ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年06月25日(木) なんだかこの波はおおきい

夕焼けがあまりにも空を染めるので胸に。
血の雫がこぼれたような気持ちになった。

いったいどこがうずいているというのだろう。
わたしには私のことがよくわからないのだった。

ありのままにといつもおもう。不自然ではなく。
無理をせず。そこにあるものに身を任すような。
そんな生き方をしていたい。逆らわずにいながら。

けれどもわからないものだから確かめる事が出来ずに。
もしかしたらそれは理想で現実ではないかもしれない。

しょうがないな・・と時には呟く。どうしようもないこと。


たとえば砂浜。波打ち際に佇んでいると小さな波に足を濡らす。
もっと大きな波が来るような気がしていそいで後ずさりをする。
絶え間のない事がそこにいる限り永遠に続いてくるということ。

ああほんとうによくわからない。言葉になんか出来ないことを。
あえてそうしようとするから収拾がつかなくなってしまうのだ。


のみすぎたかな。それなのに少しも酔わないのが苦しくなった。

はあ・・ふう・・なんだかこの波はおおきい。ずぶ濡れになっちゃえ。



2009年06月24日(水) くちなしの白い花

すっきりと爽やかな晴天。清々しい風が心地よく感じる。
雨を待っている時もある。青空を待っている時もあった。

待つということ。そう願うということに少し躊躇する時もある。
求めないと決めたこころが揺らいでいるようで後ろめたくなる。

けれども待ってはいけない理由をうまく説明することが出来ない。

ときには振り切ってふりきっていかねばならない時もあるようだ。



今日もくちなしの花が香る。開け放した事務所の窓のむこうから。
それはそっと頬を寄せるように身近にあり。薄い絹の衣のように。
我が身を包み込んでくれるのだった。相応しいとかそうではないとか。
どうしてそれがわかるだろう。恍惚としながら受け止めるしかないこと。

私よりもずっと若いお客さんが『くちなしの花』の歌を知っていて。
「くちなしの白い花 おまえのような花だった」と口ずさんでくれた。

それはすぐに笑いに変わり。せつなさも嘘のように退いてしまったけれど。
その香はいつまでも漂い。誰のこころにもそれが届いたようで嬉しかった。


純白ではいられない花は。明くる日には黄色になり無残に枯れていく。
毎朝それをひとつひとついたわるように千切ってあげなければいけない。
そうして手のひらいっぱいになった枯花に頬ずりをするのが日課になった。

けれどもたくさんの蕾。それがまた明日の純白になり香ってくれるのだ。



2009年06月23日(火) けれどもどうしようもなく不安定なのだろう。

昨夜ひそやかに降り続いていたはずの雨が今朝はもうやんでいた。
どんよりと重い空もやがて薄く明るくなり零れるように陽が射す。

けれどもどうしようもなく不安定なのだろう。午後にはまた雨になった。

何度も空を仰ぐ。その心境を思い遣ってあげることなど出来もしないのに。
ただぽつねんとそうすることで。じぶんの在りかを確かめてみたかった。

陽が射せばその光を。雨ならば濡れる覚悟で日々を歩んでいきたいものだ。



午前中に行った歯医者さんで私より三つ年下だという先生が言った言葉。
「僕らはただ死へと突進しているような毎日」忘れていた痛みのように。
その言葉が真っ直ぐに届いた。そうだったそれ以外に道はないのだと思う。

ほぼ同世代。朝が訪れるとほっとするけれど体調が優れない日があると。
たちまち不安に駆られるのだと言う。元気でいたいのにそうなれない日。

「せめて楽しく暮らして行きたいものですね」私もそっと頷くばかりだった。

楽しさとは。すべてを受け止める事かもしれない。苦さえも楽に変えるように。


6月23日。友人の命日でもあった。あれからもう10年の歳月が流れた。



2009年06月22日(月) 風は遠くの雨を知らすように。

思いがけずに青空。風は遠くの雨を知らすように湿り気を帯びる。

朝の道で合歓の木の花を見つけた。もうそんな頃になったのかと。
胸が弾む。それはピンクの小さな孔雀のように羽根を休めていた。

職場の合歓の木が折れてしまってからもう何年が経ったのだろう。
それはあまりにも身近だったから。とても寂しかったのだけれど。
再会のようにして巡り会える季節があることを。心嬉しく思った。


職場にはくちなしの花。今が盛りとその芳香を放ってくれている。
絶えるものもあれば癒すように咲いてくれる花がありがたかった。

失っても見つかる。絶えても授かる。厳しくても恵まれるものだ。



日暮れてずいぶんと南風が強くなった。今夜遅くには雨になるらしい。
待ちきれないような気持ち。いますぐにでも雨音が聴きたくてならない。

むしょうに手紙を書きたい。それにはどうしても雨音が必要だと思う。

素直になるだろう。正直になるだろう。濡れそぼるような言葉がほしい。




2009年06月20日(土) アシタアイニイキマス。

やっと梅雨らしくしとしとと小糠雨の一日。
あたりいちめんが潤うのを心地よく感じる。

朝のうちの家事もそこそこに午前中は読書だった。
春樹の新刊が届き毎日少しずつ読んでいたけれど。
ブック1を読み終え。今日はここまでと本を閉じる。

一気に読みたい衝動にかられもするけれど。ゆっくり。
なんだかとてもゆっくりでいたい気がする。不思議な。
読後感がある。何かを手繰り寄せるようにいたいと思う。



午後。二時から約束がありそれまでに買物を済ませようと。
めったに行かないメンズ専門店へ。彼のための服など買う。
父の日というのを楽しみにしているらしく。まるで子供が。
サンタさんを待っているような顔で送り出してくれたのだ。

