また来年も帰って来てくださいね。 そう言って手をあわす燃える炎に。
西の空も燃えているように紅い夕暮れ時だった。 少しふっくらとした三日月がそんな空に浮かぶ。
おじいちゃんおばあちゃんおとうさん。
懐かしい顔が目に浮かんではすぅっと遠くなる。
このせつなさはいったいどこから来るのだろう。
そうしてまた何事もなかったように日常が戻ってくるのだった。
とりとめもなくというのが好きだ。
意味なんてなくてもいい。
たいせつなことでなくてもいい。
ぽつねんとそこにあって。
そこから始められることが好きだ。
たとえばいまこうして書き始めること。
どうしようもなくつまらないことでも。
これが日々のしるしのようになってくれる。
生きているあかしのようなものかもしれない。
しんだらおわりだ。しんだらなにも始められない。
なにもかんがえていなくてなにもおもっていなくて。
それでもふわふわっと生まれてくることばがある。
詩人なんかじゃない。ただ生きているだけのひとだ。
書かなければいけないことなんてなにひとつなかった。
とりとめもなくというのが好きだ。
それがきっと自分自身なのだとおもう。
いまじぶんをみているまっすぐにみている。
どこにも逃げないかくれもしないでいるのだった。
もういいかい。もういいよ。ほうらすぐに見つかった。
まるで梅雨の頃のような空だった。 蝉が鳴く。その声もか細くて頼りなく聴こえる。
夏の太陽はいったいどこにいってしまったのか。 雲の上にあるのよといつか母が言った言葉を思い出す。
仕事中。携帯電話が鳴った。 古くからの男友達からであったが。 なんだか出る気にならず着信音が途絶えるのをじっと待つ。
以前の私ならば懐かしさに喜んで話したことだろう。 それが今では違う。自分でもよくわからないのだけれど。 わけのわからない嫌悪感を感じてしまうのだった。
留守電にメッセージが入る。 それも聴くのが嫌になりすぐに消去してしまった。
もしかしたらお盆休みで帰省しているのかもしれない。 でも会いたいとは少しも思わなかった。
この複雑な嫌悪感はいったいなんだろう。 もう二度とかけてこなければ良いのにとさえ思う。
あれはまだ私達が30代だった頃だろうか。 中学の先輩だった彼に再会したのだった。 それはそれは懐かしかったことを記憶している。
あの頃はまだ携帯電話というものが無い時代で。 時々で良いからポケベルを鳴らしてと頼まれたのだった。
ときどき。わたしはそのトキドキが苦手なのかもしれない。 だから度々。ほぼ毎日のように鳴らしてしまったのだった。
あたりまえのことだけれどそれがモンダイになった。 私たちは決してフリンをしていたわけではなかったのだけれど。 結果的にそういうことになってしまったのだった。
平和な家庭に波風がたつ。それもおおきな波になって荒れた。
けれどもその後も私たちはそっと友達として繋がっていられた。 男だとか女だとかこれっぽっちも考えた事などなかったのだ。
そうして歳月が流れ。私たちも老いを感じる歳になる。 元気にしているか?それが口癖のように言う最初の言葉だった。
私は元気です。でもどうかそっとしておいてください。 今の彼にそう伝えることが出来たらどんなにか良いだろうか。
今の私は理解しがたい。嫌悪感を感じるなんてどうかしている。
けれどもアイタクハナイ。それを伝えるすべがなかった。
ほんの少し夏の陽射しがかえってきた。 昨日までの涼しさが一気に残暑に変わる。
高知市内では『よさこい祭り』 夕方のテレビで生中継を見た。 人ごみは苦手な私だけれど これだけは実際に見てみたいといつも思う。
あれは中学生の頃だったか一度だけ見たことがある。 市役所に勤めていた従姉妹が踊り子で参加していた。 その姿を見つけてどんなにか嬉しかったことか。 自分もいつか踊ってみたいなあと思ったことだった。
その頃と今では踊りもずいぶんと変わったように思う。 とにかく熱気がすごい。その迫力がまた魅力的だった。
高知の城下に来てみいや。じんばもばんばもよう踊る〜 鳴子両手によう踊る〜よう踊る〜
そう口ずさみながら夕食の支度をする夕暮れ時だった。
