| 2009年07月07日(火) |
7月7日晴れときどき曇りにわかに雨 |
7月7日晴れ。ときどき曇ってにわか雨が微かに降る。
帰宅途中のラジオからドリカムのその歌が流れてきた。 あいたくてあいたくてあえなくて。少し前の私ならば。 涙が込み上げてきたのかもしれない。もう泣けなくなった。
どうやら私は歩んでしまったらしい。はるか遠い場所へと。 けれども想うことは出来る。それだけが救いであるかのように。
昨夜。友人から電話があり『カタチ』について熱く語り合った。 「カタチではないよね」と確かめるように何度も彼女は訊ねた。 たとえば電話であったりメールであったり。会うこともしかり。
縁というものはそんなカタチにこだわらないものだと私は思う。 それをなくして切れる縁は切れる。切れない縁もかならずある。
かけがえのない縁とはそうでありたいものだ。繋がるという事。 目にはみえない不思議な糸のようなものでお互いを引き寄せる。
元気にしているだろうか?ふと気掛かりに思うときなどがある。 けれどもそれを言葉にして伝えられない。その術さえもない時。 想い願って祈りながら。ただひとつきりの空を仰ぐ夜もあった。
忘れないでいること。思い出すということ。それが大切だと思う。
あいたいという欲。あわないという決心。それが今の私自身だった。
朝の小雨もやがて降り止み。午後には少し青空が見える。
職場のくちなしの花がずいぶんと枯れていた月曜日。 千切ってあげたそのあとの蕾も残り少なくなってしまった。
そんな憐れを知っているかのように。むくげの花が咲いている。 夜明け前に花開き夕方にはしぼむという儚い花だったけれど。 たくさんの蕾が勇気づけるように空に向かって伸びているのだった。
嘆くことはなにひとつあるまい。終わるものがあるから始まりがある。
仕事は午前中でほぼ片付く。どんな日もあるけれど午後は気だるい。 むかしガソリンスタンドで働いていた頃が懐かしい。走り回ったり。 洗車をしたり冬には重い灯油のポリ缶を両手で運んだり。そういう。 肉体労働がしたいなとつくづく思う。事務机にしばられない仕事を。
体力の衰えを感じるこの頃。出来もしないだろうことに欲を出して。 現状に不満を感じるなんてとんでもないことだとも思う。楽をさせて。 もらっていることにもっと感謝するべきなのだろう。いけないわたし。
ありがたいことに今日はお駄賃を頂く。申し訳ないけれど遠慮なく頂く。 それはとても重い一万円札だった。もっともっと尽くさなければと思う。
それなのに逃げるように家路につく。とても後味の悪い一日になった。
家に帰るとほんとうにほっとする。玄関先のツバメの様子を眺めたり。 なにもかもが平和で平穏に満ちている。肩の力がすぅっと抜けていく。
穏やかなままいつもの散歩。ゆったりと歩けばゆったりと時が流れる。 川端の草むらに誰かが種を蒔いたのだろうか。鶏頭の赤い芽が見えた。
夕陽がまぶしい。その陽がすべてを知っているかのように私を射した。
| 2009年07月04日(土) |
こだわらないということ |
うっすらと陽がこぼれるようにあたりを満たす。 梅雨特有の蒸し暑さもなく過ごしやすい土曜日。
隣家のノウゼンかずらがそれは見事に咲いていて。 鮮やかなオレンジ色にこころを和ませていたけれど。 咲き終わった花が路地にたくさん落ちるからと言い。 ご主人がその半分ほどを無残に切り落としてしまった。
なんともいえない哀しい気持ちになる。仕方のない事。 けれども残った花は変わりなく美しく心をほっとさせる。
ひとそれぞれ。私は些細なことに拘り過ぎるのかもしれない。
ゆうがた。いつもの散歩道ではっと気づくことが多かった。 このところあんずと喧嘩ばかりしていて心に余裕がなかったのか。 草刈作業のあとすっかり雀色になっていた土手が今はもう若草色。 夏草の新芽はやわらかく春を思わせる。もう諦めていた野アザミも。 その緑の中にぽつんと咲いているのを見つける。ちいさな姫女苑も。
