どんよりとした曇り空。午後からみぞれが降り始める。 今にも雪にかわりそうですこしドキドキとしてしまった。
あまりの寒さに日課の散歩はお休みにする。 おしっこだけしてこようかとあんずに言うと。 すごいスピードで土手に向かって走り出す。 そうしてそれを済ますと一目散で家に向かった。
犬は寒さに強いと言うけれどあんずはどうなのだろう。 なんだか私の言葉を理解しているような行動をして。 ありがとうってあたまを撫でてあげたくなるのだった。
台所のストーブにやかんをのっけて。 今夜から湯たんぽを入れることにした。 もう入れるのかと彼に笑われてしまったけれど。 冷え性の私には欠かせない冬の必需品だった。
この湯たんぽ。息子君が生まれた年に買ったもの。 だからもう31年も使っていることになる。 赤ちゃん用の物だったのが今では私の物になった。 お湯をそそぎながらむかしのことを思い出している。
湯たんぽ
ぽぽたんぽぽたんほんわりこ
なんちゃって。
昨日の暖かさがうそのように寒くなる。 風が強くとても冷たくてたまらなかった。
そんな冬の朝。国道沿いの山茶花が満開。 まるで南国の花のように咲いてくれている。
さざんかさざんか咲いた道と童謡を口ずさむ。 こどもの頃におぼえた歌はおとなになっても忘れない。
ほかにも冬の歌があったはず。そうそう。 かあさんが夜なべをして手袋あんでくれた。とか。
懐かしいな。口ずさむとぽっとこころに灯がともる感じ。
いまの子供達はそんな歌を知っているのかしら。 もし知らないのだとしたらすごくさびしいなと思う。
私にもいつか孫が出来たらきっとおしえてあげよう。
孫といえば。昨夜も赤ちゃんの夢をみた。 最近ひんぱんにそんな夢をみるようになった。 でも孫というのとはちょっとちがうかもしれない。
それは息子や娘の幼い頃の顔にそっくりなんだもん。 そうして私はおばあちゃんじゃなくて母親でいる夢。
夢のなかで抱っこしている赤ちゃん。
それはとてもやわらかくてあたたかい。
こんやも赤ちゃんにあえるといいな。
| 2010年12月13日(月) |
ゆみちゃんのめいにち |
朝からずっと冷たい雨が降り続いている。
友人の命日。もう三年目の冬が来た。 どうして彼女は急いで逝ってしまったのだろう。 笑顔も明るい声もまだしっかりと残っているというのに。
彼女が逝ってしまってから。 死というものがとても身近に感じられるようになった。 私にもきっとその日が来るだろう。 そうしたら彼女も迎えに来てくれるのかしら。
久しぶりやねって言って。会いたかったねって言って。 私は自分の老いた姿を恥ずかしく思うのかもしれない。
そんなこと気にせんでもええよって彼女は笑うだろう。 私のぶんも生きてくれたがやねってほめてくれるかもしれない。
うん生きたよって私はえへんと胸をはってみせようかな。
死はこわい。とてもとてもおそろしい。
けれども彼女もどんなにかこわかったことだろう。
そうしてどんなにか生きたかったことだろう。
ゆみちゃん。わたしねがんばって生きるよ。
そうしてゆみちゃんにほめてもらうんだ。
えらかったね。すごい長生きしたねって肩を抱いてね。
| 2010年12月09日(木) |
やさしさにはやさしさを |
この冬いちばんの冷え込み。 高知でも山間部では雪が降っていたようだ。 まだまだこれからもっと寒くなるだろう。 臆病にならずきりりっとした寒さを好きになりたいものだ。
川仕事も昨日で一段落しほっとしている。 今日は気分を入れ替えるようにして山里の職場に向かった。
久しぶりに会う母がなんだかとてもちいさく見える。 私の顔を見てほっとしてくれたのかもしれない。 しわくちゃの笑顔。まるくなった背中も愛しかった。
