| 2009年08月26日(水) |
そうしていっぱい歩こうね |
日が暮れると一斉に秋の虫が鳴き始める。夜風も涼しい。 窓辺にいて昨夜よりも少しふっくらとした三日月を仰ぐ。
もう例の子犬の声は聴こえない。今朝聴いたその声が最後になった。 午前中は我が家の庭に来ていてじっとおとなしく座っていたらしい。 お向かいの奥さんがその後の事を教えてくれて二人涙ぐんでしまう。
ご近所で少しいたずらをしたらしい。そうして捕まえられてしまい。 すぐに保険所に電話をされてしまったらしかった。なんと憐れな事。
犬が嫌いな人もいる。それはほんとうに仕方のない事だけれど辛い。 もう二度とこんな不憫なことがありませんようにと手を合わす思い。
ただ唯一の望みは保険所に行ってから里親が見つかる事もあるそうだ。 子犬の場合はその望みも大きいと聞く。奇跡的に救われるかもしれない。
ずっと平穏だった日々にあって今回の事ほど心を痛めたことはなかった。 飼い犬のあんずとふたり夕陽の川辺を歩きながらせつなくてならなかった。
あんず。おまえは幸せだよね。お母さんと喧嘩しても叱られても幸せだよね。
長生きしようね。そうしていっぱい歩こうね。今日の夕陽も綺麗だね。
| 2009年08月25日(火) |
どうしようもできないこと |
秋空のまま日が暮れて三日月の光がほのかにあたりを染めている。
土手から子犬の声がする。帰る家がない不憫な子犬だった。 昨日。川辺の木に繋がれてそのまま捨てられてしまったようだ。 傍には水入れとドックフードの袋が置いてあったと言うけれど。 どんな事情があるにせよ置き去りにするとはなんと酷い事だろう。
今朝方。その青い首輪をした子犬は綱を千切って路地をやって来た。 とても人懐こくて可愛くて。ついつい頭を撫でてしまったのだけれど。 たちまち彼に叱られてしまう。飼ってもやれないではないかと言われて。
お向かいの奥さんが昨日の様子を教えてくれた。捨てられたのだと。 可哀想だけれどどうしてあげることも出来ない。胸が苦しくなった。
区長さんに連絡して保護して貰おうと提案したのだけれど。それも。 彼に叱られる。そんなことをしたら即刻保険所に連れていかれるぞ。
確かに彼の言う通りだと思う。野良犬のほうが幸せかもしれないのだ。 いやそれよりも誰か飼ってあげられる人がいてくれたらそれがいちばん。
不憫でならないけれどしばらく様子を見ることにする。どうかどうか。 飼ってくれる人がいてくれますように。ただただ願う事しか出来ない。
捨てたひとは今どんな気持ちでいるのだろう。可愛い盛りの子犬の事を。 ドックフードの袋は誰かが持ち去ったかのように今日は消えていたらしい。 もしもそのひとがそれをしたのなら。安心したうえの行為なのだろうか。 誰かが飼ってくれるのだとそう思ったならそれはとんでもない誤解なのに。
どんなにかお腹が空いたことだろう。今夜はいったい何処で眠ればいいのだろう。
してあげられないこと。どうしようもできないことで心が痛む夜になった。
| 2009年08月24日(月) |
夏のページをめくりながら |
とうとう夏が退く頃になったらしい。『処暑』は少しせつない。 どうしようもなくいってしまうひとのように思われてならない。
去年の夏が『動』だとすると今年は『静』としか言いようがなくて。 うずくまって膝小僧を抱えながら雨を陽を風を感じるばかりだった。
いちめんの向日葵畑のことを知らずにいた。今年も咲いただろうか。 向日葵が好きだと言ったあのひとは変わらずに元気でいるだろうか。
縁というものは時には儚い。せめて忘れずにいることで救われていく。 ただ執着を絶つということ。あとには清々しい思い出だけが残るのだ。
届かなくてもいいこと。伝えられなくてもいいことで私の夏は満ちる。
秋刀魚を焼いた。ガスレンジが壊れてしまったので鉄網で焼いたところ。 家中が火事みたいな煙になった。涙を流しながら辛抱強く耐えてみるが。 七輪が良い炭火が良いと台所でわめいていた。庭で彼に焼いてもらおう。 俺は嫌だねと笑いながら言うので。煙の中の狸みたいにポンポコうなる。
苦労したかいがあったのか秋刀魚はとても美味しかった。また食べたい。 でもガスレンジを買い換えないとまた苦しい。ロト6を買ってみようか。
働いても働いても収入が無い。我が家はどんどん貧乏になっていくのだ。 でも今日は仕事を終えた時「ありがとう」って言ってもらえて嬉しかった。
欲しがらない事だといつも思う。こころに福をささやかな恵みがきっとある。
もう陽が沈んでしまう頃。とぼとぼとふたりまたいつもの散歩道を歩いた。
ひとつひとつ夏のページをめくりながらそれを閉じていくような日々だった。
夏がそのありったけのちからを振り絞ったような残暑。 ちいさな秋を手招きしながらも誇らしげに微笑むように。
そんな夏の微笑みを心地よくおもう。好きだなと思った。
かと言って満喫するのでもなくずっと出不精のまま過ごす。 ぽつねんとしている。そこにいて感じられるものの気配や。 物憂げな時の過ごし方や。無意味としか言えない在りようや。
そうして日暮れ近くなるとむしょうに風に吹かれたくなるのだ。
土手の道を行くと川遊びをしている人達を見た。ボートみたいなもの。 あれは何と言う乗り物だろう。轟音を響かせて川面を走り抜けている。 とても爽快に見えた。怖そうだけれど一度あれに乗ってみたいと思う。
