真夜中に雨の音を聴いた。なんと心地よい音だろう。 どこかに流されていってしまうような。それでもかまわない。 そんなふうに身をまかせたまま辿り着く場所があればいいなと思う。
終の棲家に雨が降る。たとえ流されてしまったとしても。 ここに帰って来るだろう。もうじゅうぶんにそのことを知った。
つい先日のこと。幼馴染でもある父方の従兄弟が亡くなった。 憶えているのはとてもやんちゃな子供だったことばかりで。 大人になった彼のことを私は何ひとつ知らないままだった。 40年ぶりの再会はあまりにも遅すぎたと思う。もの言わぬ。 棺の中の彼に会った。そんな時なんと言葉をかければよいのか。 わからなくて途惑った。それがありのままの自分だったと思う。
叔父も叔母もすっかり憔悴しきっていてただただ手を握り締めた。 それが不義理を重ねてきた自分に出来る精一杯の事だったと思う。
誰も私を責めない。そればかりか皆が優しく声をかけてくれる。 これが血なのか。分かち合った血なのか。なんと愛おしい血だろう。
身内という言葉にどれほど救われたやしれない。アイタカッタノダ。
書き記しておきたいことがあるというのに。 うまく言葉に出来なくて悶々とすることがある。
しばし時が必要ということだろうか。 よくわからない。その時になれば。 喉もと過ぎればなんとやらでもう。 感慨もなにも残らないのかもしれないけれど。
決して忘れることはないだろう。そのことを。 『先日』という言葉を借りて綴りたいと思う。
いちはやく咲いた紅梅を追うように白い梅の花も咲き始めた。 「春だね」とあのひとが嬉しそうにつぶやいた。そんな朝だった。
暖かさにほっとしていたのもつかのま。 また真冬らしく冷たい風が吹き始める。
けれどもちいさな春を見つけたこころには。 そんな寒さもむしろ心地よく思えるのだった。
寒さなければ花は咲かず。ありがたき冬かな。
昼間。久しぶりにサチコが帰って来てくれる。 お正月以来かなと思う。とてもうれしかった。
何度か夢を見た。そのたびに気掛かりでならず。 風邪をひいているのではないかと心配になったり。 かと言ってうるさく電話をするのも気が引けては。 日々が流れていくばかりだった。いつもの笑顔と。 明るくてひょうきんな素振り。我が家に花が咲く。
三人でインスタントラーメンを食べた。おいしい。 父も母も声が弾む。こんなに嬉しい昼食はなかった。
食後あっけなく帰って行ってしまったけれど。 しばらくは余韻が残る。あたたかな息のように。 サチコが空気になって家中に漂っているようだった。
ずいぶんと所帯じみてきたよねと。父と母は微笑んだ。 スーパーのチラシを見ながら。卵が78円だよと喜んだり。 買物に行かなくちゃと急いで帰ったうしろ姿のことなんか。
嫁いでちょうどふた月。あっという間に日々が流れた。
寂しさも薄れ。ひたすら懐かしむばかりのこの頃だった。
また帰って来てねサチコ。父も母もいつだって待っているよ。
眠っているあいだに雨が降っていたようだ。 暖かな朝。雨上がりの水の匂いがなんともいえない。 もう春かと思うほど。それはとてもやわらかな匂いだった。
昨夜のこと。もう寝ようと自室の電気を消すと同時に電話が鳴る。 遠くに住む友人からだった。長くなることを承知で受話器をとる。
他の誰にも話せないことなのかもしれない。 彼女の心境が手に取るように伝わってきた。
けれども決して苦しんでいるのではなかった。 彼女は自分の選んだ道を真っ直ぐに歩み始めている。 ただほんの一握りほどの後ろめたさを抱えているのだろう。
進もうとする彼女の足を。いや一本の髪の毛かもしれない。 それを掴んで離そうとしない人の存在に悩んでいるのだった。
それは執着か。もしくは執念か。ふりきってふりきってひたすら 我が道を行くしかないと私は応えた。彼女ならそれが出来るはずだ。
