ゆうじんが旅先から手紙を送ってくれた。 稚内の消印。まだ見ぬ北の大地が夢のように目に浮かぶ。
うんうんとうなずきながら読んだ。 すごくすごく心をこめて書いてくれたのだと思う。
読み終えると目頭が熱くなった。 胸の中に陽だまりができたようにあたたかくなった。
素直に正直に自分の気持ちを伝えるということは。 ほんとうはとてもむつかしいことなのかもしれない。
でもひとは素直になれる。正直に自分と向き合うことができる。
その手紙はゆうじんの「こころ」そのものだと思った。
夢は叶えるためにあるのだと言うひともいるけれど。 私は決してそうだとは思っていない。
誰にだって挫折はある。それがなければ前へ進めないときが。
そのとき何を優先するか。それで生き方が決まってくるのだと思う。
わたしはこれからもずっとゆうじんのゆうじんでありたい。
なんのちからにもなれないけれど存在していたいと強く思う。
私もこころをこめて手紙を書きます。
どうか待っていてくださいね。
小粒の雨が降ったりやんだり。 夕方になりやっと空が明るくなる。
日が長いのはありがたいことだ。 夕食を済ませてから散歩に出掛ける。
川風がとても清々しく心地よかった。 土手の緑がそよそよと風に揺れている。
さらさらと水の音。そして水が匂う道。
相変わらず草を食べたがるあんずをその場に残し。 自分ひとりでお大師堂に向かった。 振り返ると草を食べている。ほんとうに牛のよう。
そうして私がお大師堂に着いた頃になって。 やっと置き去りにされたことに気づいたようだ。
きゃいんきゃいんと叫ぶような声でなき始めた。 くすくすと笑いをこらえながらお参りを済ます。
私の姿が見えるかな。あんずの視力を確かめるように。 お大師堂の石段のところから彼女をしばし見つめてみた。
確かに目が合った。そうして嬉しそうに飛び跳ねている。 ちゃんと見えるんだ。そう思うと私も嬉しくなってくる。
川風を背にうけながら土手の道をふたり帰る。
今日も平穏だったね。そうして暮れていくんだね。
ひとりごとのようにそんな言葉をつぶやいていた。
やっと青空が見えたけれど梅雨特有の蒸し暑さ。 時々仕事の手を休めては涼を求めて庭に出てみる。
職場の裏手には田園がひろがっていて緑が匂う。 そのうえを吹き抜けていく夏風が心地よかった。
今週はのんびりといこう!そんなことを考えながら。 風に吹かれていると肩の力がふっと抜けていくのがわかる。
仕事は順調だった。苛立つ事もなく平穏に時が流れる。 あれこれを思い起こすとこれもなるようになったのか。 思い悩んでいた事がうそのように楽になっているのだった。
なによりも母の笑顔が嬉しい。きっと喜んでくれているのだろう。 そう思うと自分も自然と笑顔になれる。仕事が楽しくてならない。
不況のどん底で闘っている小さな会社だった。 なんとしてもいまを耐え抜いていってほしいと願う。
ちっぽけな自分でもチカラになれるだろうか。 会社を助けてあげたいと心から思えるようになった。
「ありがとう!お疲れさま」母の言葉はいつも身に沁みる。
感謝しなければいけないのは自分のほうだった。 苦しい経営だというのに毎日、日当をもらっているのだから。
心苦しさ以上に感謝の気持ちが込み上げてくる。
明日も母のそばにいよう。そうして精一杯助けてあげたい。
昨日からかなりまとまった雨。 今日もいちにち雨音を聴きながら過ごす。
とは言っても家事もそこそこに殆ど寝てばかり。 まったくだらしないありさまだけれど。 とにかく眠くて眠くてしかたなかった。
今週の疲れは特別やもしれず。 ゆっくりと休めばまた元気になることだろう。
雨のため散歩も行けず気分もいまひとつ冴えない。 窓から雨にけむる対岸の山々をながめていると。 空からたくさんの仙人がおりてきたように見えた。
雨もいいものだよと彼らは口々にささやいている。 ほうれほうれと微笑みながら雨を降らしているようだ。
そうそう。玄関にもうひとつツバメの巣が出来た。 古巣のほうは何がいけなかったのかそのままで。 新しい巣のほうで新生活を始めようとしている。
古巣から逃げ出してしまった時はとても不安で。 なんだか不幸の前触れではないかと気になった。 それがあっという間に新しい巣を作ってくれたのだ。