オトウサンと彼を呼ぶ。この30年一度も名を呼ばない気がする。
オカアサン。私は彼を生んだ覚えなどないけれどそれが私の名だ。



午後二時。約束の場所でバド仲間に会う。うちの息子君と変わらない。
そんな仲間と頭をつき合わせて明日の大会のスコア表などを作る作業。
若い仲間がたくさんいるというのに私に声をかけなければいけない程。
手間取っていたのがわかる。大会のたびに一人で苦労していたのだろう。

頼ってくれたのがとても嬉しかった。まるで息子の宿題を手伝うような。
母の気持ちになった。ありがとう助かったよとその言葉に救われる思い。

大会。私も出られたらどんなに良いだろう。けれども今回も断念をした。
体力に自信がないといえばそれまでだけれど。無理をして倒れでもしたら。
皆に迷惑をかけてしまう。そこまでして出なければいけない理由もなかった。

また明日ね。そう言ってもらい別れる。応援と線審も手伝って欲しいと言う。
「母さんきっと見に来てね」子供に頼まれて喜ばない親などいないはずだろう。

明日は一日中体育館で過ごすことに決める。みんなの流す汗を心地よく感じ。

そうして授かる光のような活力にわたしはあいたくてたまらなくなった。









2009年06月18日(木) それはきっとそのためだけにそこにある。

今年の始め。そう毎朝のように霜がおりとても寒い季節だった。
お大師堂で出会ったお遍路さんがいた。三年間は家に帰れない。
とにかく歩き続けるしか道がない。時々は僕を思い出して下さいと。

影の姿の写真を送ってくれたのだった。時々だなんてそれはあり得ず。
あれ以来ずっと毎日その写真に手を合わせ続けていたのだけれど。

今日は仕事から帰宅するなりとても思いがけないことがあった。
姑さんが声を弾ませ「Kさんが来たよ。Kさんが来てくれたよ」と。
昼間。畑仕事をしている時に。そのお遍路さんが訪ねて来てくれたと言う。

ずっと気にかけていた。元気にしているだろうか。無事でいるだろうか。
実は近況を知らないわけではなかった。昨夜奥様と少し話したばかりだった。

お母様が急逝された事。そうして彼女がもう奥様ではなくなった事を。
とても衝撃的な事実として私はすでに受け止めていたのだと思う。

ひとにはどうしても突き放してあげなければいけない時があるのだ。
彼女の選択に私は頷く事が出来た。今だから今でなければいけない時。
それこそが試練になり。彼に乗り越える力を授けてくれるのだと思う。

夕方。お大師堂で再会が叶う。あの時と変わらない澄んだ瞳に会えた。
「今とてもきついんです」その言葉の意味を知っていながら。あえて。
深く詮索する事を避ける。ただ誰も恨んだり憎んだりしないで欲しい。
遠まわしではあったけれどそれだけは伝える事が出来た。瞳が潤んだ。

そんな彼の瞳がすべてを受けとめてくれている気がして心が救われる。
けれどもどうしてこんなことに。いったいどれほどの試練なのだと。
彼の瞳が訴えているのもわかる。人それぞれとは言え天の与える運命は。
か弱い者にも容赦なく。それゆえに過酷な試練となり得るものなのだろう。

乗り越えるために。それはきっとそのためだけにそこにある。

私は信じることだけを選ぶ。そうしてこれからも手を合わせ続けるだろう。



2009年06月17日(水) 雨はいっこうに降らない。

たそがれていく空をツバメがいくつも飛び交っている。
その中には今年巣立った子ツバメもきっといるのだろう。

空を飛べるようになる。自分で餌も食べられるようになる。
希望の卵がそれを叶えて。精一杯の命を育んでいるのがわかる。

尊いいのち。それはか弱いほど愛しいものだ。我が家ではあの時。
それを護ってあげられなくて悲しい現実を目の当たりにしたけれど。

いまは希望に満ちている。明日かもしれないとその日を待っている。



犬として生まれたあんずも然り。縁あって家族の一員になってくれた。
尊くないだなんてこれっぽっちも思ってなどいないというのに。何故か。
このところふたりはうまくいかない。おそらく原因は私にあるのだろう。

ふたりの散歩ではなく。わたしの散歩になっているのかもしれない。
それでも一緒に行くといってはしゃいで家を出てくれる彼女だった。

そんな彼女を家に残し私はひとりで歩いて行けるのだろうかと。ふと。
今日は考えてみた。どんなにか後ろ髪をひかれることだろうと思うのだ。

雨はいっこうに降らない。明日もふたり反発しながら歩く事になるだろう。

きのう「嫌い」と言ったことを撤回してみることにしよう。

好きだけれど。うまくいかないことが少なからずあるのだろうと思う。



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