ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2010年03月29日(月) 陽だまりの猫

とても風の強い日。それは春風とは呼べないけれど。
陽射しは眩しいほどに降り注ぎほっと空をあおいだ。

土手には野あざみの花が咲き始める。
その棘も若き緑にすっぽりと覆われ。
薄紫の花はきらきらと光輝いている。

寒の戻りもなんのその。いまはたしかに春だった。



川仕事はお休み。海苔の生育が思うようにならず。
しかたなくしばらく様子を見ることになった。
欲を言えばきりがなく自然任せにするほかなくて。
もはや焦る気持ちもなくなりただその時を待つ思い。

体調のこともありいただいたお休みをのんびりと過ごす。
とにかく気分転換をと久しぶりに文庫本をひらいてみた。
やはり読書は良いなと思う。ぐんぐんと惹き込まれていく。

重松清の短編『陽だまりの猫』主人公の気持ちがすごく伝わる。
このひとの作品はどれも読後感が素晴らしくて心地よいのだった。
読み終えた後のなんともいえない満足感。ああ好きだなと思った。

こころを打つ。さりげなく打つ。そんな文章を私も書けたらいいな。




さあて今夜も歌ってみようと。お風呂の鼻歌は『いい日旅だち』

ゆきどけまぢかのきたのそらにむかい。うんこれは大好きな歌だ。

よしえちゃん。たけさん。りゅうちん。しんさん。

北の大地にもきっと春はくるよ。もう少しのしんぼうだよ。



2010年03月28日(日) へっちゃらよ

やっと青空になったけれども花冷えが続いている。

そんな寒さにもめげることなく桜は精一杯に咲いてくれて。
見上げるたびに何かを語りかけてくれているような気がする。

だいじょうぶよ。へっちゃらよ。これくらいなんともないわ。


わたしもそうでありたい。胸をはってそうさけびたくなる。


季節の変わり目のせいか。木の芽起こしの頃だからなのか。
昨夕から少し体調がおもわしくない。例の発作に悩まされる。
自律神経とはいったいどんなしくみになっているのだろうか。

思うようにならなくてちょっと悔しい。負けたくないのに。
どんどんと深いところに引っ張られていくような感じになる。


今夜はお風呂で鼻歌をうたってみた。春が来た春が来た。
どこに来たで始まって。次は山だっけ里だっけ野だっけ。
わからなくなってしまってそれが可笑しくてならない。

ああ楽しいなあ。お風呂から出てもまだ歌い続けていた。

それが気分転換になったのだろう。いまはこうしてここにいる。
むしょうに書きたくて。かといってつまらないことだけれど。

書いてみました。はぁ・・なんかとてもすっきりとしました。





2010年03月25日(木) 花冷え

今日で三日目の雨は少し冷たかった。

暖かさに慣れ始めていた身体には辛くもあり。
川仕事をお休みしていちにちのんびりと過ごす。

そんな雨も夕方にはやみやっと散歩に出掛けられた。
雨のあいだも桜はそのつぼみを開いていたのだろう。
お大師堂の桜はほぼ満開になりひとひらふたひらと。
花びらが散り落ちていた。なんと儚い事だろうと思う。

