薄っすらとした陽射し。蒸し暑さもなく過ごしやすい一日だった。
山里の職場はお休み。どっと疲れが出てきてだらだらと過ごす。 例のスーパーに勤めるようになっていたらと思うと少しぞっとする。 体力には自信がありますと言ったわりには疲れやすくなってしまった。
いつまでも若くはないということだろうか。 しんどいなと思うことが多くなるたびに老いを感じてしまう。
午前中は洗濯や掃除。食料品を買出しに行って。 午後はまた3時間もうたた寝をしてしまった。
ほんにだらしないありさま。自分で自分を許すしかないのだと思う。
夕方はいつものお散歩。土手はそよそよと風が心地よい。 あいかわらず元気なあんずに引っ張ってもらって歩いた。
川には魚釣りの老人。のんびりと川船に揺られながら釣り糸をたれる。 いっこうに釣れているようには見えなかったけれど。 なんだか微笑んでいるように見えるにこやかな老人だった。
もしかしたら朝からずっとそうしていたのかもしれない。 釣れようが釣れまいがそうしている時間が好きなんだと言わんばかりに。
いちにちを楽しむ。そんなふうに生きられたらどんなにいいだろう。
わたしのいちにちはちょっとしたがらんどうか。
それを無意味な事と言ってしまうのはたやすいけれど。
だらだらごろごろしながらリフレッシュしているようにも思う。
梅雨明けを思わすような晴天。
緑の田んぼを見渡せばそこに稲穂が見えるようになる。 あとひと月もすればその緑も黄金色に変わることだろう。
はやいものだ。季節はどんどんと進みたがっているように思う。
朝の峠道で外国人のお遍路さんを見かけた。 民家の近くの木陰でひと休みをしているところで。 ちょうど目が合ってにっこりと微笑みあう。 ほんの一瞬の事だったけれど会釈をかわす。
ほのぼのと嬉しかった。いい朝だなあって思った。
午後。そのお遍路さんをまた見かける。 山里の県道をしっかりとした足取りで進んでいた。 朝から5時間ほど経っていただろうか。 クルマだと数分で越えられる峠を歩いて越える。 真夏のような陽射しにどんなにか堪えたことだろう。
その後姿と横顔にまた深々と頭をさげた。 次の札所までもう少し。頑張れがんばれと心でさけぶ。
声さえもかけられないささやかな出会いだけれど。 これも縁だと私は思う。歩く姿に勇気をいただいたのだと思う。
そんなことがあったいちにちがまた暮れていく。
それぞれのいちにち。それぞれのあしたがまたやってくる。
雨上がりの朝。峠道を行けばねむの木の花がたくさん。 いつのまにこんなに咲いたのだろうと驚くほどだった。
それはまわりの緑に映えてとてもうつくしい。 小人の国の孔雀が羽根を広げたように咲いている。
好きな花を見つけるとこころが浮き立つようだ。 平凡な毎日だけれど特別な日のように思えてくる。
仕事は順調。笑顔があふれている職場がとてもありがたい。 お客さんと世間話をする事も多いけれどついつい声が弾む。
沈みかけた船のような会社だったけれど。 必死になって水をくみ出しているのかもしれない。 燃料がなくても皆で力を合わせて櫓をこいでいる。
ひとりが笑うとみんなが笑う。笑う角にはきっと福が来る。
以前は逃げるように職場をあとにしていたけれど。 今は違う。いまは微笑みながら「ありがとう」と言って帰る。
そうして穏やかな気持ちのまま一日が暮れていく。
思い煩うことがない。それはとても幸せなことだと思うのだった。
久しぶりに晴れたけれどすごい蒸し暑さ。 まだまだこれから夏本番だというのに。 もう夏バテ気味になってしまいそうだった。
朝の峠道。何人かのお遍路さんを追い越す。 重い荷物を背負っての旅はどんなにか辛い事だろう。 すっかり日焼けした顔。汗が流れているのがわかる。
それでも彼らは歩き続ける。ほんとうに頭が下がる思いだ。
出来る事ならばひとりひとりに声をかけたい気持ちでいっぱいになった。
エアコンの効いた職場で一日を過ごす申し訳なさ。 午後のいちばん暑い時間に電話工事の人が来てくれる。 昨日の雷のせいだろうか職場の電話が不通になっていた。 高所作業車で電柱にあがり故障を直してくれたのだけれど。 すぐには直らず高いところでずいぶんと手間取ってしまった。 ヘルメットを被っての作業はどんなにか暑いことだろうかと。 はらはらとしながらその作業を見守ることしか出来なかった。
