ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年12月20日(月) 天を仰ごう

日中は気温が上昇しとても暖かないちにちだった。
山茶花の花が散り始める。はらはらはらとそれは儚い。


昨日は伯母の葬儀。
小春日和のなか伯母は天国へと旅立って行った。
なんともやすらかな顔をして微笑んでいるようにみえた。
悲しんではいけないよとささやいているようにもみえた。

棺のそばをちいさな女の子がよちよちと歩きまわる。
伯母がとても可愛がっていたというひ孫だった。

「ひいばあちゃん ねんね」何度もそうつぶやいていた。

悲しみのなかにちいさな花が咲いたような光景。
その花を伯母はどんなにか抱きたかったことだろう。

さようならはいわない。
ただただ「ありがとう」と告げて伯母を見送ることが出来た。


残されたものたちはみな励ましあって残りの人生を生きる。
どんなに苦労をしてもそれがやがては糧になるような生き方をしたい。

くじけそうになったら天を仰ごう。

そこには見守ってくれる大切なひとたちがいてくれるのだもの。




2010年12月18日(土) 訃報

寒さも少しゆるんだようで日中は暖かくなる。

今年もあと二週間足らずとなった。
あらあらという間に過ぎていく毎日である。


昨日は突然の訃報。父方の伯母が亡くなった報せだった。
幼い頃からどんなにか可愛がってもらったことだろう。
特に両親が離婚してからは伯母が母親の代わりをしてくれたのだった。
修学旅行の前の晩から泊まりに来てくれてお弁当を作ってくれたり。
思い起こすと数え切れないほどの恩がたくさんあった。

その頃にありがとうと言った事があっただろうか。
よく思い出せない。けれども今はとてもとても感謝している。


その伯母が死んでしまったという。
遠方のためすぐに駆けつけることも出来ず。
明日の葬儀を落ち着かない気持ちで待っているところである。

この目で確かめるまではとおもう。
伯母はほんとうに死んでしまったのだろうか。


たくさんの恩がありながら不義理を重ねてきた。
ただひとつ救いなのはそのことを詫びることが出来たことである。
今年の春に電話で話すことが出来た。まさかそれが最後になるなんて。
思ってもいなかった。お盆には会いに行きたいと思っていたけれど。
夏は過ぎ秋も過ぎとうとう冬になり今年も終わってしまうのだ。

伯母はずっと待っていてくれたとおもう。

私も会いたかった。どんなにか会いたかったことだろう。

あしたあいにいく。そうしてこころからありがとうっていいたい。



2010年12月16日(木) 湯たんぽ

どんよりとした曇り空。午後からみぞれが降り始める。
今にも雪にかわりそうですこしドキドキとしてしまった。

あまりの寒さに日課の散歩はお休みにする。
おしっこだけしてこようかとあんずに言うと。
すごいスピードで土手に向かって走り出す。
そうしてそれを済ますと一目散で家に向かった。

犬は寒さに強いと言うけれどあんずはどうなのだろう。
なんだか私の言葉を理解しているような行動をして。
ありがとうってあたまを撫でてあげたくなるのだった。


台所のストーブにやかんをのっけて。
今夜から湯たんぽを入れることにした。
もう入れるのかと彼に笑われてしまったけれど。
冷え性の私には欠かせない冬の必需品だった。

この湯たんぽ。息子君が生まれた年に買ったもの。
だからもう31年も使っていることになる。
赤ちゃん用の物だったのが今では私の物になった。
お湯をそそぎながらむかしのことを思い出している。