きょねんのいまごろだった。そんな桜花のように。
去っていったひとがいる。とても淋しい事だったけれど。
ひとはこんなにも潔く去れるものかと感動さえおぼえた。

Jさん。元気にしていますか?また桜の季節になりましたね。


去るものは追わず。とはいってもいつも気掛かりでならなかった。
縁のあったひとと縁が切れるということはやはり辛いことだと思う。

けれども。Jさんが私にさずけてくれたものそれはずっとずっと。
私の胸の中から消えることはないだろう。ありがたい縁だったのだ。


はらはらとやがて散る花いま生きて儚き夢を胸にひとひら 





2010年03月24日(水) おかえりなさい

今日も雨。青空が恋しいけれど春の雨もまたよし。

早朝。あんずの散歩から帰った彼が。
玄関にお客さんが来ているよと言う。

こんなに朝早くからいったい誰だろう。
きょとんとしている私の顔を見ながら。
彼は可笑しそうに微笑みながら言った。


今年もツバメが帰って来てくれたのだ。
我が家の事を忘れずにいてくれたのか。
ながいながい旅をしながら辿り着いて。

感激で胸が熱くなる。こんなに嬉しいことはない。

また忙しく古巣の修復を始めることだろう。
そうして一羽が二羽になりやがて卵を産み。
可愛らしい子ツバメたちの声が聴こえるだろう。

ツバメは春の使者のようだ。おかえりなさい。

そしてありがとう。我が家にも春がきました。



2010年03月23日(火) 縁あるひと

あいにくの雨。しっとりとやわらかに降り続く。

この雨があがれば桜も一気に満開になるだろう。
儚い花だけれどその蕾をふっくらと膨らませながら。
精一杯に生きている姿に咲こうという意志を感じる。

お大師堂の桜も少しずつ咲き始めたきのう。
また例の修行僧のお遍路さんに再会した。
去年の9月からかぞえてもう5度目になる。

よほど縁深いひとなのだろう。前世の私たちは。
とても身近なところにいたのだとそのひとは言う。

きのうが今日の雨ならば再会は叶わなかったと思う。
桜の木の下で立ち止まらなければ会えなかったひとだ。

縁とはなんとも不思議なもので巡りめぐっていながら。
ほんの一瞬の時をあたえられてその糸がつながるものか。

お別れはいつも名残惜しいものだが。またきっと会える。
そんな確信のおかげでとてもあっさりとその場で別れた。


今日の雨にもひたすら前を向き歩き続けていたことだろう。

そのひとにとっては歩くことが生きることなのかもしれない。


ありがたき縁をさずかり。私も日々を歩んでいくことができる。

どんな日もあるけれど。空と大地に支えられながら生きていきたい。



2010年03月20日(土) ゆうじん

黄砂なのだろうか。霞がかった空。
気温も上昇しすっかり春らしくなる。


ぽかぽか日和に誘われて「しんむけいげ」に行った。
今日を逃せばこの春はもう無理かもしれないと思い。
いてもたってもいられないような気持ちで出掛ける。

お店はほぼ満席状態。窓際のカウンターは無理で。
いっそ春風に吹かれようと裏庭のテラスを選んだ。

吹き抜ける風にウグイスの鳴き声。なんとも心地よく。
美味しい珈琲と甘さを控えたロールケーキを食べた。

友人は変わらず天真爛漫。いつ会っても朗らかな笑顔。
私はといえばついつい不安な事などを口にしてしまい。
そんなことはないよと笑い飛ばしてくれるのを期待する。

私たちは決して似たもの同士ではないのだけれど。
不思議と気が合って長い歳月をともに過ごして来た。

ゆうじんとよんでいるのはかたおもいかもしれない。
彼女はうちの息子が小学生の時の担任の先生だった。
たまたま同い年であり文芸のようなものでつながる。
それ以外にはなにもないのかもしれないなとも思う。

けれども私にとってはかけがえのないゆうじんだった。


今度は夏ね。この店の窓から見える風景はどんなだろう。
きらきらとまぶしい川面。対岸の柳の木が夏風に揺れる。

わたしのふあんがたとえふえていたとしても。

かのじょがわらいとばしてくれるのがうれしい。






2010年03月18日(木) こだわり

彼岸の入り。朝の風は少し冷たかったけれど。
日中はほっとするような暖かさになった。

お昼にぼたもちを食べる。おやつにも食べて。
つい今しがた食後の別腹で最後の一個を食べる。

死んだお祖母ちゃんのぼたもちを思い出す。
きな粉のじゃなくて小豆餡のぼたもちだった。
もう二度と食べられないその味がとても懐かしい。

しんだひとはみんなひがんにいるのかしら。
ごくらくじょうどとはどんなところなのだろう。



我が町にはいくつか沈下橋という橋があって。
そのひとつの近くに「しんむけいげ」というお店がある。

店の名は般若心経の一節より名付けられているらしい。
「こころにこだわりをもたない」というような意味だ。

お正月の3日だったろうか。友人と食事に出掛けた。
窓際のカウンター席。そこから見る景色の素晴らしさ。
春になると川向に菜の花がたくさん咲くのだと言う。

その時友人と約束をした。きっと春にまた来ようねと。

先日友人から電話があった。ねえもうそろそろ行かなくちゃ。
今度の連休はどう?私はなんとしても行きたいのだけれど。
不作とはいえ川仕事を休むわけにはいかないなと複雑な気分。

お昼ごはんは無理でもお茶するくらいの時間はとれるかも。
一時間でもいい。あの場所にもう一度行ってみたいと思う。

こころ魅かれる場所って誰にだってあるだろう。

「しんむけいげ」にこだわっているのかもしれないけれど。


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