昨日のどしゃ降りの雨が 桜をすっかり散らしてしまったと思っていた。
けれども桜はまだ残っていてくれていたのだ。 ほんの少し誇らしげに薄桃色の微笑をうかべ。
もうおしまいだなんて決めてしまわないでと。 儚いものをあわれむこころにまた花を咲かす。
ことしの桜はとてもつよい。それが嬉しかった。
わたしはすぐにあきらめてしまう性分だから。 ああ駄目だなって思ったらどんどん駄目になる。
時々そんなじぶんをコントロール出来なくなって。 悪いほうへ悪いほうへと押し流されてしまうのだ。
なにごとも気の持ちよう。なんども言い聞かしている。 病も気から。負けないぞって強い意志がなくてはならない。
そうしてもっとあっけらかんと生きていきたいと思う。 なるようになることはそっと見守るようなきもちで。 なんとかしなくてはならないと思わないでいたいものだ。
むつかしいけれど。少しずつそんな自分になっていきたい。
ゆうがた。玄関先のツバメが二羽になっていた。 このところ姿が見えなかったので心配していたけれど。 どうやらお嫁さんをさがしに行っていたらしい。
またこれからが楽しみになるな。老い始めた夫婦と老犬。 若きツバメ夫妻とともに。今日も平穏な一日をありがとう。
母子草の花が咲いていた。 なんともかわいらしい花。
すこし背の高いのがお母さん。 まだちいさいのが子供かしら。
こんなふうによりそえることが。 しあわせというものかもしれない。
あの頃の母はまだとても若くて。 小学校の用務員をしていたのだった。 その日はいつも土曜日だったと思う。 自転車を押しながらの母と一緒に帰る。 子供心にそれがとても嬉しかったのだ。
お店屋さんに寄って買物をする時は。 いつもコロッケを買ってくれたっけ。 それを食べながら帰るのが好きだった。
母は優しかった。そしていつも笑顔だった。
ながいながい歳月を経てじぶんも母になる。 子育てが苦手だった私は子供たちに育てられ。 いつのまにか大きくなった子供たちが巣立つ。
わたしは優しかったのかしら。 いつも笑顔でいられたかしら。
ただよりそうことはできたのかもしれない。
しあわせなじんせいだったとその時がきたら言うね。
柿の葉のやわらかな若草色がなぜか懐かしい。 それはこどもの頃の記憶なのかもしれないけれど。
なにもおもいだせない。もしかしたらおままごと。 若草色のお皿の上に桜の花びらをそっとのせたり。
ずいぶんと遠いところまでたどりついてしまった。 これも歳のせいだろう。来た道を振り返ってみる。 そんなことが多くなったこの頃。思い出というより。 それは過去というなのひとつの道にほかならない。
あの時あの道で立ち止まった。一歩が踏み出せずに。 うずくまって膝小僧をかかえ途方にくれたのだった。
背中を押してくれたひとがいる。つきはなすように。 つよくつよく「行ってみろよ」とそのひとは言った。
あれからもう33年の歳月が流れた。むかしむかし。
そうして道というものができる。
いつだってそれはあたらしいみち。
| 2010年04月06日(火) |
ふんわりとふくらんで |
やっと春らしくぽかぽか日和になる。
ここ数日の肌寒さにきゅっとしぼんでいたものが。 ふんわりとふくらんで花開いたような気持ちだった。
そうして春風に吹かれているとどこかにとんでいきそうで。 ここにいるね。ちゃんといるねとじぶん自身を確かめてみる。
ぽつねんとしているのがいい。たとえば野原のまんなか。 誰を待つでもなくひっそりと咲く雑草のようでありたい。
うぐいすがしきりに歌うのに耳をかたむけながら。 もう10日ぶりだろうかやっと川仕事を再開した。 例年の最盛期をおもうとほんとうに不作だけれど。 わずかの収穫でもありがたいのだと思って頑張る。
暖かさにうっすらと汗をかいた。心地よい汗だった。 彼とおしゃべりをしながらの作業は楽しくもあって。 くよくよとこの先の暮らしの事など考えるのはよそう。
なるようになっているのだな。いまがそうなのだなと思う。
二十四節気のひとつ『清明』 万物が清々しく明るく美しい頃だという。
午前中はどんよりとした曇り空だったけれど。 午後から一気に青空が広がりまさに清明となる。
山里ではもう田植えを済ませた田んぼもあり。 そのちいさな苗がきらきらと陽に輝いていた。
桜並木もしっかりとそこにあり目をうばわれる。 牧場では牛たちがのんびりと草を食んでいたり。
とてものどかな山里。ここが好きだなと思った。
不思議な事に体調も良くなる。憑き物が落ちたような。 そんな気さえするほど活き活きとしてくるのだった。
ここ数日の憂鬱さ。不安さえも吹き飛んでしまったようだ。 その土地により気の流れが変わるというのは本当だと思う。
しばらくは毎日というわけにはいかないけれど。 また山里へ来よう。そうして精一杯に尽くそう。
老いた母の背中を見ながら胸を熱くし家路についたことだった。
もう四月だというのにまだ肌寒さが続いている。 そんな気温のおかげだろうか桜は散り急がずに。 今日もほっと仰ぎ見ながら愛でることができた。
その時がくればそれは潔くはらはらと散るだろう。 あと少しもう少しなのだと惜しむような気持ちだ。
川仕事を休むようになって一週間が過ぎた。 まるでそれに合わすように体調がすぐれず。 これはゆっくりと休みなさいということか。 受け止めつつ毎日をそれなりに過ごしている。
もともと神経質な性分で気にし始めるときりがなく。 ゆったりとくつろぐ気持ちで日々をおくりたいものだ。
散歩は気分転換によく毎日続けている。 土手の緑が日に日に濃くなっていくのや。 雄大な川の流れを目にすると心が落ち着く。
じぶんもそんなしぜんのひとつなのだとおもうと。 くよくよしたりふあんがったりするのがおかしい。
なるようになるさ。ちるときはちるのだからと。 いまあるいのちをたいせつにだきしめてあげたい。
明日は久しぶりに山里の職場へ行ってみようと思う。
母はきっと喜んでくれるだろう。私も嬉しくなりそう。
うす曇の空。相変わらず肌寒さを感じる。
午前中に少しだけ庭の鉢植えなどの手入れ。 冬のあいだほったらかしにしてあったけれど。 紫陽花などはその枯れた枝から新芽を吹き出していた。
そしてプランターの片隅に忘れな草の芽を見つける。 好きな花だ。嬉しくって思わず歓声をあげたほどだ。
わたしをわすれないで。そんな花言葉をおもいだす。
ひとにはとつぜんの別れもあるけれど。
わたしはけっしてそのひとをわすれない。
わたしのこともわすれないでいてくれるかしら。
明日は雨の予報。もう桜も散ってしまうかもしれない。 夕方の散歩の帰り道。高台の神社へと足を向けてみた。 その石段を前にちょっとした桜の公園があるのだった。 昔はそこに小学校があったのだという場所なのだけれど。 その跡地に桜の木を植えてあってそれは見事に咲いている。 見納め。毎年かならず一度はこの場所を訪れることにしている。
しんこきゅうをしながらいろんなことをおもってしまう。
せつないこと。ちょっとだけかなしいこと。くるしいことも。
でもちゃんといきているなっておもう。これでいいのだなって。
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