それが仕事のひともいる。そのおかげで助かるひともいる。 暑い、暑いと言ってなどいられないのだとつくづく思った。
帰宅して食後の散歩。昼間の暑さが嘘のように涼しかった。 夕風に吹かれながらとりとめもなくいろんなことを考える。
あれこれといろんなことがあったけれどなるようになったみたい。 欲を言えばきりがないのだもの今に感謝しなければと思うのだった。
土手に一輪の野アザミ。除草作業で根こそぎ刈られたというのに。
彼女は生きていた。それは春の日と変わらない薄紫の笑顔だった。
| 2010年07月03日(土) |
そうして暮れるいちにち |
相変わらずの梅雨空。遠雷と霧のような雨がふったりやんだり。
午前中は自室にこもり手紙を書いた。 うまく言葉に出来ないけれど伝えたいことがある。
もし会うことが叶うならばどんなにか語り合えることだろう。 もどかしさをおしころすようにしながらゆっくりとペンを走らす。
川向の郵便局のポストに投函。どうか届きますようにと手を合わす。
旅をする手紙。旅をするこころ。真っ直ぐな道がそこに見える。
夕飯は家族揃って焼肉屋さんに行った。 ボーナスをもらったばかりの息子くんの大奮発だった。 いちばん嬉しそうなのは父親である彼。 生ビールで全快祝いの乾杯をした。 皆でお腹が張り裂けそうなくらいたくさん食べる。
ほのぼのとしたひと時。家族とはほんとうにありがたいものだ。
今は皆離ればなれでいるけれど時々はこんな時間が欲しい。 今度は居酒屋さんに行こうぜ!と息子君が言ってくれる。
そうしてそれぞれが暮らす場所へと帰って行く。
帰宅すればまるで祭りの後のような静けさ。
しんみりと。それでいて満たされながら焼酎のロックを飲んでいるところ。
ゆうじんが旅先から手紙を送ってくれた。 稚内の消印。まだ見ぬ北の大地が夢のように目に浮かぶ。
うんうんとうなずきながら読んだ。 すごくすごく心をこめて書いてくれたのだと思う。
読み終えると目頭が熱くなった。 胸の中に陽だまりができたようにあたたかくなった。
素直に正直に自分の気持ちを伝えるということは。 ほんとうはとてもむつかしいことなのかもしれない。
でもひとは素直になれる。正直に自分と向き合うことができる。
その手紙はゆうじんの「こころ」そのものだと思った。
夢は叶えるためにあるのだと言うひともいるけれど。 私は決してそうだとは思っていない。
誰にだって挫折はある。それがなければ前へ進めないときが。
そのとき何を優先するか。それで生き方が決まってくるのだと思う。
わたしはこれからもずっとゆうじんのゆうじんでありたい。
なんのちからにもなれないけれど存在していたいと強く思う。
私もこころをこめて手紙を書きます。
どうか待っていてくださいね。
小粒の雨が降ったりやんだり。 夕方になりやっと空が明るくなる。
日が長いのはありがたいことだ。 夕食を済ませてから散歩に出掛ける。
川風がとても清々しく心地よかった。 土手の緑がそよそよと風に揺れている。
さらさらと水の音。そして水が匂う道。
相変わらず草を食べたがるあんずをその場に残し。 自分ひとりでお大師堂に向かった。 振り返ると草を食べている。ほんとうに牛のよう。
そうして私がお大師堂に着いた頃になって。 やっと置き去りにされたことに気づいたようだ。
きゃいんきゃいんと叫ぶような声でなき始めた。 くすくすと笑いをこらえながらお参りを済ます。
私の姿が見えるかな。あんずの視力を確かめるように。 お大師堂の石段のところから彼女をしばし見つめてみた。
確かに目が合った。そうして嬉しそうに飛び跳ねている。 ちゃんと見えるんだ。そう思うと私も嬉しくなってくる。
川風を背にうけながら土手の道をふたり帰る。
今日も平穏だったね。そうして暮れていくんだね。
ひとりごとのようにそんな言葉をつぶやいていた。
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