六月になりはじめての山里だった。
稲の緑がずいぶんと伸びていておどろく。 あぜ道には紫陽花がそれは綺麗に咲いて。
のどかな風景に救われるようにほっとする。
私はこの山里のことがとても好きだった。 それが気の重さを少しでも楽にしてくれるのだ。
たまった仕事を片っ端からやっつけながら。 今日こそは母にちゃんと話そうと思っていた。 けれども言えない。今日もやはり駄目だった。
勘の鋭い母のこと。薄々は察しているかもしれず。 いっそ仕事が見つかってから話そうかともおもう。
肝心の仕事はまだ見つからず。昨日もハローワーク。 気が急いているせいか焦る気持ちばかりつのって来る。
この先いったいどうすればいいのだろう。 ほんとうになるようになってくれるのだろうか。
いやいや。そんな弱気ではいけないなといま思った。 もっとおおらかにゆったりとかまえていなければ。
うまくいくこともいかなくなってしまうかもしれない。
金曜日にまた来るね。そう言って山里の職場をあとにする。 「お疲れさん、ありがとうね」母の言葉が胸に沁みてくる。
わたしはあしたもうごく。やれるだけのことをしてみる。
けっかをかんがえていたらなにもできないのだもの。
いいことがきっとある。すすめすすめまえへすすめ。
小粒の雨が降ったりやんだり。 そろそろ梅雨入りになるかもしれない。
始発列車に乗り彼を迎えに行く。 わずか数日の入院だったけれど。 やはり家が恋しくてならなかったようだ。 嬉しそうにしている彼はまるで子供のよう。
帰り道は高速道路を避けて海沿いの道をゆっくり。 私の運転はおぼつかなく結局彼に運転してもらう。
空を映した海は真っ青ではなかったけれど。 久しぶりの潮の匂いが胸に心地よく沁みた。
茶の間からテレビの音。彼の頭がちょこんと見える。 またいつもと変わらない日常がかえってきたのだと。 胸がほっこりとあたたかくなった夕暮れ時だった。
私はふと明日のことを考えている。 ひと山越えることが出来たのだから。 また歩き出さなくてはいけないなどと。
とにかく職探しを再開しなくてはならない。 その前に山里の職場に顔を出すべきだろうか。
あれこれ考えているとなんだか疲れてしまって。
あしたはあしたの風にまかせようとやっと思った。
ほっこりを消さないようにほっこりをあたためて。
あしたも笑顔のいちにちでありますように。
早朝。あんずと一緒に土手を散歩。 「あれ?お父さんは?」そんな顔。 その時の首をかしげた姿がゆかい。
朝の風のなんとさわやかなことか。 朝陽とともに青空がきらりと光る。
午前中に彼と連絡をとる。 診察があり経過は順調とのこと。 眼帯も外せて眼鏡もかけられたそうだ。 よかった。とてもとてもほっとしている。 予定通り月曜日には退院出来そうだった。
ひとりぼっちはやはりさびしい。 ひとりごとばかりつぶやいている。 これもあっという間の出来事なのか。
夕方。またあんずと散歩に出掛ける。 今日は土手の除草作業で賑やかだったけれど。 すっかりまるはだかになっていておどろく。
青々と繁っていた夏草も。白い綿毛のチガヤも。 姫女苑の可愛い花さえもすべて跡形もなかった。
毎年の事だけれど。なんともいえないさびしさ。 きれいさっぱりと思えばまたこれもよしかもしれず。 すっかり雀色になってしまった土手をながめていた。
いつまでもそれはない。けれどもまたそれはうまれる。
また真夏になれば若い緑が匂うようにあふれることだろう。
手術。無事に終わりほっとしている。
術後少し熱が出ていたけれど。 それも夕方には下がったようだ。
不便なのは眼鏡をかけられないこと。
まな板の上の鯉はピチピチとは出来ず。 かなりぐったりと弱っていたけれど。 列車の時間もあり仕方なく帰って来た。