こころが浮き立つように嬉しかった。こころも穏やかになってくれて。 あんずに話しかけてみたり。そうするとあんずもそれに応えてくれる。 不思議なものだなと思う。お互いの心が通じ合えば喧嘩にもならない。
おそらく自分次第なのだろう。犬はとても敏感に人の心を感じるらしい。
お大師堂にはお遍路さんが来ているらしく静かに読経の声が流れていた。 表戸が開いていたけれどその姿に会うこともなく。私も共に手を合わす。
厳かでもあり凛とする夕暮れ時だった。
すっと何かから解き放たれた気分になり心地よく家路についた。
| 2009年07月01日(水) |
歌だってうたってあげる。 |
七月文月。七夕もすぐにやってくることだろう。
湿気を含んだ南風がつよく吹き荒れたいちにち。 そうして夕方になり小粒の雨がぽろぽろと落ちる。
午後7時半。おもてはまだ薄明るさを残したまま。 灰色の空のかなた。かすかに陽が沈む気配がする。
こうして窓辺に佇んでいると刻々とした時の流れが。 手に取るように感じられ。去る人を見送るような心。 その背中が暗い影にとけて見失うのを覚悟したよう。
ああいくのだな。もう何も伝えられないのだなと思う。
無理に微笑まなくてもよいのではないか今だからこそ。
午後7時45分。ふうふうと途切れがちな息をたのしむ。 空がもう暗くなる。川向の山並みがかすかに見てとれる。 それもやがて見失うことだろう。もう捜さなくてよくなる。
なぜかほっとする。夜というものはそうでなくてはと思う。
あと30分もすればサチコが帰って来る。我が家の太陽であり。 夏の向日葵のような娘だった。そうして母のスイッチがオン。
今夜はどんな漫才をしようか。きっと疲れて帰ることだろう。 電子レンジでチンするおかずをコンビニ店員風に決めてみようか。 「温めますか?」「お願いします」「お待たせしました」どうぞ。
それから台所で酔い酔いダンスを踊ろう。歌だってうたってあげる。
| 2009年06月30日(火) |
いかなくちゃ。だからいかなくちゃ。 |
小雨降る朝の道で。稲の花と言うべきなのだろうか。 若き稲穂がそのいちめんの緑のなかで揺れているのを見た。
六月が今日で終わる。やがて真夏になり八月には稲刈りが始まる。 早いものだ。その実る様を日ごとに確かめながら季節が巡ってくる。
上手くはないのかもしれない。ただ息をするように身を任せている。 苦手だった夏の事を好きだと思ったあの夏からどんなふうに生きて。 いまここに佇んでいるのだろう。そぐわないような不器用さのまま。
私はわたしの影を見失わないように。空と地の狭間に立ち尽くしている。
留まれないことが時にはカナシイ。カナシミと名付けるほどの心さえも。 もしかしたら灰汁のようなもので。なんのかたちにもなれない澱だった。
その澱を纏って老いていく。真夏の光にそれが輝くことを奇蹟のように。 ありがたく受け止める事も出来るかもしれない。それが救いになるだろう。
いかなくちゃ。だからいかなくちゃとすくっと前を向き歩んでいきたいものだ。
午後には雨もあがり夕方には思いがけず晴れ間が見えた。 老犬あんずは嫉妬したくなるほど元気な足取りで私を引っ張る。 そうして逆らいそうして暴れる。私はもう怒らないことにした。
穏やかでいたいのだ。もう振り回されて心を乱されたくはない。 途中の石段の手すりにあんずを括り付けてあとは無視を決める。 そこでどんなに泣き喚いても宥めたりはしない。ほったらかして。
じぶんはひとりでお大師堂まで歩く。とても清々しく歩いていく。 そうして今日の平穏に手を合わす。感謝以外の何があるのだろう。
ほっとして今日が暮れていく。明日の事など誰にもわからないのだ。
だからこそいまを愛しむ。いま存在することが幸せでなくて何だろうと思う。
ツバメの子供たちの頭が見え始める。それはか弱くて。 親鳥が餌を運んでくると一斉に鳴き。その小さな嘴が。 命そのものであるかのように息づいているのがわかる。
