おじいちゃんの命日。一周忌だった。
今年の夏ほど祖父のことを思い出したことはない。 子供の頃の夏休みをずっと祖父の家で過ごしたからだろう。
川遊びに連れて行ってくれたこと。 畑でとれた大きなスイカを食べたこと。 山羊のミルクを飲ませてくれたこと。 鶏小屋からとってきたばかりの卵は新鮮で。 わたしは卵かけご飯が大好きだったことを思い出す。
祖父がいて祖母がいた。遠い遠い夏の日のことだった。
祖母が亡くなり祖父は老人ホームでどんなにか孤独だったことか。 もっと会いに行ってあげればよかったとずっと後悔している。
最後に会ったのは一昨年の秋の彼岸の頃だった。 祖母のお墓参りに行く私達を不自由な足で見送ってくれた。 老人ホームのエレベーターの扉が閉まろうとするその一瞬。 祖父は手をあげてにっこりと微笑んでくれた。 それは嬉しさと寂しさがまざりあったような笑顔だった。
その笑顔が昨日のことのようにはっきりと目に浮かぶ。
おじいちゃん。いまはさびしくないですか? おばあちゃんとふたりえがおですごしていますか?
近いうちにきっとお墓参りに行くね。
「おお、よう来たのぅ」って子供の時みたいに喜んで迎えてね。
台風の影響なのか時折りどしゃ降りの雨。 青空は見え隠れして不安定な空模様だった。
じぶんも体調が不安定なまま仕事に出掛ける。 弱気になってはいけないと言い聞かしてみるけれど。 ふっと不安がおそってくる。タオレルノジャナイカ。
でも倒れたりはしなかった。わたしはだいじょうぶなのだ。
70歳を過ぎた母が頑張っている。 「しんどいねえ」と言いながら私を励ましてくれる。 今日ほど母の優しさが身に沁みたことはなかった。
弱音を吐いてもいい。けれども弱いひとになってはいけないのだ。
病は気から。私は更年期障害で自律神経をやられているらしい。 それがいったいなんだっていうのだろう。
そんなものに負けてどうする。なんとしても乗り越えてやろう!!
夏バテなのかもしれない。 週末になると一気に疲れがおそってくる。
だいじょうぶだいじょうぶと自分を宥めるように過ごすばかり。 無理をしないこと。とにかく怠け者になってしまうのがいちばんに思う。
早朝の涼しさもつかの間。すぐに暑さがやってくる。 まだまだ夏は終わらない。今年の夏は特別の猛暑のようだ。
午後。彼が茶の間をエアコンで冷やしてくれて快適なり。 ソファーに横になったまま夕方までうたた寝をしていた。
買物にも行けず晩ご飯は茄子と生姜を甘辛く炒めたもの。 質素な夕食だというのに文句ひとつ言わない彼がありがたかった。
気だるさを引きずったまま夕暮れの散歩に出掛ける。 夕風が心地よい。しんこきゅうをいっぱいする。
颯爽と歩けない。足に鉛が付いているように重い。 それでも一歩一歩と踏みしめるように土手を歩いた。
歩きながらいろんなことをかんがえる。 どうしてじぶんはこんなに弱っているのだろうとか。 どうしてもマイナスなことばかり考えてしまうのだった。 鬱々としているじぶん。好きじゃないなとつくづく思った。
好きなじぶんになりたいけれどどうすればなれるのだろう。 無理をしなくちゃいけないのかな。もっと頑張らないといけないのかな。
なにをこれしきと立ち向かっていかないといけないのかな。
さらさらと流れる川の水をながめながら。
さらさらと流れていけないじぶんを抱きしめてあげたくなった。
風の強いいちにち。 山里にいるとそれが南風なのか東風なのかよくわからないけれど。 9月の声を聞きその残暑をやわらげるような涼しさを感じた。
穏やかに時が過ぎていく。 先日の怒鳴り声の主も今日はとてもにこやかにしていて。 わたしの緊張感も少しずつ薄れていくのだった。
そのひとのことがずっと苦手だった。 けれどももしかしたらずっと好きだったのかもしれないと思う。
