新鮮な鰹が手に入ったので『ひっつけ寿司』を作った。
高知の郷土料理なのかなと思うのだけれど。 握り寿司のようなもので作り方はとても簡単である。
我が家は鰹で作ることが多く、お刺身より少し薄めに鰹を切り。 塩をまぶしたあとたっぷりのお酢に浸す。柚子があればなおよし。 そうしてそれに青紫蘇やおろし生姜などを加えるともっとよい。
寿司飯は市販の寿司酢のもとで作るからこれも簡単に出来る。 あとは軽く酢を切らした鰹をひっつけて一口大の握り寿司にするだけだ。
ワサビはお好みで。我が家は鼻が痛くなるほどたくさんつける。 今夜も喜びの涙を流しながらあとからあとからとたくさん頬ばった。
夏はどうしても食欲が落ちがちになるけれど。 お寿司に限らず酢を使った料理がいちばんに思う。
そんな『ひっつけ寿司』を食べながらある女性の事を思い出した。 もう10年近くになるのかもしれない。私がネットを始めたころ。 福岡の女性と仲良しになった。メールを交換したり電話で話したり。 手紙を送ってくれたこともあった。私のことを「姉さん」と呼んでくれたっけ。
彼女が『ひっつけ寿司』を作ってみたいと言い出したのだ。 お母さんとふたりで作ってみるからと電話があって作り方をおしえた。 お魚切ったよそれからどうするの?お酢入れたよそれからは? 可笑しくなるくらい何度も電話がかかってきて最後には「出来たよ〜!」
彼女の福岡弁が好きだった。いやそれ以上に彼女のことが大好きだった。
そんな彼女が忽然と消える。ある日をさかいにメールも電話も不通になる。 それはとてもショックで寂しい出来事だったけれど。 彼女にはどうしても遣り遂げなければいけない大切なことがあった。 日頃からそんな悩みを打ち明けてくれていたおかげで。
とうとうその日が来たのだなと私はその事実を受け止めることが出来た。
縁は儚い。けれどもどんなに歳月が流れようと。
私は彼女のことを決して忘れることはないだろう。
田んぼの稲がずいぶんと実った。 真夏の太陽にその黄金色が眩しく光る。
そんな田園地帯のまんなかにオクラ畑があり。 淡いレモン色の花をたくさん咲かせている。 オクラは早朝に収穫しなければいけないとのこと。 農家の人達の忙しさを思うと頭が下がるおもいだ。
民家の近くの畑には里芋の大きな葉っぱが並んでいる。 小さな芽が出ていたのはつい先日のことのように思う。
稲も野菜も生命力に満ちていてとても力強く育っている。
夕方の散歩。土手の夏草もずいぶんと生い茂り。 はっと目をひくのはススキの若い穂だった。 猛暑続きとはいえ季節は確実に秋に向かっている。 今はまだわずかのススキも土手いっぱいになることだろう。
夕陽に向かってあんずと歩く。夕陽を背にあんずと帰る。
今日も平穏に暮れていくことが何よりもありがたかった。
7月最後の日。今日もとても暑かった。 蝉時雨に耳をかたむけながら一日を過ごす。
ずっと見守っていた子ツバメ達が初めて空を飛んだようだ。 昨日まではまだ巣の中から可愛い顔を見せていたのだけれど。 今日は姿が見えずもしかしたらと思っていたところだった。
夕方みんなが一斉に帰って来た。ちちちちちっと賑やかな声。 ちいさな巣の中でおしくらまんじゅうをするみたいに寄り添っている。 昨日よりもひとまわり大きくなったように見える。 今日の夏空がどんなにか気持ち良かったことだろう。
空を飛ぶ練習。自分で餌を見つけて食べる練習。 日に日に上手になっていくことだろう。がんばれ子ツバメたち。
短いあいだだったけれど家族のように思って見守ってきた。
もうだいじょうぶ。無事に巣立つということは嬉しいことだった。
思いおこせば最初のツバメが古巣に帰って来てくれてから。 すぐにどこかに逃げてしまってとてもさびしかった。 我が家の事を嫌ってしまったのかと不幸の前触れのように思い。 なにがいけないのだろうと不安がったりしていたものだ。
けれどもまた帰って来てくれた。そうして新居を作った。 それは忙しくそれは一生懸命にあっという間に出来た新しい巣。
今度は気に入ってくれたのだ。我が家が嫌いなんかじゃなかったのだ。
そう思うとささやかな幸せが舞い込んできたようでとてもほっとした。
また毎年帰って来てくれるだろう。つかの間でも家族でいてくれるだろう。
昨日からの雨も午前中にはやみ午後には薄く陽が射し始める。 恵みの雨だと喜んでいたけれど、県の中央部では水害があったそうだ。 降り過ぎてもいけない雨。ちょうど良いくらいの雨は難しいものである。
仕事。今日は朝から来客が多く慌しく時間が過ぎる。 やっと一息ついたお昼さがりにも思いがけない来客があった。
「こんにちは〜こんにちは〜」と大きな声がする。 お客さんならすぐにドアを開けて入ってきてくれるのに。 いったい誰だろうと母が外に出て応対をしたのだけれど。
