ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年09月07日(火) おじいちゃん

おじいちゃんの命日。一周忌だった。

今年の夏ほど祖父のことを思い出したことはない。
子供の頃の夏休みをずっと祖父の家で過ごしたからだろう。

川遊びに連れて行ってくれたこと。
畑でとれた大きなスイカを食べたこと。
山羊のミルクを飲ませてくれたこと。
鶏小屋からとってきたばかりの卵は新鮮で。
わたしは卵かけご飯が大好きだったことを思い出す。

祖父がいて祖母がいた。遠い遠い夏の日のことだった。


祖母が亡くなり祖父は老人ホームでどんなにか孤独だったことか。
もっと会いに行ってあげればよかったとずっと後悔している。

最後に会ったのは一昨年の秋の彼岸の頃だった。
祖母のお墓参りに行く私達を不自由な足で見送ってくれた。
老人ホームのエレベーターの扉が閉まろうとするその一瞬。
祖父は手をあげてにっこりと微笑んでくれた。
それは嬉しさと寂しさがまざりあったような笑顔だった。

その笑顔が昨日のことのようにはっきりと目に浮かぶ。


おじいちゃん。いまはさびしくないですか?
おばあちゃんとふたりえがおですごしていますか?

近いうちにきっとお墓参りに行くね。

「おお、よう来たのぅ」って子供の時みたいに喜んで迎えてね。



2010年09月06日(月) だいじょうぶ

台風の影響なのか時折りどしゃ降りの雨。
青空は見え隠れして不安定な空模様だった。

じぶんも体調が不安定なまま仕事に出掛ける。
弱気になってはいけないと言い聞かしてみるけれど。
ふっと不安がおそってくる。タオレルノジャナイカ。

でも倒れたりはしなかった。わたしはだいじょうぶなのだ。

70歳を過ぎた母が頑張っている。
「しんどいねえ」と言いながら私を励ましてくれる。
今日ほど母の優しさが身に沁みたことはなかった。

弱音を吐いてもいい。けれども弱いひとになってはいけないのだ。


病は気から。私は更年期障害で自律神経をやられているらしい。
それがいったいなんだっていうのだろう。

そんなものに負けてどうする。なんとしても乗り越えてやろう!!



2010年09月04日(土) しんこきゅう

夏バテなのかもしれない。
週末になると一気に疲れがおそってくる。

だいじょうぶだいじょうぶと自分を宥めるように過ごすばかり。
無理をしないこと。とにかく怠け者になってしまうのがいちばんに思う。

早朝の涼しさもつかの間。すぐに暑さがやってくる。
まだまだ夏は終わらない。今年の夏は特別の猛暑のようだ。


午後。彼が茶の間をエアコンで冷やしてくれて快適なり。
ソファーに横になったまま夕方までうたた寝をしていた。

買物にも行けず晩ご飯は茄子と生姜を甘辛く炒めたもの。
質素な夕食だというのに文句ひとつ言わない彼がありがたかった。


気だるさを引きずったまま夕暮れの散歩に出掛ける。
夕風が心地よい。しんこきゅうをいっぱいする。

颯爽と歩けない。足に鉛が付いているように重い。
それでも一歩一歩と踏みしめるように土手を歩いた。

歩きながらいろんなことをかんがえる。
どうしてじぶんはこんなに弱っているのだろうとか。
どうしてもマイナスなことばかり考えてしまうのだった。
鬱々としているじぶん。好きじゃないなとつくづく思った。

好きなじぶんになりたいけれどどうすればなれるのだろう。
無理をしなくちゃいけないのかな。もっと頑張らないといけないのかな。

なにをこれしきと立ち向かっていかないといけないのかな。


さらさらと流れる川の水をながめながら。

さらさらと流れていけないじぶんを抱きしめてあげたくなった。



2010年09月01日(水) 9月の風

風の強いいちにち。
山里にいるとそれが南風なのか東風なのかよくわからないけれど。
9月の声を聞きその残暑をやわらげるような涼しさを感じた。

穏やかに時が過ぎていく。
先日の怒鳴り声の主も今日はとてもにこやかにしていて。
わたしの緊張感も少しずつ薄れていくのだった。

そのひとのことがずっと苦手だった。
けれどももしかしたらずっと好きだったのかもしれないと思う。

笑顔が嬉しかった。それはほんとうにほっとする笑顔だった。

どんな日もある。光もあれば影もあるように日々が流れていく。



帰宅していつもの夕暮れ散歩。日暮れが随分と早くなった。
さっさと行かなくちゃと気が急いていたのかもしれない。
例のごとくであんずとまた喧嘩をしてしまった。
お大師堂に行きたくないと駄々をこねてしょうがないのだ。