笑顔が嬉しかった。それはほんとうにほっとする笑顔だった。
どんな日もある。光もあれば影もあるように日々が流れていく。
帰宅していつもの夕暮れ散歩。日暮れが随分と早くなった。 さっさと行かなくちゃと気が急いていたのかもしれない。 例のごとくであんずとまた喧嘩をしてしまった。 お大師堂に行きたくないと駄々をこねてしょうがないのだ。
私は怒る。叱るのじゃなくて本気で怒ってしまった。 リードの先を持ってムチのようにあんずを叩いてしまった。
つぶらな瞳が悲しそうに私を見つめる。 ごめんなさいと懇願するようにその目が真っ直ぐに向かってくる。
ああ、なんてことをしたのだろう。 どうしてこんなに怒っているのだろう。
お大師堂で手を合わせながら懺悔するように頭を垂れた。
薄暗くなった土手の道を夕風に吹かれながら家路に着く。
涼しいね。気持ちいいねとあんずに声をかけていると。
ふふっとあんずが笑ったような気がした。
朝の窓辺でそれは綺麗な虹をみた。 川のなかから生まれたような七色。 それがアーチを描き空にとけこんでいる。
こどものように声をあげた。 まるで夢を見ているように嬉しかったのだ。
そうしていちにちが始まる。 どうか穏やかないちにちでありますようにと。 仏壇に手を合わせ深々とあたまをさげる。
おとうちゃんも虹を見たかしら。 もしかしたらあの虹をつくったのおとうちゃん?
遺影の父が微笑んでいる。 「今日はきっといいことがあるよ」
「行ってきま〜す」と声をかける。
しゃきっとしてすくっとしてわたしは出掛ける。
八月葉月もあと一日となった。 少しも急いではいないのだけれど。 あらあらというまに駆け抜けた夏。
これが日々に流されるということなのかもしれない。 いちにちいちにちを大切に生きてきたのかと自分に問う。
ただぽつねんとここにいる。そうして明日を待っている。
週末は我が町の花火大会があって。 友人宅に招かれバーベキューをしながら花火を見た。 とても楽しい時間。ありがたいひと時だったと思う。
かつては花火を見ながらせつなさに涙ぐんだこともあった。 鮮やかな花火よりも純白の花火が好きでならず。 雪のようにはらはらと舞い落ちる儚い火を愛しいと思った。
友人達の歓声。その声に負けないくらい自分も声をあげる。 そこにはもうせつなさのかけらも見えなかった。 ただ、私の夏が終わる。ばくぜんとそう思った。
来年もみんなで見ようね。そう約束をする。
わたしのなかのせつなさは花火のように儚く消えていくのだった。
それでいい。これでいいとわたしが言う。
それがきっと歳を重ねるということかもしれない。
散歩中に見上げた空には思いがけずにうろこ雲。 ふっとさびしくなるのはなぜだろう。 ふっとせつなくなるのはなぜだろう。
そんな空が茜色に染まっていく真っただ中を。 誰かに引きとめられたように立ち竦んでいた。
ときどきは平穏でいられない時もある。 今日は朝から職場に大きな雷が落ちて。 怒鳴り声がまるで嵐のように荒れていた。
そのひとはよほど虫の居所が悪かったのだろう。 たまたまその矛先が私に向かったのだとおもう。
ああ嫌だと思ったところで逃げ場所もなく。 ただただ耐えていたけれど酷い有様だった。
ひとはかなしい。そしてひとはおろかなものだ。
そんな嵐も去り何事もなかったように静かになる。 もう忘れなくちゃと思いつつ未だに尾をひいている私も。
おろかなのだとおもう。だってわたしもひとだもの。
どんな日もあるものだ。いつも平穏だとは限らなくて。 みんなが笑顔でまいにち微笑んでいられたらどんなに良いだろう。
明日はあしたの風がふく。私はこの言葉が大好きだった。
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