湯たんぽ

ぽぽたんぽぽたんほんわりこ

なんちゃって。



2010年12月15日(水) わらべうた

昨日の暖かさがうそのように寒くなる。
風が強くとても冷たくてたまらなかった。

そんな冬の朝。国道沿いの山茶花が満開。
まるで南国の花のように咲いてくれている。

さざんかさざんか咲いた道と童謡を口ずさむ。
こどもの頃におぼえた歌はおとなになっても忘れない。

ほかにも冬の歌があったはず。そうそう。
かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた。とか。

懐かしいな。口ずさむとぽっとこころに灯がともる感じ。

いまの子供達はそんな歌を知っているのかしら。
もし知らないのだとしたらすごくさびしいなと思う。

私にもいつか孫が出来たらきっとおしえてあげよう。


孫といえば。昨夜も赤ちゃんの夢をみた。
最近ひんぱんにそんな夢をみるようになった。
でも孫というのとはちょっとちがうかもしれない。

それは息子や娘の幼い頃の顔にそっくりなんだもん。
そうして私はおばあちゃんじゃなくて母親でいる夢。

夢のなかで抱っこしている赤ちゃん。

それはとてもやわらかくてあたたかい。

こんやも赤ちゃんにあえるといいな。



2010年12月13日(月) ゆみちゃんのめいにち

朝からずっと冷たい雨が降り続いている。


友人の命日。もう三年目の冬が来た。
どうして彼女は急いで逝ってしまったのだろう。
笑顔も明るい声もまだしっかりと残っているというのに。

彼女が逝ってしまってから。
死というものがとても身近に感じられるようになった。
私にもきっとその日が来るだろう。
そうしたら彼女も迎えに来てくれるのかしら。

久しぶりやねって言って。会いたかったねって言って。
私は自分の老いた姿を恥ずかしく思うのかもしれない。

そんなこと気にせんでもええよって彼女は笑うだろう。
私のぶんも生きてくれたがやねってほめてくれるかもしれない。

うん生きたよって私はえへんと胸をはってみせようかな。


死はこわい。とてもとてもおそろしい。

けれども彼女もどんなにかこわかったことだろう。

そうしてどんなにか生きたかったことだろう。


ゆみちゃん。わたしねがんばって生きるよ。

そうしてゆみちゃんにほめてもらうんだ。

えらかったね。すごい長生きしたねって肩を抱いてね。




2010年12月09日(木) やさしさにはやさしさを

この冬いちばんの冷え込み。
高知でも山間部では雪が降っていたようだ。
まだまだこれからもっと寒くなるだろう。
臆病にならずきりりっとした寒さを好きになりたいものだ。


川仕事も昨日で一段落しほっとしている。
今日は気分を入れ替えるようにして山里の職場に向かった。

久しぶりに会う母がなんだかとてもちいさく見える。
私の顔を見てほっとしてくれたのかもしれない。
しわくちゃの笑顔。まるくなった背中も愛しかった。

そうしていつになく優しい口調に目頭が熱くなった。
以前は喧嘩ばかりしていたことがまるで嘘のように思える。

やさしさにはやさしさを。

ほほえみにはほほえみを。

なんともこころあたたまるいちにちとなった。

ありがとうって言ってかえる。

ありがとうって母も言ってくれた。



2010年12月07日(火) 川で生きる

曇り日。灰色の空からかすかにこぼれる冬の陽射し。
今日はもう二十四節気のひとつ『大雪』だということ。
ひと雨降れば寒波が襲って来そうで身構えるような気持ちでいる。


川仕事もあと少し。明日には一段落しそうになった。
一日に三時間ほどの作業だけれど身体を動かすのが心地よい。
ほどよい疲れ。少しも苦にはならずむしろ好きだなと思える。

順調にいけば来年の2月頃から収穫が始まることだろう。
寒いなどと言ってはいられない。待ち遠しい収穫の時だった。

そんな家業を継いでかれこれ30年近くなった。
若い頃には葛藤もあり、どうしてこんな仕事をと苦に思っていた。
毎年秋が来ると拒絶反応のような気分になりどうしようもなかった。
逃げ出したくても逃げられない。
これが宿命なのかと思うには若すぎたのだと思う。

それがいつのまにか好きになった。
すべてを受け止められるようになったのだ。
歳月というものはほんにありがたいものである。

後継者はいない。息子に押し付ける気持ちはまったくない。
だからふたり年老いて動けなくなるまでは家業を守りたいと思っている。

好きなことをとことん遣り遂げられるのは幸せなことだ。

おじいさん、おばあさんと互いの事を呼び合いながら。

ふたり川で生きる。いい人生だったねと微笑んで逝けるように。


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