私は怒る。叱るのじゃなくて本気で怒ってしまった。
リードの先を持ってムチのようにあんずを叩いてしまった。

つぶらな瞳が悲しそうに私を見つめる。
ごめんなさいと懇願するようにその目が真っ直ぐに向かってくる。

ああ、なんてことをしたのだろう。
どうしてこんなに怒っているのだろう。

お大師堂で手を合わせながら懺悔するように頭を垂れた。


薄暗くなった土手の道を夕風に吹かれながら家路に着く。

涼しいね。気持ちいいねとあんずに声をかけていると。

ふふっとあんずが笑ったような気がした。





2010年08月31日(火) 虹の朝

朝の窓辺でそれは綺麗な虹をみた。
川のなかから生まれたような七色。
それがアーチを描き空にとけこんでいる。

こどものように声をあげた。
まるで夢を見ているように嬉しかったのだ。


そうしていちにちが始まる。
どうか穏やかないちにちでありますようにと。
仏壇に手を合わせ深々とあたまをさげる。

おとうちゃんも虹を見たかしら。
もしかしたらあの虹をつくったのおとうちゃん?

遺影の父が微笑んでいる。
「今日はきっといいことがあるよ」

「行ってきま〜す」と声をかける。

しゃきっとしてすくっとしてわたしは出掛ける。





2010年08月30日(月) 花火

八月葉月もあと一日となった。
少しも急いではいないのだけれど。
あらあらというまに駆け抜けた夏。

これが日々に流されるということなのかもしれない。
いちにちいちにちを大切に生きてきたのかと自分に問う。

ただぽつねんとここにいる。そうして明日を待っている。



週末は我が町の花火大会があって。
友人宅に招かれバーベキューをしながら花火を見た。
とても楽しい時間。ありがたいひと時だったと思う。

かつては花火を見ながらせつなさに涙ぐんだこともあった。
鮮やかな花火よりも純白の花火が好きでならず。
雪のようにはらはらと舞い落ちる儚い火を愛しいと思った。

友人達の歓声。その声に負けないくらい自分も声をあげる。
そこにはもうせつなさのかけらも見えなかった。
ただ、私の夏が終わる。ばくぜんとそう思った。

来年もみんなで見ようね。そう約束をする。

わたしのなかのせつなさは花火のように儚く消えていくのだった。

それでいい。これでいいとわたしが言う。

それがきっと歳を重ねるということかもしれない。



2010年08月26日(木) うろこ雲

散歩中に見上げた空には思いがけずにうろこ雲。
ふっとさびしくなるのはなぜだろう。
ふっとせつなくなるのはなぜだろう。

そんな空が茜色に染まっていく真っただ中を。
誰かに引きとめられたように立ち竦んでいた。



ときどきは平穏でいられない時もある。
今日は朝から職場に大きな雷が落ちて。
怒鳴り声がまるで嵐のように荒れていた。

そのひとはよほど虫の居所が悪かったのだろう。
たまたまその矛先が私に向かったのだとおもう。

ああ嫌だと思ったところで逃げ場所もなく。
ただただ耐えていたけれど酷い有様だった。

ひとはかなしい。そしてひとはおろかなものだ。


そんな嵐も去り何事もなかったように静かになる。
もう忘れなくちゃと思いつつ未だに尾をひいている私も。

おろかなのだとおもう。だってわたしもひとだもの。


どんな日もあるものだ。いつも平穏だとは限らなくて。
みんなが笑顔でまいにち微笑んでいられたらどんなに良いだろう。


明日はあしたの風がふく。私はこの言葉が大好きだった。



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