今度こそは無事にと願う。それは親鳥の願いにも等しく。 ひととして出来る限りの事をしてあげたいと思っている。
見守るだけではどうすることも出来ないことがある事を。 すでに学んだ。カラス除けの何かを施してあげなければ。
今日それをしてあげられなかったことが気掛かりなまま。 日が暮れていく。親鳥が巣に帰っている事を救いに思う。
夕方から雨になる。予報ではしばらく梅雨らしさが続きそうだ。 このところ毎日だった散歩も今日はお休みにすることになった。 それでもあんずの食欲は旺盛で今夜もあっという間に平らげる。
毎日が喧嘩だった。今日はお互いが穏やかなまま夜をむかえる。 あんずの行動が理解できない。あんずも私の行動が理解できない。 家族として思うに。もう少し解り合えても良いのではないかと思う。 似たもの同士といえばそれまで。犬は飼い主に似るというくらいだ。
実は先日の雨の夕暮れ。初めて私ひとりで散歩に行ってみたのだった。 最初は気ままでこれは良いなと思った。でも足取りがとても重くなる。 いつもの距離がとても遠く感じて。どっと疲れて帰って来たのだった。
それを思うとやはり一緒に歩いてくれるあんずがありがたい存在になる。 ああだこうだと文句を言いながらも。ふたりの歩く散歩道がそこにある。
早寝の彼女はもう眠りかけているようだ。鎖に繋がれたつまらない一日。 ひとならばそれをどんなにか苦痛に感じることだろう。ツナガレルコト。
かろうじて繋がれないでいる私は。のほほんと酒をのみここに思いを記す。
うす曇の空。それほど暑さを感じないまま時を過ごす。
昼食後すこしのつもりでソファーに横になっていたのだけれど。 そのまま眠っていたらしい。目が覚めたらもう四時になっていた。
なんだかもったいないような。無意味な午後を過ごしてしまった。 身体がとても重い。よっこらしょと起き出して洗濯物を取り入れる。
母からメールが届いてることに気づく。山里の職場は休みではなかった。 心苦しさを振り払うように遅い返信をする。自分ひとり休んでしまった。 それを責められているような気もしないではない。土曜日は行かないと。 決めている。申し訳ないけれどその意思を変えるつもりなど私にはない。
その後またメールが届く。とても疲れたと仕事のことなど書いてあった。 労いの言葉を一言でもと思いつつあえてそれをしない娘を許してほしい。
月曜日は笑顔で。それだけは約束をしよう。私に出来る精一杯のことだ。
サチコがまたプチ家出をすると言い。夕食は彼とふたり質素に済ます。 姑さんの畑に夏野菜がいっぱいになり。新鮮なトマトや胡瓜、茄子など。 今日はほうれん草も貰ってゴマ和えにする。トマトは塩でそのまま食す。 あとは鯖の干物。彼は食に関してはまったく文句を言わずにいてくれて。 買物に行かなくてもこうして夕食が出来る。姑さんの野菜もありがたい。
母ふたり。私を生んでくれた母。そうしてともに暮らしてくれる母がいる。
正直なところ。私はともに暮らしてくれる母をより愛しく思う時がある。 彼を生んでくれたひと。それは自分の命よりも尊い。母は偉大だと思う。
いまさらながら嫁ぐということの意味を考える。それは縁にほかならず。 うまく馴染めない頃があったとしてもそれはもう過去の一こまに過ぎない。
生んでくれた母のことを。もしかしたら粗末にしているのかもしれない。 鬱陶しく思ったり感謝のこれっぽちも伝えられずにいるのかもしれない。
けれども私にとって今以上のことなど。どうしても出来そうにないのだ。 家にいるとほっとする。姑さんとふれあっていると心がとても和むのだ。
わたしはわたしの居場所に心地よくいながら日々をおくっているのだろう。
ただひとりではなく。家族という名のやすらぎのなかにそっと生きながら。
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