仕事納め。 思いがけずに年末手当をいただく。 とても苦しい経営状態だというのに。 これでお正月をしてねと母がくれたのだった。
心苦しさもあるけれどやはり嬉しさが勝る。 正直なところ年を越せるだろうかと不安でならなかった。 ほっとした気持ちであれこれと買物をする。 あまり贅沢は出来ないけれど、なんとか新年を迎えられそうだ。
恥ずかしい話しだけれど、今年ほど家計が苦しかった年はない。 そんな日々に山里の職場でいただく日当にどれほど助けられたか。 親孝行などと言いながら、ずっと母に助けてもらっていたのだった。
その母が今日は突然の神経痛におそわれ一日中苦しんでいた。 昨日まではとても元気だっただけに心配でならなかった。 かわってあげられるものならかわってあげたい。 どうすることも出来ずただはらはらと見守るだけだった。
ついさっき電話してみたところ。 ちょっとお酒を飲んだら少し楽になってきたということ。 明日も出勤するという母にくれぐれも無理をしないように伝える。
そうしたらすぐにメールが届く。
「ありがとうございました」とひとこと。
おかあさん。それはね私がお母さんにいちばん伝えたいひとことだよ。
ありがとうね。おかあさん。
このいちねんほんとにありがとう。
そうしていっぱいがんばったおかあさん。
ほんとにおつかれさまでした。
| 2010年12月28日(火) |
もういくつねるとおしょうがつ |
夕方から風がとても強くなる。 ひゅるひゅるがたがたとさわがしい夜になった。
彼が消防団の夜まわりに出掛けひとりぼっちでいる。 すこし心細い。風の音がざわざわと耳につき不安になる。
気をとりなおすようにのむ焼酎。 酔ってしまえば気分も落ち着く事だろう。
山里の職場も明日が仕事納めになった。 年末の資金繰りが苦しいせいか、母が少し苛立っている。 けれども母に言わせれば、私が苛立っているからだと言う。 どっちもどっちということだろうか。 何度かぶつかっては母が私のご機嫌をとるという感じで。 まるで荒波にもまれているようなこの頃だった。
陸はまだか。島はまだかとずっと思い続けてきた。 母もきっとおなじことをかんがえているのだと思う。
職場の庭に母が育てているセンリョウをもらってきた。 ぜんぶ切っても良いよなんて母が優しく言ってくれる。 けれどもそれでは庭がとてもさびしくなってしまうから。 ちょきんちょきんと二本だけ切ってもらってきた。
帰りに菊の花を買い帰宅して床の間に活ける。 可愛らしい赤い実。ああお正月がくるのだなって思った。
もういくつねるとおしょうがつ。
ねておきてねておきてねておきてねておきよう。
初雪がふる。風にのって舞うようにそれはふる。 積もるような雪ではなくてとても儚い粉雪だった。
クリスマス。だというのに町に買物に出掛けたら。 もうお正月の鏡餅が山積みにされ売られていた。 ツリーも跡形もなく片付けられていてなんだか寂しい。 みんなみんな急いでいるようで少しとまどってしまった。
私にはあれもこれもしなくっちゃという気持ちがいまはない。 いっそ何もしなくても新年がくるのだからと思ったりもする。
そんなゆったりとしたいまの気持ちを失いたくないとおもう。
そのくせしみじみとこの一年を振り返っている。 ずいぶんと老いてしまったなどとマイナス感情はさておき。 どうにかこうにかなにごともなるようになったんだなとおもう。
いろんな苦労もあったけれどそれも人生のひとこま。
苦労があったからこそ喜びをかみしめることが出来たのだもの。
今年もあとわずか。そのわずかのあいだをたのしもう。
穏やかな小春日和にほっとする。 ずっとこんな日が続けばどんなにか良いだろうか。
お昼に友人と待ち合わせをして郊外のお店へ。 眼前に四万十川が流れるお気に入りの場所だった。
きらきらと光る川面を眺めながらおしゃべりがすすむ。 アマチュア写真家でもある彼女の写真も見せてもらった。 夏から秋へと季節を感じる写真をたくさん見せてもらいながら。 そうして流れてしまった日々を懐かしむように思い浮かべた。
彼女の行動力。それは私にはまったくないと言ってもいい。 眩しいほどの行動力が彼女にはあった。
とにかく動かなくちゃ。動くように自分を仕向けていくこと。 会うたびに私は学ぶ。彼女のように生きたいと強く思うのだった。