今日はまだ痛みもあり辛そうだけれど。 明日にはもっと楽になっていると思う。 経過さえよければ月曜には退院出来そうだ。
たかが眼。されど眼だ。 手遅れになれば失明さえあり得る。 早目に手術をしてもらえてほんとうによかった。
健康がいちばんの宝もの。つくづくとそう思う。
久しぶりの快晴。すっかり初夏の陽気となった。
早朝より南国市にある大学病院へ出掛ける。 高速道路を利用しても2時間半くらいかかった。
いよいよだなという感じ。 彼はもうまな板の上の鯉だなと笑った。
主治医の先生から手術の説明を受けたり。 万が一の時もありますからと脅かされたり。
けれども一般的にはとても簡単な手術とのこと。 不安がることは何もないのだと気楽に構えている。
山里の母からメール。 「雲の上にはかならず青空がありますから」と。
彼と顔を見合わせ思わず笑ってしまったけれど。 母なりに心配をしてくれていることがわかって。 とてもありがたいことだと思った。
高知市内に住む弟からもメール。 「今日は休みやきなんでも言うたや!」 帰りは列車のつもりだったのでそれも助かる。 病院から駅まで私を運んでくれるのだと言う。
けれども結局はタクシーに乗ってしまった。 その車中で弟から電話があったのだけれど。
もっと甘えても良かったのかなと後から悔やんだ。
そういうところが不器用なのだ。意地っ張りというか。
母も弟も。とても心強い存在だった。ありがとうね。
明日は朝いちばんの手術に決まった。 始発列車に乗ればなんとか間に合いそうだ。
まな板の上の鯉は今頃何を思っていることだろう。
雲の上にはかならず青空があるか・・・
母上さま。それってほんとにすばらしい言葉だよ!
いちにちじゅう雨音を聴きながらすごす。 時にはどしゃ降り。その激しさも心地よい。
彼の入院を明後日に控えなんだかざわざわと。 こころが落ち着かなくてそわそわとしていた。 大病でもなくほんの数日のことなのだけれど。 目前に迫ってくるとやはり心細くなってくる。
ずっとあっけらかんとしていた彼も同じなのか。 早く終わって欲しいよなあと呟くようになった。
とにかく行ってみないとわからないのだけれど。 きっとあっという間の出来事になることだろう。
雨は降りやまずお散歩も行けなかった。 あんずも犬小屋に閉じこもったきりで。 晩ご飯の時も犬小屋から顔だけ出して。 とてもめんどくさそうにフードを食べる。 その顔が愉快。ちょっと飼い主に似ている。
雨音はとてもリズミカルにその歌を奏でる。
まちがえてはいけないたいせつなうたのように。
そのうたをおぼえたがっているように胸がなる。
とっくんとっくんわたしの血がそこに流れている。
うす曇りの空。やわらかな陽射しにふわふわっと。 こころが吸い込まれていくようなきもちになった。
すこし気が遠くなる。たおれてしまうのではと思うほど。 なんともこころもとないものだ。ちゃんと立っているのに。
この心細さはいったいどこからやってくるのだろう。
気分転換に庭の掃除をする。犬小屋のあたり。 あんずの抜毛がコケのようにかたまっていた。 這うようにしてそれを取り除いていると。 あんずが追いかけてきては私の顔を舐めるのだ。 くすぐったくてたまらない。それも愉快なこと。
午後は茶の間で彼と一緒にテレビを見ていた。 うつらうつら。そのまま2時間も寝入ってしまう。 相変わらずのだらしなさ。自分でもあきれてしまう。
寝起きの気だるさをふりおとすように散歩に出掛けた。 胸をはっていちにっいちにっと風にふかれながら歩く。
もういちにちが暮れていってしまうのか。
なんだかあまりにもあっけないことに思える。
それでもわたしはそんざいしていて時は流れるのだった。
いいのかな。うんきっとこれでいいのだろう。
静があって動があるのなら今日は静のいちにちとしよう。
|