度は首飾り。そう言ってねだったのかもしれない。 お祖母ちゃんらしきひとの手には小さな花束がある。
その花をひとつひとつ繋げていく様子が目に浮かんだ。 そうしてそれを女の子の首に優しくかけてあげるのだ。
わたしは子供の頃を思い出す。それはとても懐かしくて。 なんだかすぐにでも駆け寄って行きたい衝動にかられる。
わたしにもいつか孫が出来るのかしら。そうしたらきっと。
花の冠や。花の首飾りを作ってあげられるようになりたい。
雨あがりの清々しい朝。 いつもの山道を行けば木々の緑が目に沁みる。
お遍路さんをひとりふたりと追い越していく峠道。 声をかけることも出来ずただ会釈を繰り返すばかり。
その足取りにその姿にどんなにか励まされることだろう。 とても眩しく見える。一歩一歩が貴重に思えてならない。
ありがたい道だった。 ひとりひとりに手を合わせたい気持ちでいっぱいになる。
四十九日の法要。 被災地から遠く離れた我が町でも供養の鐘が鳴ったということ。 俺も黙祷をしたぞと帰宅するなり彼がおしえてくれた。
私はお大師堂へ行く。 お経を唱えながら冥福を祈ることしか出来なかった。
たくさんの命が一瞬にして失われた。 いまだ行方不明の方々もいてなんとも心が痛んでならない。
名ばかりの春がいま被災地に訪れている。
元気を出して立ち向かっていくしかないと言うひともいれば。
悲しみのどん底で立ち直れないひともいることを忘れてはならない。
雨が時々激しく降って。かと思えば薄っすらと陽が差す。 気まぐれな空。まるで誰かさんのようだねと私に言った。
そうそうその誰かさんは泣いたカラスがすぐ笑うみたいなひと。 あんまり泣くから泣き黒子があってすぐに笑うから笑いシワがある。
少女の頃から喜怒哀楽が激しくて情緒も少し不安定であった。 けれどもおとなになってからの誰かさんは『怒』を忘れていた。 だから眉間にシワを寄せることもないのでそこだけは若く見える。
かなしいことつらいこと。
それとおなじくらいうれしいことたのしいことがある。
だからじんせいまんざらではないなとおもう。
そう言う誰かさんのことが私はとても好きだった。
ねえどうしたらいい?このままでいいのかしら?
そう訊くといつだって「だいじょうぶよ」と微笑む。
わたしは元気になる。わたしはまたすくっと前を向く。
朝の肌寒さもつかの間のこと。 日中は気温が上がり初夏のような陽気となる。
お昼休み。職場の庭に腰を下ろしおにぎりを食べる。 空を見上げつつひとくち。風に吹かれながらひとくち。
それはとても美味しくて幸せな気持ちになった。
そうして自分がなにも考えていないことに気づく。 空っぽというのではなくてすっきりとした空白だ。
ずっと不安定だったのかもしれない。 ざわざわと落ち着かない気持ちでいたような。 平穏である事を心苦しく思う時がいっぱいあった。
これでいいのかもしれないと今日は思う。
こんな日々を与えられている事に感謝しなければ。
散歩道を歩いていると野あざみの花を見つける。 もう咲いてくれたのねと声をかけては。 またてくてくとすすむと今度は野バラに会った。
野の花はほんとうにさりげなく咲く。 控えめで素朴なそんな花たちが好きだ。
どちらも触れられないほどの棘を持つ。 そうして身を守っているのかもしれなかった。
だいじょうぶよ。そう語りかける。
だいじょうぶよ。どうかそのままでいて。
わたしはわたしの棘にそっとふれてみる。
そうして傷つけたかもしれないひとをおもう。
だからといってほかにどんなほうほうがあったのだろうか。
だいじょうぶよ。そう語りかける。
だいじょうぶよ。どうかそのままでいて。
桜の季節が終われば藤の花が咲き始める。
いつのまにこんなにとおどろくほどそれは咲いて。
芳香を放ちながらしだれ咲いているのだった。
手を差し伸べてそっとうけとめてみたくなる。
その花がそれを望んでいるのかはわからないけれど。
そんな衝動に駆られるときがひとにはある。
いいことだとかいけないことだとかいったい。
誰がそんなことを決められると言うのだろうか。
ただ受けとめるしかない現実にあふれているいま。
それが花であればどんなにいいだろうかとおもう。
静か過ぎる雨。しんみりとその気配を感じる。
私にはもうじゅうぶんだと思えることがたくさんある。 これ以上恵まれることも。これ以上の幸せもいらない。
ただ生きたい。それが唯一の欲なのかもしれない。
元キャンディーズの田中好子の死。とてもショックだった・・。
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