私には出来ないことなのかもしれない。私はもっと揺らぐだろう。 髪の毛の一本を掴む手があれば。その手を握りしめるかもしれない。 何度も振り返ってしまうだろう。自分もまた執着を残すかのように。
彼女はとてもつよい。自分を信じてそれを貫くことが出来るひとだ。
興奮気味だった彼女の声がやっと穏やかになる。
ありがとう。おやすみなさい。その声にほっと安堵する。
私はこの縁を紡ぎ続けるだろう。見守ること見届けること。
そのために彼女と出会った。いまはそうかくしんしている。
大寒とは思えないほどの暖かさになった。 晴れのち曇りの空に雨を匂わす風が吹く。
ひと雨ふればまた寒気がやってくるという。 膨らみ始めた梅の蕾もじっと耐えることだろう。
我が家の庭にはローズマリーの花が咲いた。 今朝のことそれを見つけてなんと感動したことか。 薄紫の小さな花が宝石のように咲いていたのだった。
どんな厳しさにも耐えられる。ひともそうでありたい。 植物から伝わってくるいのちを。とても愛しいと思った。
仕事。今日は早目に終えられてほっとする。 昨日は遅くなりあんずを散歩に連れて行ってあげられなかった。
今日も諦めていたのかもしれない。犬小屋から出てこなくて。 どうやらうたた寝をしていたらしく気だるそうに這い出てくる。
いつもの元気がない。とぼとぼとしんどそうに歩くので心配になった。 あれこれと話しかけながら歩いた。もちろん相槌を打つわけでもなく。 語り合えたならどんなに良いだろうと思う。ねえどうしたの?あんず。
そんな心配もつかの間。晩御飯の頃にはすっかり元気になっていた。 いつも通りの食欲にほっとする。ほんとにガツガツとよく食べるのだ。
前世は人間だったらしい彼女。来世はまた人間に生まれるのだと。 先日出会った修行僧のお遍路さんに言われた。私はそれを信じている。
今度はもしかしたら私が犬に生まれ変わる。
そうして彼女に飼われるのかもしれない。
日中はずいぶんと気温があがり三月並の暖かさとなる。 そんな陽射しに誘われたように紅梅のつぼみが膨らむ。
明日は大寒。そして立春へとゆっくりと春が近づいてくる。
子供の頃には大好きだった冬も年を重ねるごとに苦手になり。 今ではすっかりふるえあがり縮こまったように暮らしている。
雪合戦や橇遊び。ツララを齧ったり雪にお砂糖をまぶして食べた。 四万十の上流。それは山深い里での子供時代の懐かしい思い出だった。
春を待つ。待ちわびている。それは希望のように心を占領する。 ちいさな春を見つけるとほっと安堵しては微笑まずにいられない。
それはあたたかなひとに出会ったようなきもち
あたたかなひとはやわらかくほほえみふんわりと
くらいきもちをつつんでくれる。かなしいことも
どうしようもなくつらいことも。そっと抱きしめ
よしよしとこころをなでてくれる。その手のひら
ふれてみる。たいせつなことがすぅっとつたわる
生きているなっておもう。あたたかいなっておもう。
ずいぶんと日が長くなったように思う。
6時を少し過ぎた頃だったろうか。 夕陽の名残をわずかに染ましながら空が。 夜に包まれようとしているかのように暮れた。
三日月が見える。そうしてよりそう一番星が。 なんてうつくしい空だろう。しばしたたずむ。
胸がこころがきゅんきゅんとないているのを。 せつないとはもういえない年なのかもしれない。
だとすればそれをなんと言葉にすればいいのか。
あのひとが家路に着く頃。電車の窓から空が。 見えるだろうか。気がついてくれるだろうか。
よりそうということ。かたちにはなれなくても。 こんなにちかくにある光のことを感じてほしい。
いちばん星。
きみにあげる。
生きたいと言って。
どんなに辛くても。
いちばん星。
きみにあげる。
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