海のことも思い出した。10代を過ごした海辺の町のことが懐かしくなる。 大きなタイヤチューブを浮き輪にして友達が沖へと連れて行ってくれた。 足の着かない海は初めてだったからとても怖かったけれど楽しくもあった。 みんな泳ぎが上手だったな。カナヅチで泳げない私はみんなが頼もしかった。
私が海に浸かったのはあれが最後だと思う。ずいぶんと遠い昔になったものだ。
夕風に吹かれているとそんな懐かしさや。なんともいえない哀愁を感じる。
ふっと不思議に思うのは今まさに自分がここに存在しているということ。 ここに辿り着くまでのこれまでを思うと。なにもかもが運命のように思う。
終の棲家がある。縁深き家族がいる。私はながいながい旅をしてきたようだ。
| 2009年08月20日(木) |
きれいさっぱりと流してみよう |
細かな雨がふったりやんだり。また梅雨の頃のようだった。 残暑もつかの間かもしれない。一雨ごとに秋が近くなりそう。
山里の職場には鶏頭の花が今が盛りと咲いている。炎のように。 ずっとそう感じていたけれど今年は少し心細く燃えているようだ。
母の体調が少し悪くあれこれと気遣ってみるも。よほど気丈なのだろう。 やはり素直には聞き入れてはくれない。はらはらと心配しながら過ごす。 仕事をしていないと弱気になるのだと言う。そっと見守るしかなかった。
親不孝かもしれない。私はふっと逃げ出したくてたまらなくなる。 もっと弱音を吐いて欲しいと思う。もっと甘えてくれたらと思う。
結局逃げるように職場を後にしてしまった。思い煩う事なかれ。 そう言い聞かしながら。明日はあしたの風に吹かれようと思う。
いつもの散歩道。ススキの穂が日に日に増えてきてはっとする。 雨上がりの空から微かに夕陽が見えた。風に揺れるススキの穂。 ほのかな茜色にそれが映し出される。もうどうしようもなく秋。
祈るでもなく願うでもなくお大師堂を後にする。清らかでありたい。
灰汁のようなもので汚した心なら尚更。きれいさっぱりと流してみよう。
| 2009年08月19日(水) |
ただひとつのことでいい |
浜木綿の実のなんと重たげなことだろう。 その重みに耐えかねて茎が折れてしまう。
日に日にその実が多くなり見るたびに心が痛む。 花はひとの姿に似ていた。実もまたそれに似て。 力尽きて地面に倒れてしまったかのように見える。
けれどもそうして生きている。それが運命のように。 なにもかも受け止めているのだとそっと呟くように。
夏が過ぎ秋が来てまた巡り来る季節の真っ只中にいて。 その花の生き様をこの目で確かめてみたいと強く思う。
浜木綿。この夏出会えた愛しき花。ありがたき花だった。
そうして今日もお大師堂を後にする。もう薄暗くなった道。 ひとりの少年に出会った。まるで鞭打つように走っている。 日焼けした顔。滝のような汗。これでもかこれでもかと走る。
「こんにちは」と声をかけてくれた。「えらいねぼく」と。 ほんとうに感心するくらい頑張っていたのだ。石段を往復。 坂道をダッシュ。そこには新鮮なエネルギーが満ちていた。
とても清々しい気持ちになり何度も振り向きながら家路に着く。
まだあどけない少年だけれど。若さはきらきらと輝いて見えた。
しみじみと失ったことを懐かしく思う。頑張っていたのだろうか。 あの頃の自分はこれほどまでにひとつのことをやり抜いただろうか。
10代のはるか遠い日を昨日のように思い出す。もう遅いのかもしれない。
けれどもただひとつのことでいい。やり抜いて遂げられることをしたい。
| 2009年08月18日(火) |
生まれてくれてありがとう |
日暮れがほんの少し早くなったように思う。 紅い太陽がぐんぐんと落ちていくところを。 呼び止めるように縋りつくように見ていた。
あの日も夕陽を感じた。部屋中に紅が満ちていて。 私はうめき声をあげながらその時を待っていたのだ。 痛みは12時間も続きもう耐え切れずただただ苦しく。 お腹に手をあてながら何度も懇願するように呼んだ。
午後7時50分。ほんとうにあっけなくすぽんとかるく。 その子が生まれる。けれども泣き声が聴こえなかった。 一瞬パニックになってしまい大声をあげて喚き叫んだ。 ほんのつかの間の事。やがて火がついたような泣き声。
ちっちゃくてしわくちゃでほんとうにお猿さんみたいだ。 手を握ってみる。足に触れてみる。ああこの踵だと思う。
その踵の手触りは確かに私のお臍のあたりにいつもあった。 時々は蹴ってみたり。時々はとんがったまま痒くなったり。 その踵がすべてであるかのように語りかけてもみたのだった。
28年前の今日のこと。その子はそれから「さっちゃん」になる。
親は子供に育ててもらうというけれど。まさにその通りだと思う。 夏に生まれたその子は向日葵のように明るく朗らかな子供だった。
子育てが苦手だった私を助けるようにすくすくと育ってくれる。 そうしていつの間にかおとなになって今もそばにいてくれるのだ。
やがては嫁ぐ日も来るだろう。母はとても淋しくなってしまいそう。
引きとめられず縋りつけず。それも親の成長の過程かもしれない。
ちいさな秋を知らせるように虫の声が絶え間なく聴こえてくる夜。
少しだけ老いた母はサチコのことをたくさんたくさん想っています。
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