なんとそれがテレビ局の人達だったようで。 母がそのひとりと盛んに話をしているのだった。 窓からちらっと覗くとテレビカメラが見えたので。 私は事務所で小さくなって外の様子を伺っていた。
そろそろ帰るらしい。もう大丈夫かなと外に出てみた。 そうしたらびっくり。母の横にタレントの石塚英彦が立っている。 ホンジャマカの石ちゃんである。ずっと母と話していたらしい。
そのひとはテレビで見るよりちょっと小さく見えたのが不思議だった。 サンダル履きで半ズボンとTシャツ姿。まるで近所の人のようにも見える。
帰り際にちょっとだけ私も声をかけた。くしゃくしゃっとした笑顔。 ああやっぱり石ちゃんだと夢をみているような気持ちになった。
ながいこと生きているとこんなこともあるのねと。 母もちょっと興奮したように喜んでいた。
なんていう番組なのだろう。それを訊き忘れたのが残念である。
母は「きっとボツになるよ」とあっけらかんと笑っていたけれど。
私は。母がテレビに出たら良いなあって思う。
なんだか今日はうきうきと嬉しい一日になった。
何日ぶりだろう。久しぶりにまとまった雨。 それは一日中降り続き今も雨音を響かせている。
猛暑が続いていただけに熱が一気に冷めたよう。 田畑も潤ったことだろう。夏草さえも喜んでいるようだ。
仕事。雨のせいか来客も無く暇だった。 母と向き合った事務所でおしゃべりばかり。 いつの間にこんなに仲良しになったのかしらと。 不思議に思うくらいよく語り合った。 以前はすぐに喧嘩口調になっていたのが嘘のようだ。
こどもたちのこと。ちょっと懐かしい昔ばなし。 料理の話や野菜の冷凍の仕方などあれこれ尽きない。
サチコと私がそうであるように 母と私も意気投合しているようで嬉しくなった。
出来る事ならばもう喧嘩なんかしたくない。 ずっとずっと仲良しでいられたら良いなあと思った。
母もきっとそう思っていることだろう。
早目に帰宅したけれど散歩はおやすみ。 あんずも犬小屋に閉じこもって雨音を聴いているようだ。
晩ご飯の支度まで少し横になりそのままうたた寝。
歌うようにふる雨音が心地よい。
身にもこころにも沁みるように雨がふる。
その家の老夫婦が相次いで亡くなってから もう幾度目の夏なのだろうか。
今は空家同然になっているその家に 百日紅の花がそれは鮮やかに咲いているのを見た。
毎年咲いていただろうに今まで気づかなかった。 その紅はまるで生まれたばかりのように空を染めている。
散歩の帰り道はっとこころを魅かれ立ち尽くす。 こんなところに咲いてくれたのかと声をかけたくなった。
あるじ無き家はひっそりと静まりかえり ただ蝉だけがその家の木々に声を響かせているばかりだった。
百日紅あるじの声を忘れたか
そうつぶやきながらそれを否定するように首をふる。
真っ先に愛でてくれたであろうひとがいなくなっても。
花は咲く。花はずっとずっとそこで生き続けているのだ。
胸がいっぱいになった。
わたしが見つけてあげようとさえ思った。
夏がくるたびに愛でてあげようとおもった。
うす曇。ほんの少しだけ暑さがやわらいだようにおもう。 そろそろ雨が恋しくなった。どんなにか涼しいことだろうに。
朝の道。先日から道路工事が始まってしまって。 いつもの峠道は時間制限があり通れなくなっている。 しかたなく西回りの国道を利用しているのだけれど。 この道がちょっと苦手だった。朝から気忙しくてならない。
みんなとても急いでいる。自分も急がなくてはならなかった。
くねくねの山道をのんびりと景色を眺めながらクルマを走らす。 窓を開けて緑の空気をいっぱいに吸うこともしばしおあずけだ。
そんな朝であっても山里に着くととてもほっとするのだった。 のどかな風景が待っていてくれる。まるで故郷のように思う。
今日はお客さんに長茄子と大きな胡瓜をもらった。 畑から採ってきたばかりの新鮮な野菜のありがたいこと。 母とはんぶんこにして抱くようにして持って帰った。
土用の丑の日でうなぎを食べる日だったけれど。 我が家は昨夜それを食べてしまっていた。 またまた息子君のおごりでほんにありがたいことである。
今夜は茄子と胡瓜。茄子は塩もみをして柚子醤油で。 胡瓜は酢の物にしてどちらもさっぱりとして美味しかった。
明日も茄子と胡瓜だよ言うと彼が苦笑いしていたけれど。 いただいたものは粗末にせずしっかりとご馳走になりたいものだ。
茄子と胡瓜は仲良しだ〜夏の恵みだそりゃうまい〜
即興で歌を作って歌いながら食器を洗う。たのしい夜だった。
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