母子草の花が咲いていた。 なんともかわいらしい花。
すこし背の高いのがお母さん。 まだちいさいのが子供かしら。
こんなふうによりそえることが。 しあわせというものかもしれない。
あの頃の母はまだとても若くて。 小学校の用務員をしていたのだった。 その日はいつも土曜日だったと思う。 自転車を押しながらの母と一緒に帰る。 子供心にそれがとても嬉しかったのだ。
お店屋さんに寄って買物をする時は。 いつもコロッケを買ってくれたっけ。 それを食べながら帰るのが好きだった。
母は優しかった。そしていつも笑顔だった。
ながいながい歳月を経てじぶんも母になる。 子育てが苦手だった私は子供たちに育てられ。 いつのまにか大きくなった子供たちが巣立つ。
わたしは優しかったのかしら。 いつも笑顔でいられたかしら。
ただよりそうことはできたのかもしれない。
しあわせなじんせいだったとその時がきたら言うね。
柿の葉のやわらかな若草色がなぜか懐かしい。 それはこどもの頃の記憶なのかもしれないけれど。
なにもおもいだせない。もしかしたらおままごと。 若草色のお皿の上に桜の花びらをそっとのせたり。
ずいぶんと遠いところまでたどりついてしまった。 これも歳のせいだろう。来た道を振り返ってみる。 そんなことが多くなったこの頃。思い出というより。 それは過去というなのひとつの道にほかならない。
あの時あの道で立ち止まった。一歩が踏み出せずに。 うずくまって膝小僧をかかえ途方にくれたのだった。
背中を押してくれたひとがいる。つきはなすように。 つよくつよく「行ってみろよ」とそのひとは言った。
あれからもう33年の歳月が流れた。むかしむかし。
そうして道というものができる。
いつだってそれはあたらしいみち。
| 2010年04月06日(火) |
ふんわりとふくらんで |
やっと春らしくぽかぽか日和になる。
ここ数日の肌寒さにきゅっとしぼんでいたものが。 ふんわりとふくらんで花開いたような気持ちだった。
そうして春風に吹かれているとどこかにとんでいきそうで。 ここにいるね。ちゃんといるねとじぶん自身を確かめてみる。
ぽつねんとしているのがいい。たとえば野原のまんなか。 誰を待つでもなくひっそりと咲く雑草のようでありたい。
うぐいすがしきりに歌うのに耳をかたむけながら。 もう10日ぶりだろうかやっと川仕事を再開した。 例年の最盛期をおもうとほんとうに不作だけれど。 わずかの収穫でもありがたいのだと思って頑張る。
暖かさにうっすらと汗をかいた。心地よい汗だった。 彼とおしゃべりをしながらの作業は楽しくもあって。 くよくよとこの先の暮らしの事など考えるのはよそう。
なるようになっているのだな。いまがそうなのだなと思う。
二十四節気のひとつ『清明』 万物が清々しく明るく美しい頃だという。
午前中はどんよりとした曇り空だったけれど。 午後から一気に青空が広がりまさに清明となる。
山里ではもう田植えを済ませた田んぼもあり。 そのちいさな苗がきらきらと陽に輝いていた。
桜並木もしっかりとそこにあり目をうばわれる。 牧場では牛たちがのんびりと草を食んでいたり。
とてものどかな山里。ここが好きだなと思った。
不思議な事に体調も良くなる。憑き物が落ちたような。 そんな気さえするほど活き活きとしてくるのだった。
ここ数日の憂鬱さ。不安さえも吹き飛んでしまったようだ。 その土地により気の流れが変わるというのは本当だと思う。
しばらくは毎日というわけにはいかないけれど。 また山里へ来よう。そうして精一杯に尽くそう。
老いた母の背中を見ながら胸を熱くし家路についたことだった。
もう四月だというのにまだ肌寒さが続いている。 そんな気温のおかげだろうか桜は散り急がずに。 今日もほっと仰ぎ見ながら愛でることができた。
その時がくればそれは潔くはらはらと散るだろう。 あと少しもう少しなのだと惜しむような気持ちだ。
川仕事を休むようになって一週間が過ぎた。 まるでそれに合わすように体調がすぐれず。 これはゆっくりと休みなさいということか。 受け止めつつ毎日をそれなりに過ごしている。
もともと神経質な性分で気にし始めるときりがなく。 ゆったりとくつろぐ気持ちで日々をおくりたいものだ。
散歩は気分転換によく毎日続けている。 土手の緑が日に日に濃くなっていくのや。 雄大な川の流れを目にすると心が落ち着く。
じぶんもそんなしぜんのひとつなのだとおもうと。 くよくよしたりふあんがったりするのがおかしい。
なるようになるさ。ちるときはちるのだからと。 いまあるいのちをたいせつにだきしめてあげたい。
明日は久しぶりに山里の職場へ行ってみようと思う。
母はきっと喜んでくれるだろう。私も嬉しくなりそう。
うす曇の空。相変わらず肌寒さを感じる。
午前中に少しだけ庭の鉢植えなどの手入れ。 冬のあいだほったらかしにしてあったけれど。 紫陽花などはその枯れた枝から新芽を吹き出していた。
そしてプランターの片隅に忘れな草の芽を見つける。 好きな花だ。嬉しくって思わず歓声をあげたほどだ。
わたしをわすれないで。そんな花言葉をおもいだす。
ひとにはとつぜんの別れもあるけれど。
わたしはけっしてそのひとをわすれない。
わたしのこともわすれないでいてくれるかしら。
明日は雨の予報。もう桜も散ってしまうかもしれない。 夕方の散歩の帰り道。高台の神社へと足を向けてみた。 その石段を前にちょっとした桜の公園があるのだった。 昔はそこに小学校があったのだという場所なのだけれど。 その跡地に桜の木を植えてあってそれは見事に咲いている。 見納め。毎年かならず一度はこの場所を訪れることにしている。
しんこきゅうをしながらいろんなことをおもってしまう。
せつないこと。ちょっとだけかなしいこと。くるしいことも。
でもちゃんといきているなっておもう。これでいいのだなって。
とても風の強い日。それは春風とは呼べないけれど。 陽射しは眩しいほどに降り注ぎほっと空をあおいだ。
土手には野あざみの花が咲き始める。 その棘も若き緑にすっぽりと覆われ。 薄紫の花はきらきらと光輝いている。
寒の戻りもなんのその。いまはたしかに春だった。
川仕事はお休み。海苔の生育が思うようにならず。 しかたなくしばらく様子を見ることになった。 欲を言えばきりがなく自然任せにするほかなくて。 もはや焦る気持ちもなくなりただその時を待つ思い。
体調のこともありいただいたお休みをのんびりと過ごす。 とにかく気分転換をと久しぶりに文庫本をひらいてみた。 やはり読書は良いなと思う。ぐんぐんと惹き込まれていく。
重松清の短編『陽だまりの猫』主人公の気持ちがすごく伝わる。 このひとの作品はどれも読後感が素晴らしくて心地よいのだった。 読み終えた後のなんともいえない満足感。ああ好きだなと思った。
こころを打つ。さりげなく打つ。そんな文章を私も書けたらいいな。
さあて今夜も歌ってみようと。お風呂の鼻歌は『いい日旅だち』
ゆきどけまぢかのきたのそらにむかい。うんこれは大好きな歌だ。
よしえちゃん。たけさん。りゅうちん。しんさん。
北の大地にもきっと春はくるよ。もう少しのしんぼうだよ。
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