そうしていつもの散歩。お大師堂にはひとりのお遍路さんが。 よほど疲れていたのだろう横になってぐっすりと眠っていた。 起こしてはいけないとそっと静かにおもてからお参りをする。
ここ数日の涼しさを思うと今日はほんとうに暑い一日だった。 歩き遍路さんにはどんなにか辛かったことだろうと思う。
明日はまた雨の予報。そのひとは空を仰ぎつつ歩き始めることだろう。
どんな日もある。けれども歩き続けることに意味があるのだと思う。
台風の影響なのか一日中雨が降ったりやんだり。 最高気温が28度というからずいぶんと涼しい。
このまま秋になってしまうのはあまりにもさびしいなと思う。 残暑は厳しくあってほしい。夏の太陽が恋しいこの頃である。
お盆が近くなり、昨日はお墓の掃除に行っていた。 けれども墓地に着くなり雨が降り始めてしまって。 すぐにやむだろうと近くの木の下で雨宿りをする。 雨はやまなかった。おまけに雷まで鳴り始める始末。
彼と義妹と私。三人ともすっかりずぶ濡れになってしまい、 掃除は断念。花枝だけお供えして山道を走って帰って来た。 仏様も許してくれるだろう。お盆には機嫌よく帰って来て下さい。
それにしてもこんなに雨に濡れることは久しくなかった。 なんだか甘酸っぱいような雨。昔むかしを思い出したのだとおもう。
あれは10代の後半。台風を見てみたいなと思ったのだ。 いま思えばなんて無茶なことをしたのだろうとおもうけれど。 痛いほどの雨。横殴りの叩きつけるような雨に濡れた事がある。
危険だとはつゆとも思わなかった。あの雨はほんとうに爽快だったのだ。
もう二度とかえれない頃の事を最近よく思い出す。
これも歳を重ねたということだろうか。すべてが懐かしい。
すべてが遠いけれど。こんなにもちかくにあるわたしの思い出だった。
立秋。この日を暑さの頂点というけれど。 もうすでに秋ではないかと思うほど涼しい一日だった。
空は晴れているかと思いきや突然のにわか雨。 洗濯物を出したり入れたりまた出したりしていた。
しかしまだまだこれから残暑が厳しくなることだろう。 いく夏を惜しむように太陽の眩しさを目に留めていたいと思う。
仕事はお休み。ゆったりとした気持ちでのんびりと過ごす。 いつもなら週末はぐったりと寝ていることが多いのだけれど。 今日は茶の間で二時間ほどテレビを見ていた。 『花田少年史』という映画である。 面白くもありほろりと涙が出てくる場面もありなかなか良かった。
夕方はいつもの散歩。空は晴れて夕陽がとても眩しかった。 ススキの穂が日に日に増えていく土手。風が心地よく吹く。
あんずと少しケンカ。あまりの我がままぶりにちょっと腹が立つ。 怒りながら。自分はどうしてこんなに怒っているのだろうと不思議。 私が怒るとあんずも怒る。私たちはよほど似た者同士らしかった。
お大師堂で手を合わす。そうしてやっと穏やかな気持ちになった。
私が穏やかになるとあんずも素直になる。その顔が微笑んでいるのを。
まるで鏡のようにおもって。私もふふっと微笑み返しをするのだった。
昨日からにわか雨が降ったりやんだり。 おかげで猛暑もひとやすみという感じである。
暑さに慣れはじめていた身体だったけれど。 やはり夏バテ気味だったのだろうか。 ほんの少し体調が狂い始めているようだ。
こんな時は無理に元気にならなくてもよい。 しんどいなあと呟きながらありのままでいるのがよい。
朝の道。工事中の峠道が少しのあいだ通れるようになった。 通行規制が解除されている事を知り昨日からまた通っている。
くねくねの山道だけれど大好きな道だった。 窓を開け放して山の空気をいっぱいに浴びながらクルマを走らす。 緊張感がない。ある意味無心になれるような気もする。
そうして山里の田園地帯が見え始めるとほっと嬉しくなる。
いちにちが流れるように過ぎていく。 苛立つ事もなければトラブルもなくまさに平穏無事だった。
ただひとつ心配事があるのだけれど。 なるようになるだろうと母と語り合っていた。 くよくよと思い詰めないこと。あっけらかんと腰を据えること。
明日はあしたの風が吹くのだからといつも思っている。
平穏無事がいつまで続くのか誰にもわからないけれど。
その時がくればその時の風に身をまかせていようと思う。
|