そうしていつになく優しい口調に目頭が熱くなった。 以前は喧嘩ばかりしていたことがまるで嘘のように思える。
やさしさにはやさしさを。
ほほえみにはほほえみを。
なんともこころあたたまるいちにちとなった。
ありがとうって言ってかえる。
ありがとうって母も言ってくれた。
曇り日。灰色の空からかすかにこぼれる冬の陽射し。 今日はもう二十四節気のひとつ『大雪』だということ。 ひと雨降れば寒波が襲って来そうで身構えるような気持ちでいる。
川仕事もあと少し。明日には一段落しそうになった。 一日に三時間ほどの作業だけれど身体を動かすのが心地よい。 ほどよい疲れ。少しも苦にはならずむしろ好きだなと思える。
順調にいけば来年の2月頃から収穫が始まることだろう。 寒いなどと言ってはいられない。待ち遠しい収穫の時だった。
そんな家業を継いでかれこれ30年近くなった。 若い頃には葛藤もあり、どうしてこんな仕事をと苦に思っていた。 毎年秋が来ると拒絶反応のような気分になりどうしようもなかった。 逃げ出したくても逃げられない。 これが宿命なのかと思うには若すぎたのだと思う。
それがいつのまにか好きになった。 すべてを受け止められるようになったのだ。 歳月というものはほんにありがたいものである。
後継者はいない。息子に押し付ける気持ちはまったくない。 だからふたり年老いて動けなくなるまでは家業を守りたいと思っている。
好きなことをとことん遣り遂げられるのは幸せなことだ。
おじいさん、おばあさんと互いの事を呼び合いながら。
ふたり川で生きる。いい人生だったねと微笑んで逝けるように。
おだやかな小春日和がありがたい。
ここ数日はずっと川仕事に精を出している。 朝は少し寒いけれどすぐにあたたかくなって。 作業をしていると薄っすらと汗ばむくらいだ。
あとふつかほどで作業も終わりそう。 そうして収穫の時を待つばかりとなる。 不安のふの字をふっと吹き飛ばしながら。 きっと大丈夫だろうと思えるようになった。
山里の職場も気になり母にメールをする。 忙しいのだろうか返事が来なかったけれど。 電話などして不機嫌な声だったら嫌だなと思う。 いつも勝手ばかりしていて済まない気持ちでいる。 母のことだもの。きっと理解してくれているだろう。
ふと10年後をおもった。 母は82歳になってしまう。 会社を廃業しない限り母は働き続けるだろう。 母が続けている限り私にも定年退職はないことになる。
先日もちらっとそんな話しをすると。 母はたちまち不機嫌になってしまった。 「先のことを考えていたら何も出来ないよ」と言う。
確かにそうかもしれない。 けれども私は先のことを考えずにはいられないのだった。
そこで母のおとくいのことば。なんとかなるさになる。 そのことばにこれまでどんなにか救われたことだろう。
でも本音を言うと。私には苦手なことばなのかもしれない。 どんなふうになるというのだろうといちばんに考えてしまうから。
なんとかなるさと。なるようになるさは似ているけどちがう。
かんじんなのは。そうなったことをしっかりと受け止めるこころ。
そんなこころをもっとそだてていかなければいけない。
若かりし頃を思いうかべる
傷つきやすかった10代の頃や
情熱にあふれていた20代の頃や
そうして流れてきた歳月をおもう
気がつけばずいぶんと遠いところ
こころはいつだって帰る日があるというのに
気持ちだけは若くいようねと友は言う
けれどもいつのまにかちかくなった死
命のろうそくを確かめたいといつもおもう
風よ雨よどうかその火を消さないでと祈る
いまいちばんこわいことは失うことだ
いまいちばんすきなことは生きることだ
またひとつ歳をかさねた
わたしはいったいどこにむかっているのだろう
|