毎年子ツバメが巣立つ我が家。今年もきっとと見守っている。
雨にもめげずツバメ達は飛び交う。
それが生きることであるかのように。
空がうっすらと茜色に染まりはじめた。 夕焼けを見るのはずいぶんと久しぶりのように思う。
窓辺にいて夕風に吹かれているのも心地よい。 いちにちの疲れがすぅっと楽になっていくようだ。
少し力み過ぎていたのかも知れない。 水曜日ともなると身体がちょっと辛くなる。 頑張ろうってすごくすごく思っていたけれど。 ほどほどで良いのかなと今日は思ったことだった。
すっかり怠け癖のついていた私の身体。 もうお昼寝どころではないのだから。 少しずつ慣らしていかなければと思う。
仕事から帰宅するなりいつもの散歩に出掛けた。 あんずの元気ぶりに負けてしまいそうな足取り。 ぐんぐんと引っ張ってもらって土手を歩いて行く。
あんずが止まると私も止まる。 そうして彼女は牛みたいに草を食べ始めるのだった。 その草を気に入っているらしく美味しそうに食べる。 じょうずに千切ってはむしゃむしゃと愉快な顔になる。
そんな姿が微笑ましくてならない。
まるで時間が止まってしまったようなひと時だった。
私も草を食んでみるくらいの余裕が出来るといいなと思う。
急がずに慌てずにそこに草があれば寄り道をしてみたいな。
天気予報は梅雨空のはずだったけれど。 思いがけずに青空が見えてほっと嬉しかった。
湿気を含んだ南風に田んぼの稲がそよそよとなびく。 いちめんの緑を見ていると心が洗われるようだった。
気分も晴れやかにいちにちを過ごす。 あれこれと思い悩んでいたことが嘘のように。 笑顔で過ごせるということはほんとにありがたいことだ。
お給料は日当として毎日いただけることになった。 まるで日雇い労働者の気分でそれも楽しみに思う。 働いて報酬をもらえるということはとても嬉しい。 これまでと違ってすごくやる気が湧いてくるのだ。
まだ二日目だけれど家計もずいぶんと助かっている。 今日は奮発をしてお刺身を買った。おお!と彼が喜ぶ。
彼もやっとビールが飲めるようになったのだから。 毎日の肴を考えては好きな物を食べさせてあげたい。
けれどもそのぶん職場に負担をかけていることを忘れてはいけない。 私がどんなに働いても売上げが一気に上がるわけではないし。 不況のどん底で耐え抜いている職場の事を考えてあげなければと思う。
じぶんにできることがもっともっとあるはずだ。
そう思うとまたやる気が出てきて明日も頑張ろうと思える。
笑顔のいちにちは心も微笑んでいる。
ふっくらとしたその微笑をたいせつにしたいものだ。
空はふっと微笑んだかと思えば涙をにじます。
霧のような雨に紫陽花がとても鮮やかだった。
とうとう月曜日。憂鬱だと思えば思うほど重苦しくなるばかり。 そう思わなければきっとこころが楽になることだろう。 わかっていてもまるで決め事のようにそれを思ってしまうものだ。
流れている水の中にとび込んで行くようなきもち。 もがけば沈む。あばれたらもっと深いところにいく。
流れに逆らわずにいようとふっと思った。 肩の力を抜けばきっと身を任せられるはずだもの。
母はいつもとかわらない。同僚も笑顔で接してくれる。 私の顔はどんなふうに見えているのだろうかと気になった。
常連のお客さんが来てくれて自動車保険の説明をする。 世間話も交えながら自然と笑みがこぼれてきた。
これが私の仕事なのだなと今更ながら気づいてきた。 今できることは与えられた仕事を精一杯に務めること。
そう思うと。まるでトンネルを抜けたようにあたりが明るくなる。
いったい私は何にこだわっていたのだろうと思う。 母に対する気持ちだろうか。お給料のことだろうか。 よくわからないけれどそれはとても些細な事かもしれなかった。
やっとやっと気を取りなおすことが出来たように思う。 心機一転とはいかないまでもほぼそれに近くなったのかもしれない。
とにかくそこには水が流れているようだ。
うまく泳げなくてもいい。ただ私も一緒に流れていこうとしている。
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