けれども今年一年を一字にたとえるとしたら。 『老』なのだと彼女は言う。 私もそうだった。他に思いあたる字なんて見つかりそうにない。
それではあまりにもマイナスでしょ!と言う。 だから『旅』なのだと彼女は言った。
旅。なんて素敵な言葉なのだろう。 老いていく人生もまた旅なのかもしれないと思った。
そう思うとまだまだ旅の途中である。 行き着くところまで。いや行けるところまで行かなければいけない。
今日はほんとに会えてよかった。
ありがとうって心から彼女に伝えたい。
今日の日替わりメニューは『木漏れ日ランチ』
冬至とは思えないほどの暖かないちにちだった。
かぼちゃも食べず柚子湯にも入らず。 だいじょうぶだろうかとふっと不安になったけれど。 いまの元気をありがたくこの冬を乗り越えたいものだ。
散歩道。民家の庭先などに水仙の花を見つける。 まだ咲き始めたばかり。ちいさなつぼみもまた愛しい。 散り始めた山茶花をさびしく思っていただけに。 冬を彩ってくれる花はほんとうにありがたいものだ。
そんな道をのんびりと歩いた。 いつもは先を急ごうとするあんずも今日はのんびり。 今年も押し詰まってきたけれど急ぐことはなにもない。 ゆったりとした気持ちで新年を迎えたいとつくづく思った。
明日は友人と昼食をともにする約束をした。 おしゃべりをしながら美味しいものを食べようとおもう。
きっといい気分転換になることだろう。
いまのわたしはひとところにばかりとどまっては。
ぐるぐるぐるぐるおなじところをまわっているような気がする。
そこに扉があるのならそれを開いてみるべきだろう。
きっかけはいくらでもあるのではないのだろうか。
日中は気温が上昇しとても暖かないちにちだった。 山茶花の花が散り始める。はらはらはらとそれは儚い。
昨日は伯母の葬儀。 小春日和のなか伯母は天国へと旅立って行った。 なんともやすらかな顔をして微笑んでいるようにみえた。 悲しんではいけないよとささやいているようにもみえた。
棺のそばをちいさな女の子がよちよちと歩きまわる。 伯母がとても可愛がっていたというひ孫だった。
「ひいばあちゃん ねんね」何度もそうつぶやいていた。
悲しみのなかにちいさな花が咲いたような光景。 その花を伯母はどんなにか抱きたかったことだろう。
さようならはいわない。 ただただ「ありがとう」と告げて伯母を見送ることが出来た。
残されたものたちはみな励ましあって残りの人生を生きる。 どんなに苦労をしてもそれがやがては糧になるような生き方をしたい。
くじけそうになったら天を仰ごう。
そこには見守ってくれる大切なひとたちがいてくれるのだもの。
寒さも少しゆるんだようで日中は暖かくなる。
今年もあと二週間足らずとなった。 あらあらという間に過ぎていく毎日である。
昨日は突然の訃報。父方の伯母が亡くなった報せだった。 幼い頃からどんなにか可愛がってもらったことだろう。 特に両親が離婚してからは伯母が母親の代わりをしてくれたのだった。 修学旅行の前の晩から泊まりに来てくれてお弁当を作ってくれたり。 思い起こすと数え切れないほどの恩がたくさんあった。
その頃にありがとうと言った事があっただろうか。 よく思い出せない。けれども今はとてもとても感謝している。
その伯母が死んでしまったという。 遠方のためすぐに駆けつけることも出来ず。 明日の葬儀を落ち着かない気持ちで待っているところである。
この目で確かめるまではとおもう。 伯母はほんとうに死んでしまったのだろうか。
たくさんの恩がありながら不義理を重ねてきた。 ただひとつ救いなのはそのことを詫びることが出来たことである。 今年の春に電話で話すことが出来た。まさかそれが最後になるなんて。 思ってもいなかった。お盆には会いに行きたいと思っていたけれど。 夏は過ぎ秋も過ぎとうとう冬になり今年も終わってしまうのだ。
伯母はずっと待っていてくれたとおもう。
私も会いたかった。どんなにか会いたかったことだろう。
あしたあいにいく。そうしてこころからありがとうっていいたい。
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